1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 千葉県の公立病院にPICU!?小児科医を9人から27人に増やした医師の戦略―平本龍吾氏(松戸市立病院)
事例

千葉県の公立病院にPICU!?小児科医を9人から27人に増やした医師の戦略―平本龍吾氏(松戸市立病院)

2017年5月31日

日本国内に約40カ所しかない小児集中治療室(PICU)。設置機関には大学病院や小児専門病院が名を連ねるなか、公立病院にもかかわらずPICU6床を有するのが松戸市立病院(千葉県)です。もともとPICUのなかった同院は、2004年には常勤小児科医が9名となり、縮小の危機に瀕していました。その立て直しをリードしたのが平本龍吾氏。地域の小児医療を守るべく、縮小から拡大へ舵を切った平本氏は何を考え、どう行動したのでしょうか。

自分たちで後期研修医を育て、小児科の環境を変える

―松戸市立病院の小児科を立て直そうと思い立ったきっかけは何でしょうか。

一番の大きな転機は、2004年に新医師臨床研修制度が始まり、それまで千葉大学から当院に派遣されていたローテート医師が来なくなってしまったことです。

その時点で常勤小児科医は9名。今、何も策を講じなければ皆がハードな勤務形態に疲弊してしまう姿が目に見えていましたし、あらたな若手医師が確保できなければ小児科は縮小の一途をたどり、地域の子どもたちの健康を守れなくなると思いました。それを食い止めるためには、自分たちで後期研修医を育てて、いつかは専門医として戻ってくる環境を作るしかないと考え、当院小児科の改革に乗り出したのです。

夢、目標を語ることで、人を集める

―具体的には、どのように改革を進めてきたのですか?

小児科の改革を始めてから12年間、意識してきたのは「夢を語り、目標をしっかり持ち、人を集める」こと。この理念を小児科内の共通認識にすることから始めました。

わたしたちの夢は2つ。1つは、当院の小児科での後期研修教育システムを日本で“one of the best”にすることです。後期研修教育でトップになるのは非常に困難かもしれませんが、せめてトップ10に入る環境を整えていこうと決めました。そして2つ目の夢が、PICUの設置。なぜなら、1つ目の夢を実現するためには、一般外来・救急から集中治療まで小児の総合教育ができる環境が不可欠と考えたためです。

そして、目標は3つ。患者さんにとっていい医療を提供する、患者さんのご家族にとっていい医療を提供する、そしてスタッフにとってもいい環境を提供するための環境を整えることです。

こうした夢、目標を発信していけば、若手医師は必ず来ると信じていました。残る課題は、後期研修医だけでなく、常勤スタッフである指導医も疲弊しない体制づくりでした。特にワークライフバランスと残業時間抑制には注意を払ってきました。

―常勤医が疲弊しないために、どのようなことに取り組まれたのですか?

まずはグループ主治医制を導入し、一人に業務や責任が集中しないような仕組みをつくりました。当直明けも休みが確実に取れるように工夫しました。また、診療能力の均質化を図るために小児二次救命処置法(PALS)の資格取得を義務付け、積極的な学会への参加や論文発表、勉強会の充実を促してきました。さらには、自分の専門学会や研修会に参加した際は必ずレポート1枚を提出し、専門外の医師とも最新の情報共有。最近では戻ってきた中堅スタッフが勉強会の資料や症例の資料などは全てクラウド上にアップロードしてくれて、全員が閲覧できるようになっています。

グループ主治医制と同時に行ったのが「松戸市夜間小児急病センター」の設置です。1次救急から3次救急までの受け入れが疲弊の要因になると考えたので、当院横にセンターを設け、トリアージをする仕組みにしました。2017年現在では、年間約8000人の診療を行うまでになっています。当院の小児科医と松戸市医師会医師の二人体制で診察、重症度が高ければ院内に運び込み入院治療が可能です。これによって、当院では2次から3次救急の患者さんに集中できるようになりました。

このような体制を整える一方、受け入れ入院患者数を増やすことにも注力しました。2004年度までは年間1000~1200人程でしたが、入院治療が必要な患者さんを率先して受け入れた結果、2008年度は約1800人、2009年度は約2200人にまで増加。2008年に小児入院管理料1を取得し赤字を解消、この時点で常勤小児科医を22名にまで増やすことができました。

後期研修医採用に関しても、ようやくここ数年は安定して5人ずつ採用できるようになり、2014年にはPICU4床の設立が実現しました。このとき、1つの大きな山を越えたと感じましたし、大きな達成感がありました。ただ今の状況を達成できたのは、病院上層部の理解があったこと、医師会が強力にサポートしてくれたこと、そして何より同じ目標を持った素晴らしい仲間(医師・看護師)がいたからこそです。おかげで今年は常勤小児科医が27名になりました。

松戸市立病院小児科の今後

―12年かけて、理想の環境になってきたということですね。2004年から今までの間で、最も苦労したことは何ですか?

やはり最初の5年間、人員体制が整っていなかったことですね。医師が多くない中でグループ主治医制に移行し、入院患者数をどんどん増やしていきましたので。今でこそ1グループ4~5人で構成されていますが、最初は2人で1グループ。2人1組で回診から当直、学会発表等も全て行っていたので、体力的にもきつく、皆で歯を食いしばって頑張っていたという感じでした。

―今後は、どのような成長を目指していますか。

今後の一番の目標は、2016年6床となったPICUを10床にまで増やすことです。これからさらに少子化が進むと、閉鎖に追い込まれる小児科が増えると予想されていますが、そのような状況下でも市立病院として地域の小児医療を支えていきたい。将来的には地域に密着した小児救急治療と全県対応型の高度専門医療の2本柱で、より広域をカバーすることを見据えています。

医師数はこれ以上になると、どうしても臓器ごとの専門に分かれてしまい、“1つのチーム”としての統率が取りにくくなってしまうため、今の数を維持したいと思っています。

今後の小児救急医療の充実を図りつつ、それぞれが専門を持ちながらも、ジェネラルに子どもを診ていける体制を維持し、各々の質向上を目指していきたいと考えています。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る