地域医療
地域医療について紹介します-
事例
臨床経験豊富な専門医こそ、在宅医療を―月永洋介氏
北関東最大、50万人超の人口を有する栃木県宇都宮市。市内外に急性期病院が複数あり、在宅医療のニーズが高まっているこの地に、2016年4月、在宅医療専門クリニックが開院しました。院長の月永洋介氏は、「在宅医療も可能な限り治療から緩和ケアまで高い質を継続すべき」と考え、専門医の在宅医療への参入を奨励しています。月永氏が在宅医療専門クリニックを開業した想い、地域で担っていきたい役割についてお話を伺いました。
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事例
平均在院日数を大幅に短縮 旭中央病院の挑戦―青木勉氏
住み慣れた地域で、その人らしく暮らせるように―。海外の精神医療事例を見て、日本でも同様の取り組みを実践する必要性を感じた青木勉氏は、2002年から精神科サービスをリフォームするための取り組みを多職種で開始。「旭モデル」と呼ばれる地域型精神医療モデルを構築します。
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事例
「立ち上がらなければ始まらない」30代で急きょ開業した若手医師の思い―田中公孝氏
医師にとって大きな決断である、開業。田中公孝氏は33歳という若さで東京都三鷹市にクリニックを開設し、家庭医としての経験を活かしながら地域の高齢者が幸せに暮らせる環境づくりに着手し始めました。経営ノウハウも全くゼロの状態からスタートし、想定外の出来事にも数多く見舞われたという田中氏。それでも自分らしく地域医療に切り込んでいこうと意気込む裏にある思いを聞きました。
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事例
アフリカ支援、松阪市長を経験した医師が、東京の在宅医療に挑戦するわけ―山中光茂氏
外交官の内定直前で医師を目指し、医師免許取得後はアフリカ支援、帰国後は三重県松阪市長を務めた山中光茂氏。異色の経歴を持つ山中氏が選んだ次のステージは、東京都での在宅医療でした。なぜ東京の地で、取り組みを始めたのでしょうか。
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事例
福島と東京の2拠点で働き、個人の繋がりの力で世界に発信―谷本哲也氏
鳥取県米子市出身の谷本哲也氏が福島県いわき市の常磐病院に勤めるきっかけとなったのは、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故。世代や専門分野、所属組織や国籍を超えた個人の繋がりの力を重視するという、谷本氏の働き方を取材しました。
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事例
現場医師の挫折感が起爆剤となって生まれた「幸手モデル」―中野智紀氏
埼玉県北東部に位置する利根医療圏は、医療資源の不足が深刻な課題となっています。この利根医療圏に属する幸手市の東埼玉総合病院に2012年、在宅医療連携拠点事業推進室「菜のはな」を開設した中野智紀氏は「幸手モデル」を提唱。全国から注目される地域包括ケアシステムを地域住民とつくりあげました。中野氏が「幸手モデル」で目指すこととは―。
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事例
初期研修アンマッチを経て南相馬へ そこで見たもの―山本佳奈氏
2015年春、福島県南相馬市立総合病院の初期研修医となった山本佳奈氏。関西地方で生まれ育ち、東京を中心に研修先病院を探していたにもかかわらず、最終的に選んだのは福島県南相馬市。東日本大震災の被災地としても記憶に新しい場所ですが、なぜ彼女はこの地を選んだのでしょうか。そして、初期研修修了後もここに残り続ける理由とは。
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事例
「逃げ道」を「やりがい」に モラトリアムを抜けた医師の挑戦―尾崎章彦氏
研修医時代の経験が、その後のキャリアに大きな影響を与えたという医師も少なくないのではないでしょうか。現在、福島県南相馬市で調査研究・論文発表を続ける尾崎章彦氏もその一人です。外科医として研さんを積むために千葉県から福島県へ拠点を変えた尾崎氏が、臨床と研究双方に取り組む理由について取材しました。
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事例
千葉県の公立病院にPICU!?小児科医を9人から27人に増やした医師の戦略―平本龍吾氏
日本国内に約40カ所しかない小児集中治療室(PICU)。設置機関には大学病院や小児専門病院が名を連ねるなか、公立病院にもかかわらずPICU6床を有するのが松戸市立病院(千葉県)です。もともとPICUのなかった同院は、2004年には常勤小児科医が9名となり、縮小の危機に瀕していました。その立て直しをリードしたのが平本龍吾氏。地域の小児医療を守るべく、縮小から拡大へ舵を切った平本氏は何を考え、どう行動したのでしょうか。
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事例
診療所が居酒屋に?! 住民が気軽に集える場を―榎本雄介氏
ふらりと立ち寄れる居酒屋、採れたての野菜が並ぶ朝市―。宮崎県延岡市の大貫診療所では、時折、日常の何気ないひとときを過ごすことができます。そんな地域の憩いの場をつくりだしたのは、院長である榎本雄介氏。これまで宮崎大学附属病院に外科医として勤務をしてきた榎本氏が、地域医療に取り組み、診療所の既成概念を覆す活動を行う理由に迫りました。
