介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指す介護老人保健施設(老健)。医師の間では「ゆったり働けるセカンドキャリアの場」として認知されている向きもありますが、介護老人保健施設とかち(北海道河東郡音更町)の森川利則氏は、長崎での血液内科医としてのキャリアの末に施設長に就任し、老健施設長という役割の可能性を実感しながら、精力的に活動しています。森川氏が語る、老健施設長の面白さとは―。
「ちゃんとしたお医者さんに診て欲しい」―施設長1日目の衝撃
―長崎で血液内科医として働いていたところから北海道の老健へと、大胆なキャリアチェンジを遂げられたのですね。
そうですね。わたしが北海道に着任したのは、介護保険制度が始まった翌年の2001年。大学時代の友人が運営に携わる法人の老健で、2年ほど施設長として働いてみないかとお願されたのがきっかけでした。
当時わたしは47歳。老健の実情をそこまで把握していたわけではありませんが、血液内科医としてのキャリアに一区切りついたこと、また、北海道という土地に昔から強く憧れていたこともあって、2年という期限付きならばと着任を決めました。
―実際に働いてみて、いかがでしたか。
勤務開始1日目から衝撃でした。入所者の肺炎に対応しようとしたら、ご家族から「ちゃんとしたお医者さんに診てもらうことはできませんか?」と言われてしまって。老健の医師は「ちゃんとしたお医者さん」として見なされないのかと意気消沈しました。
ただ当時、目的意識を持って老健に勤務しているという医師が限定的だったのも事実だと思いますし、施設の側も医師に多くを求めてはいないような雰囲気がありました。今も、「老健でこんなことがしたい」という目的意識から施設長を志すというよりは、引退した年配の医師がゆったりとした勤務環境を求めて老健に着任するというケースの方が一般的なのではないでしょうか。
そうした状況には少し残念な気持ちにもなりましたが、一方で「老健は日本の医療・介護システムの中で新しい役割持った施設なのだから、本気でやってみたら面白いかもしれない」とも思ったんです。長崎に戻って大病院で働くよりも、北海道の老健で自分にしかできないことに挑戦してみたほうが、これまでの経験を活かせるのではないか―そう考えて、約束の2年が過ぎたあとも、道内の他の老健で施設長として働くことを決めました。
初心に戻ってイヤーノートを熟読
―老健の施設長になってみて、大変だったことはありますか。
実務に影響が大きかったのは、臨床能力の面ですね。それまで血液内科一本でキャリアを歩んできたので、プライマリケア領域の診療能力には課題があり、50歳の時に一念発起して、総合内科の専門医を取りました。研修医が読むイヤーノートを読んで年下の医師に教えてもらいながら、20年以上ぶりに基礎を学び直したのは、今となっては良い思い出です。
それからもう一つ大変だったのは、法人外とのやり取りにも積極的に関与していかなければならなかったことですね。2施設目の老健は病院併設ではなかったので、いざという時に入所者を引き取ってくれる医療機関との関係づくりにも取り組まなければなりませんでしたし、地域包括ケアシステムの構築が叫ばれる中、自法人内だけを意識して施設運営をしていては限界が訪れるなと思ったんです。連携先の病院に非常勤医として在籍して、現場の医師と一緒に仕事をしてみたり、地域の集まりに積極的に顔を出したりして、助け合える環境づくりに励みました。
現在働いている介護老人保健施設とかちのスタッフにも、入所者の健康状態は日々しっかりとサマリにまとめておくなど、他施設との連携を視野に動いて欲しいとお願いしています。
老健の役割は、地域の医療・介護の隙間を埋めること
―老健で働いて10年以上が経ちますが、心境の変化はありますか。
この10年以上で介護関連の制度もどんどん変わっていきましたが、一つ実感するのは、老健には地域の溝を埋める役割があるのではないか、ということです。
本来、老健の役割は大きく2つ。一つは在宅医療を受けている方が在宅で暮らせるようにすること。もう一つは病院から自宅へ戻ってくるときにADLが低下していたり、認知症を抱えていたりする入居者にリハビリを行い、円滑な在宅復帰を促すということです。
ただ、地域の介護資源不足などによって、本来は特別養護老人ホームや療養病床で過ごすべき方が老健で過ごしているという事実が全国各地で見られるのも実情だと思います。医療と介護をつなぐ立場であるからこそ地域の医療・介護提供体制のしわ寄せがやってきやすいのが、老健の特徴と言えるのではないでしょうか。そういう意味で老健は地域性が出やすいのだと思います。
―介護老人保健施設とかちにはどんな地域性、特徴はありますか。
「まだまだ生きたい」「早く家に帰りたい」―そんな強い意志を持った入居者が多いのがこの施設の特徴だと思います。生きることに前向きな入居者たちの思いにふれながら、そのサポートができるのは、やりがいにつながっていますね。
実はこういう風に思うようになったのは、入居者との対話がきっかけなんです。
当施設でも一時期、入居者の看取りに積極的に対応していた時期がありました。通常であれば、亡くなったご遺体は施設の裏口から運び出されますが、死は自然なことだからと表玄関からお見送りをして、入居者一同でお別れをする―。入居者が安心して最期の瞬間をむかえられる、終の棲家としての役割を担えたらという思いからでしたが、ある時入居者に「やめて欲しい」と直訴されたんです。「人が死ぬのはやはり悲しいし、親しい人の死を見ると自分の死が怖くなる。自分たちが死に近いのは確かかもしれないが、この施設では、“どうしたらもっと楽しく生きられるか”を考えたいのだ」と。なるほどと思いました。
その時から、生きる希望を持っている人たちの気持ちの支えとなるようなサポートをすることが、この施設の役割だと気づいたんです。自分よりも人生経験豊富な入居者に接する中で、価値観ががらりと変わる出来事があるのも、この仕事のだいご味だと思っています。
本気で取り組む仕事を見つけるための“脱線”のススメ
―最後に、地方での勤務を考えている医師に向けてメッセージはありますか。
もしキャリアに悩んでいるのであれば、思いきって一度、キャリアを“脱線”してみるのも面白いと思います。
先ほど述べたように、北海道での勤務は当初2年の約束だったので、ここまでこの仕事にのめり込むことになったのは、わたしにとって想定外でした。しかし、本気で取り組む価値のある仕事を見つけられたという点で、あの時の“脱線”は必要だったと感じていますし、もし北海道に居続けていなかったとしても、この土地に来なければ得られなかった経験や出会いは、わたしの人生にとってかけがえのないものになったはずです。
わたしのキャリアの終着点は、この地域の人々の暮らしに向き合い、地域に根付いた老健をつくること。スタッフの教育に力を入れ、たとえわたしが辞めても、この地域の人々の暮らしを見守り続けられるような体制をつくっていきたいですね。
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