1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 全国から視察者が絶えない「四日市モデル」仕掛け人の次なる目標―石賀丈士氏(いしが在宅ケアクリニック)
事例

全国から視察者が絶えない「四日市モデル」仕掛け人の次なる目標―石賀丈士氏(いしが在宅ケアクリニック)

2017年4月12日

ishiga_1

三重県四日市市の山間部に、視察者や入職者が絶えない在宅緩和ケアに特化したクリニックがあります。同市では、2007年から2015年の間に地域の自宅および施設の看取り率が11.4%向上。その秘訣は、石賀丈士氏が開業した「いしが在宅ケアクリニック」と地域医師会が構築した「四日市モデル」にあります。この仕掛け人ともいえる石賀氏が、さらに目指していることとは。

すべてのきっかけは、自宅での祖母の「死」

―どのような経緯で、在宅緩和ケアの道に進まれたのですか。

医学部5年次の実習で、治療の甲斐なく痛みに苦しむ患者さんが大勢いる光景を目の当たりにしたのが直接的なきっかけです。なぜこんなに優秀な医師が揃っているのに、患者さんは穏やかに亡くなることができないのか。医学生ながら、そんな疑問と怒りが湧き上がってきたのを覚えています。

―医学生の時点で、緩和ケアに関心を持たれたのですね。

そうですね。高校時代、祖母が在宅で眠るように亡くなった光景を見ていたので、「人は最期の瞬間、楽に亡くなることができる」という思いがどこかにあったのだと思います。祖母は認知症を10年間患っていましたが、亡くなる前日まで自宅の普段通りの生活を楽しんでいて――医学生時代、病院で苦しみながら最期を過ごす患者さんの姿を前に、「自宅で過ごす方が痛みを取ることができるのではないか」とも考えるようになりました。

いしが在宅クリニックmap医学部で学ぶ内容にあまり興味が持てず、アルバイトに明け暮れる毎日を送っていた当時のわたしは、病院実習のあとから緩和ケアの道を志し、患者さんのおだやかな最期を実現するための方法を猛勉強するようになりました。医学部卒業後は、三重大学附属病院と山田赤十字病院で約6年間の臨床経験。その後は介護とマネジメントを学ぶために四日市市にある、しもの診療所の所長を2年間務め、2009年7月に開業して在宅緩和ケアを進めています。

―出身は大阪府でありながら、なぜ、三重県四日市市で開業したのでしょうか。

三重大学医学部で学び、緩和ケアの道を志したという原点があるので、この地で恩返しをしたいと思ったんです。また、在宅医療を組織的に展開するためには人口10万人規模の街が適していると考えていたこと、しもの診療所の経験を通して四日市市の状況は理解できていたことから、四日市市での開業を決めました。

在宅看取り率向上の仕掛け

―現在、全国から視察者がやってくるクリニックにまで成長を遂げていますが、開業当時、何か意識的に取り組まれたことはありますか。

ishiga_3開業に際して意識したのは、近隣の医療機関との役割分担です。
軽度から重度の患者さん全てを当院だけでカバーすることは難しいですし、何より、すみ分けが行えていないと患者さんの取り合いになり、地域が育たない。この地域の場合、当院が、がん・難病・介護難民・独居・医療依存度が高い方など重度の患者さんを中心に対応し、医師会の先生方には軽度・中度の患者さんをしっかり診ていただくような仕組みをつくることが大切だと考えました。

開業当初、周囲の医療機関や医師会の先生方に「当院では重度の患者さんを中心に診るので、軽度・中度の患者さんを診てほしい」と依頼してまわったときは驚かれましたが、大きな反発もなく、連携体制はスムーズに構築できたように思います。「石賀先生が重症の患者さんを診てくれているから、軽度の患者さんに力を入れられる」「石賀先生のクリニックを紹介してもらってよかった」と、医療機関や患者さんご家族から、うれしいお言葉をいただけるようにまでなりました。

クリニック毎に診る患者さんをすみ分けたことで、地域全体の自宅と施設をあわせた看取り率は29.8%(2015年)にまで向上。「四日市モデル」として注目されるようになり、今では厚生労働省の方をはじめ全国から視察に来ていただいています。ただ、前述の通りこれは当院だけでできていることではありません。軽度・中度の患者さんを地域や医師会の先生方がしっかり診てくださっているので、当院で重度の患者さんを診ることができている―。その両輪があるからこその結果だと思っています。

日本一の在宅緩和ケアを

ishiga_2―今後はどのようなことに力を入れていこうと考えていますか。

当院を「日本一の在宅緩和ケアを学べる場」にしたいと考えています。
目標は、10年で50名の医師を教育し輩出すること。当院では、1年から1年半で技術や理念を学んでもらい、積極的に開業を促していますが、2016年に三重県松阪市で1人目の開業者が出たほか、2017年は2名の医師が開業予定となっています。在宅緩和ケアを学べる場をつくるための取り組みは、まだ緒に就いたばかりですが、今以上に学びに来る医師を増やすために、皆が憧れる在宅ケアモデルとして成果を出していきたいですね。年間100名以上を看取る在宅診療所は全国に3000カ所必要と言われていますが、実際にあるのは60カ所程度と、全然足りていない状況。まずは10年で50名の医師を当院から輩出し、彼らが全国で同じような活動をしていけるようノウハウ提供を行っていきたいと思っています。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る