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診療所が居酒屋に?! 住民が気軽に集える場を―榎本雄介氏(大貫診療所)

2017年5月25日

ふらりと立ち寄れる居酒屋、採れたての野菜が並ぶ朝市―。宮崎県延岡市の大貫診療所では、時折、日常の何気ないひとときを過ごすことができます。そんな地域の憩いの場をつくりだしたのは、院長である榎本雄介氏。これまで宮崎大学附属病院に外科医として勤務をしてきた榎本氏が、地域医療に取り組み、診療所の既成概念を覆す活動を行う理由に迫りました。

突然現れた、開業という選択肢

―外科医として大学病院に勤務されていた榎本先生が、開業に踏み切った経緯を教えてください。

実は、開業を考えたことは全くありませんでした。延岡市は妻の出身地でしたが、そこから約100km離れた宮崎市出身のわたしにとっては、なじみのない地域。妻が延岡市在住の方から、「医師不足で困っているので、旦那さんの知人を紹介してもらえないか」と依頼され、まずは住民の話を聞くべく、延岡市まで足を運びました。話を聞いてみると、診察室の中だけではなく、地域という大きなフィールドでも活動できることに興味が湧き、「わたしが行きます」と話を引き受けることに。このことが、結果的に開業へとつながりました。

―退職、そして開業と、思いもよらぬ決断をされましたね。

そうですね。思い返してみると、昔から地域医療に興味がありました。学生時代の実習で、「地域医療はまちづくりの一環」という言葉を聞いて以来、その言葉がずっと心に残っていたんです。大学病院に勤務している時も、自分が目指す医療は地域医療にあるのではないかという思いがありました。スタッフが懸命に治療しても亡くなっていく患者さん、そのご家族の姿を見るにつけ、もっと違う形で医療価値を提供できないだろうかという思いに駆られることも―。もともとまちづくりにも興味があったことから、地域に出たほうが新たな形で医療提供できるのではないかと考え、思い切って開業することにしました。

地域住民の「場」を提供する

―開業後、どのようなことに取り組んでいるのですか?

「地域医療はまちづくりの一環」を信念に、自ら診察室の外に出ていくことはもちろん、地域住民が気軽に診療所を訪れることができる取り組みを続けています。

そのひとつが、「ふらっととまり木会」という居酒屋。フラットな立場で、ふらっと立ち寄れることがコンセプトの居酒屋として、診療所の2階を毎月第3水曜日に開放しています。話が持ち上がったのは、開業直後に開催された自殺対策フォーラムの実行委員を務めていたとき。実行委員の間で、「お悩み相談センターに行く人はなかなかいない。特に自殺率が高い中高年層は足を運ばないだろうから、気軽に相談できる場所を作ろう」という話になり、元居酒屋のテナントだった当院の立地を活かしてスタートさせました。

居酒屋では、お酒の準備はしますが、料理は持ち寄り制。毎回20名程度お客さんが来ますが、みんなでワイワイすることは強制していません。話したければ話せばいいし、黙々と飲みたいときはそうすればいい。コンセプト通り、ふらっと立ち寄れる場として利用できるようにしています。その場のわたしは医師ではなく、あくまで居酒屋の大将。医師と患者という関係を取り払い、フラットな関係で交流できる場にしています。

―居酒屋の他にも、診療所を開放して行う活動はありますか?

毎週火曜日、地域の女性たちが主催している朝市があります。この朝市は、地域住民と交流していくうちに自然と始まっていきました。みなさんでルールを決めて、その日採れた野菜やいなりずし、赤飯、ちょっとした手作り小物などを販売しています。わたしは運営には関わっておらず、当院の玄関先スペースを貸し出すのみ。場所代として、野菜一袋とその日の昼食になるものをいただいています。

運営している女性や売り子さんたちにとってはお小遣い稼ぎになりますし、何より自分がつくったものが売れると励みになる。お客さんはその場に来るだけで、買い物もおしゃべりもできる。通院せずとも集まれる社交場として、うまく機能しているように感じます。わたしは皆さんに喜ばれることが嬉しいですし、診療所が多様化することで、人も地域も元気になることに大きな意味があると思っています。

診療所の中に「地域」をつくる

―今や、医療以外の価値提供をする診療所となっているのですね。

そう考えていますし、今後もそうありたいと思っています。医療の最終目的は、そこに暮らす人を幸せにすること。住民を幸せにするためには、彼らが何を求めているか知る必要があります。診療所をさまざまな形で活用し、患者さん以外の人と交流する機会をつくって、地域の声を形にしていきたいですね。

わたしは、地域の中に診療所を作るのではなく、診療所の中に“地域”をつくることが重要だと考えています。ふらっととまり木会は7年、朝市は3年続いている。これは、地域の人たちに求められていることの表れだと思います。今後も診療所としてプライマリ・ケアを提供することはもちろんのこと、住民に「自分たちの診療所=スペース」として有効活用してもらい、多様性のある診療所を展開していきたいですね。

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