日本国内に約40カ所しかない小児集中治療室(PICU)。設置機関には大学病院や小児専門病院が名を連ねるなか、公立病院にもかかわらずPICU6床を有するのが松戸市立病院(千葉県)です。もともとPICUのなかった同院は、2004年には常勤小児科医が9名となり、縮小の危機に瀕していました。その立て直しをリードしたのが平本龍吾氏。地域の小児医療を守るべく、縮小から拡大へ舵を切った平本氏は何を考え、どう行動したのでしょうか。
自分たちで後期研修医を育て、小児科の環境を変える
―松戸市立病院の小児科を立て直そうと思い立ったきっかけは何でしょうか。
一番の大きな転機は、2004年に新医師臨床研修制度が始まり、それまで千葉大学から当院に派遣されていたローテート医師が来なくなってしまったことです。
その時点で常勤小児科医は9名。今、何も策を講じなければ皆がハードな勤務形態に疲弊してしまう姿が目に見えていましたし、あらたな若手医師が確保できなければ小児科は縮小の一途をたどり、地域の子どもたちの健康を守れなくなると思いました。それを食い止めるためには、自分たちで後期研修医を育てて、いつかは専門医として戻ってくる環境を作るしかないと考え、当院小児科の改革に乗り出したのです。
夢、目標を語ることで、人を集める
―具体的には、どのように改革を進めてきたのですか?
小児科の改革を始めてから12年間、意識してきたのは「夢を語り、目標をしっかり持ち、人を集める」こと。この理念を小児科内の共通認識にすることから始めました。
わたしたちの夢は2つ。1つは、当院の小児科での後期研修教育システムを日本で“one of the best”にすることです。後期研修教育でトップになるのは非常に困難かもしれませんが、せめてトップ10に入る環境を整えていこうと決めました。そして2つ目の夢が、PICUの設置。なぜなら、1つ目の夢を実現するためには、一般外来・救急から集中治療まで小児の総合教育ができる環境が不可欠と考えたためです。
そして、目標は3つ。患者さんにとっていい医療を提供する、患者さんのご家族にとっていい医療を提供する、そしてスタッフにとってもいい環境を提供するための環境を整えることです。
こうした夢、目標を発信していけば、若手医師は必ず来ると信じていました。残る課題は、後期研修医だけでなく、常勤スタッフである指導医も疲弊しない体制づくりでした。特にワークライフバランスと残業時間抑制には注意を払ってきました。
―常勤医が疲弊しないために、どのようなことに取り組まれたのですか?
まずはグループ主治医制を導入し、一人に業務や責任が集中しないような仕組みをつくりました。当直明けも休みが確実に取れるように工夫しました。また、診療能力の均質化を図るために小児二次救命処置法(PALS)の資格取得を義務付け、積極的な学会への参加や論文発表、勉強会の充実を促してきました。さらには、自分の専門学会や研修会に参加した際は必ずレポート1枚を提出し、専門外の医師とも最新の情報共有。最近では戻ってきた中堅スタッフが勉強会の資料や症例の資料などは全てクラウド上にアップロードしてくれて、全員が閲覧できるようになっています。
グループ主治医制と同時に行ったのが「松戸市夜間小児急病センター」の設置です。1次救急から3次救急までの受け入れが疲弊の要因になると考えたので、当院横にセンターを設け、トリアージをする仕組みにしました。2017年現在では、年間約8000人の診療を行うまでになっています。当院の小児科医と松戸市医師会医師の二人体制で診察、重症度が高ければ院内に運び込み入院治療が可能です。これによって、当院では2次から3次救急の患者さんに集中できるようになりました。
このような体制を整える一方、受け入れ入院患者数を増やすことにも注力しました。2004年度までは年間1000~1200人程でしたが、入院治療が必要な患者さんを率先して受け入れた結果、2008年度は約1800人、2009年度は約2200人にまで増加。2008年に小児入院管理料1を取得し赤字を解消、この時点で常勤小児科医を22名にまで増やすことができました。
後期研修医採用に関しても、ようやくここ数年は安定して5人ずつ採用できるようになり、2014年にはPICU4床の設立が実現しました。このとき、1つの大きな山を越えたと感じましたし、大きな達成感がありました。ただ今の状況を達成できたのは、病院上層部の理解があったこと、医師会が強力にサポートしてくれたこと、そして何より同じ目標を持った素晴らしい仲間(医師・看護師)がいたからこそです。おかげで今年は常勤小児科医が27名になりました。
松戸市立病院小児科の今後
―12年かけて、理想の環境になってきたということですね。2004年から今までの間で、最も苦労したことは何ですか?
やはり最初の5年間、人員体制が整っていなかったことですね。医師が多くない中でグループ主治医制に移行し、入院患者数をどんどん増やしていきましたので。今でこそ1グループ4~5人で構成されていますが、最初は2人で1グループ。2人1組で回診から当直、学会発表等も全て行っていたので、体力的にもきつく、皆で歯を食いしばって頑張っていたという感じでした。
―今後は、どのような成長を目指していますか。
今後の一番の目標は、2016年6床となったPICUを10床にまで増やすことです。これからさらに少子化が進むと、閉鎖に追い込まれる小児科が増えると予想されていますが、そのような状況下でも市立病院として地域の小児医療を支えていきたい。将来的には地域に密着した小児救急治療と全県対応型の高度専門医療の2本柱で、より広域をカバーすることを見据えています。
医師数はこれ以上になると、どうしても臓器ごとの専門に分かれてしまい、“1つのチーム”としての統率が取りにくくなってしまうため、今の数を維持したいと思っています。
今後の小児救急医療の充実を図りつつ、それぞれが専門を持ちながらも、ジェネラルに子どもを診ていける体制を維持し、各々の質向上を目指していきたいと考えています。
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