1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 医師不在でも大丈夫?「持ちつ持たれつ」で地域医療を負荷なく続ける―安成英文氏(安成医院)
事例

医師不在でも大丈夫?「持ちつ持たれつ」で地域医療を負荷なく続ける―安成英文氏(安成医院)

2017年4月3日

eibun_yasunari01

地域医療を担う医師の悩みの1つが、出張などで医療機関を不在にしにくいこと。全ての往診に1人で対応することに難しさを感じた安成英文氏は、熊本県玉名地域で「たまな在宅ネットワーク」を立ち上げました。主治医不在時でも代理医師が対応するこの仕組みは、玉名地域の未来をどう変えていくのでしょうか。

青天のへきれきで院長に就任

―安成医院の院長として、玉名地域の医療に携わるまでの経緯を教えてください。

安成医院は熊本県玉名郡玉東町で曽祖父が開業し、現在わたしが4代目の院長を務めています。もともと継承に興味があったわけではなく、「消化器外科で数多くの手術をこなしてスキルを磨きたい」と考えていましたが、医師7年目の2001年に父が急逝。当時、この地域の無床診療所は、当院含め2か所のみだったことと、実家に残る母、祖母も心配だったので、医院を継ぐ決意をしました。「いずれ継ぐことになるかもしれない」とは考えていましたが、その日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。

院長就任当時、当院が標榜している内科や小児科の知識はないも同然でしたが、「隠しても仕方がない」と、しばらくは机に並べた教科書を見ながら診察していました。患者紹介など大きな病院とのやりとりを通じて、他の医師がどのような対応をしたのか学んだり、勉強会に参加したりして自ら知識を身に付けていきました。

―ご家庭の事情とはいえ、消化器外科医としてのキャリアに未練はなかったのですか。

医院を継いで間もない頃は、未練を捨てきれなかったのも事実です。しかし、さまざまなことに取り組むうちに、対応できる幅が広がっていって―。ある日、紹介先の医師に「最近はよく粘って診てくれるようになったね」とほめていただけたことが大きな自信につながりました。自分でもスキルが上がっている実感を持てるようになってからは、「また外科医に戻りたい」と思わなくなりましたね。

安成医院map―現在は赴任当初の苦労もひと段落し、玉名地域での医療に充実感を感じ始めてきた状況なのですね。

はい。ただ、診療に慣れてくるうちに、ある疑問を抱くようになりました。当院は、地域患者さんからかなり頻発に往診依頼をいただくのですが、一人で全てに応じきることの限界を感じ始めたんです。普通、病院ならば、入院患者さんはまずナースコールで看護師を呼び、対応できなければ医師が呼ばれます。ところが、請われるまま往診に行くと、全ての連絡がわたしに来るのです。訪問看護師さんを入れないと、全て自分自身で対応しなければならないことがわかりました。若いうちは対応できても、24時間1人で対応し続けるのは難しい―次第に「この体制は持続的ではない」との思いが膨らんで行きました。

そう思っていたときに、他地域で医師が副主治医制を導入して医師がチームを組んでいるという話を聞き「玉名地域でも医療者ネットワークを作ろう」と考えました。先輩医師6人に声をかけ、それぞれが不在のときには、誰かが往診に行くことを始めました。これが、2008年に立ち上げた「たまな在宅ネットワーク」です。

学会や休暇で“心置きなく”不在にするために

―「たまな在宅ネットワーク」について、詳しく教えてください。

玉東町を含む玉名地域の医療機関31か所と訪問看護ステーション12か所をはじめ、訪問歯科や薬局、玉名地域保健医療センター、地域包括支援センターなどが構成員となって、主治医不在時に別の医師が代理で対応してくれるシステムです。

eibun_yasunari02―かなり多くの医療機関の協力を仰げたのですね。

最初は地道な声掛けからスタートさせましたが、厚生労働省のモデル事業となった後は、事務局を玉名地域保健医療センターに移管して呼びかけられる医療機関が増えたため、急激に参加人数を増やすことができました。

 

―運用体制はどのようになっているのでしょうか。

まず、参加医師は、不在になる日時を週初めに共有。該当日時に緊急時出動が可能な医師は申し出ておき、もし主治医不在時に患者さんから呼び出しがあったら、いったん訪問看護師が向かい、必要に応じて申し出てくれていた医師に出勤依頼するという仕組みを取っています。ただ、このときに意識しなければならないのは、代理の医師に負荷をかけすぎないこと。できるだけ代理で出動した医師が、複雑な判断を迫られることがないよう主治医にお願いしています。その他急な代理要請にも対応可能であれば極力対応しようという紳士協定です。

たまな在宅ネットワークが機能し始めたことで、多くの医師が訪問診療中の患者さんがいても休みを取れるようになりましたし、わたし自身もロサンゼルスやシンガポールに行くことができました。わたしたち医師は、外来診療以外にも行政の会議や学会出張、産業医活動など、実にさまざまな仕事があります。そのような時に緊急対応してくれる医師がいるだけで、心置きなく不在にできる。たまな在宅ネットワークを構築する過程で、日常の臨床以外でも広く視野を持ち、充実した毎日を送ることの大切さを学びました。

ネットワークを医師から地域に

eibun_yasunari03―今後の展望について教えてください。

医師にもそれぞれのフェーズがあります。高齢で引退される医師、子どもが小さく、学校行事などで不在時の緊急対応をお願いすることが多くなる医師、反対にお子さんが成人されていて「趣味の時間さえ確保できれば、いつでも対応できる」と、積極的に緊急出動に応じてくれる医師―。

年月が経てばそれぞれの環境が変わるので、ネットワーク内での立場も変わってきます。だからこそ、長い目で見て“持ちつ持たれつ”の関係性を築いていくことで、医師の負荷も大きくなりすぎず、気持ちよく仕事を続けられるのではないでしょうか。たまな在宅ネットワークの存在意義はそこにもあると思っています。この4月で訪問診療する医療機関は31になりました。この数が増えれば増えるほど、参加医師の負担は軽減するはず。今後も参加者数を増やしながら、不在時対応に留まらない、ネットワークの活用法を模索していきたいと考えています。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    日本の当たり前を再考する渡航医学の視点

    さまざまな診療領域の中でも、コロナ禍で大きな影響を受けている「渡航医学」。中野貴司氏は日本渡航医学会の理事長を務めつつ、川崎医科大学の小児科教授、病院の小児科部長としても働いています。改めてこれまでのキャリアを振り返りながら、「渡航医学」の視点がキャリアにもたらすプラスの要素を聞きました。

  • 事例

    コロナで大打撃「渡航医学」の今

    新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって、大きな影響を受けているのが「渡航外来」や「トラベルクリニック」です。各国への出入国が従来よりも難しくなっている今、渡航医学(トラベルメディスン)の現状と未来を、日本渡航医学会理事長の中野貴司氏に聞きました。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る