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事例
人生のエンドロールに、もっと多くの選択肢を―星野彰氏
残された時間を自宅で過ごしたい―そう思う患者が多いものの、日本では8割が病院で亡くなっているのが現状。しかし、岩手県のとある地域では、がん患者の半数近くが自分の希望した場所で最期を迎えています。
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事例
患者の9割に普及 住民の医療意識を変えたアイテムとは?―吉嶺文俊氏
地域によって、抱えている課題や問題点はさまざま。少子高齢化が進む新潟県の山間部では、外来受診できなくなってしまった患者の在宅療養を支えるため、多職種連携をいかに密接に取っていくかがカギとなっています。こうした状況下、新潟県で長らく医療に従事してきた吉嶺文俊氏は、地域ニーズを察知して、とあるアイテムを導入。他職種連携を円滑にしたほか、地域住民の健康意識を高めることにも成功したそうです。吉嶺氏の担当患者の9割が参加していたという、その取り組みの概要を聞きました。
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事例
東京の緩和ケア医が、離島の予防医療に挑む理由―岩瀬哲氏
九州本土から高速船で40分ほどの距離にある鹿児島県薩摩川内市甑島(こしきじま)。『Dr.コトー診療所』のモデル医師、瀬戸上健二郎氏が活躍していたこの離島で、東京大学医科学研究所附属病院の緩和ケア医・岩瀬哲氏が新たな試みを始めました。東京を拠点に取り組む、離島での予防医療とは
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事例
全国から視察者が絶えない「四日市モデル」仕掛け人の次なる目標―石賀丈士氏
三重県四日市市の山間部に、視察者や入職者が絶えない在宅緩和ケアに特化したクリニックがあります。同市では、2007年から2015年の間に地域の自宅および施設の看取り率が11.4%向上。その秘訣は、石賀丈士氏が開業した「いしが在宅ケアクリニック」と地域医師会が構築した「四日市モデル」にあります。この仕掛け人ともいえる石賀氏が、さらに目指していることとは。
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事例
医師不在でも大丈夫?「持ちつ持たれつ」で地域医療を負荷なく続ける―安成英文氏
地域医療を担う医師の悩みの1つが、出張などで医療機関を不在にしにくいこと。全ての往診に1人で対応することに難しさを感じた安成英文氏は、熊本県玉名地域で「たまな在宅ネットワーク」を立ち上げました。主治医不在時でも代理医師が対応するこの仕組みは、玉名地域の未来をどう変えていくのでしょうか。
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事例
医療者が「地域をデザインする」意義―倉本剛史氏
長崎県で経験を積み、縁あって熊本県天草市の医療機関で勤務することになった倉本剛史氏。地域住民との交流を通じてこの地に愛着を持つようになった倉本氏は、「地域包括ケアも、町づくりも、さまざま分野の人が参画した形が良いのでは」と感じるようになり、医療を通じて『地域をデザインする』取り組みをはじめていきます。倉本氏が考える、理想的な地域と医療の関係とは?
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事例
在宅医療は「逃げ」ではない 外科医が気付いた医療の在り方―市原利晃氏
2007年、秋田県初の在宅医療専門クリニックを開業した市原利晃氏。数千例のがん手術を執刀するなど、外科医として着実に実績を積み上げていた市原氏でしたが、在宅医療専門クリニックを見学した際に考え方が一変。今では、「外科医×在宅医療のあり方」を模索するようになったそうです。
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事例
“キャリアの脱線”の末に出会った老健施設長のやりがいとは?―森川利則氏
介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指す介護老人保健施設。医師の間では「ゆったり働けるセカンドキャリアの場」として認知されている向きもありますが、介護老人保健施設とかち(北海道河東郡音更町)の森川利則氏は、老健施設長という役割の可能性を実感しているそうです。
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事例
「都市部から週1回、日帰りでへき地へ」新しいワークスタイルの可能性―奈良原裕氏
日本有数の豪雪地帯として知られる、新潟県十日町市。深刻な医師不足によって診療所の閉鎖が続いていたこの地で外来診療をするために、毎週金曜日、遠く離れた神奈川県横浜市から通い続けているのが奈良原裕氏です。
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事例
へき地医療「無理し過ぎない」ための解決策とは?―伊左次悟氏
医師3年目から約10年間、岐阜県白川村の医療を一人で守ってきた伊左次悟氏。そんな伊左次氏が働き方を変えたのは、2015年。医師個人でなく、チームで地域医療を支える体制へと変わる転換点で、伊左次氏が考えることとは―。