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在宅医療は「逃げ」ではない 外科医が気付いた医療の在り方―市原利晃氏(秋田往診クリニック)

2017年3月10日

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2007年、在宅医療とはまったく畑違いのキャリアを歩んできた医師が、秋田県ではじめての在宅医療専門クリニックを立ち上げました。理事長は、市原利晃氏。外科医として数千例のがん手術を執刀するなど、着実に実績を積み上げていた市原氏でしたが、あるとき在宅医療専門クリニックを見学し、在宅医療に対する考え方が180度転換。今では、「外科医の自分にしかできない在宅医療のあり方」を模索するようになったそうです。

 「秋田の医療は、遅れている」の一言に触発

―秋田県初の在宅医療専門クリニックを開業された経緯を教えてください。

開業するまでは、外科医として市中病院や大学病院など、さまざまな環境でスキルを磨いたり、後進指導に携わったりしてきました。一連の経験の中で、外科医としての技術には自信を持っていた半面、外科を学べば学ぶほど、手術では治らない患者さんも少なくないことも思い知りました。「手術をしても、一定数の患者さんは亡くなってしまう。だとすれば、手術以外の医学で何かできることはないか」と、検討した末にたどり着いたのが、在宅医療でした。

―もともと、在宅医療に興味をお持ちだったのですか。

いえ、かつてのわたしにとって在宅医療とは、「病院で医療を受けられなくなった患者さんの受け皿」というような認識でした。しかし、他県の在宅医療専門クリニックを見学し、病院では手の施しようがない患者さんが自宅で「生活」しているのを目の当たりにして、考え方が180度変わりました。見学させていただいたクリニックの医師に秋田県の医療の遅れを指摘されたことに触発されて、在宅医療専門クリニックの立ち上げを決意しました。

秋田往診クリニック―在宅医療の現場で見たことは、衝撃的だったのですね。

そうですね。在宅医療の現場に触れて、患者さんの生活や生き方の一端に触れたことで、それまで見てこなかった医療の別の世界を垣間見たような気がしました。たとえば、事故で頸椎を損傷して半身麻痺となった患者さんのお母さんが、人工呼吸器を外してたばこを吸わせている姿や、ヤニで真っ黒になった人工呼吸器の管。本来、健康のことを考えれば喫煙は禁止ですが、20代半ばの彼にとっては、喫煙が唯一の楽しみだったのです。いろいろな考え方があるとは思いますが、彼がリスクも理解した上で、喫煙を心から望んでいるのであれば、「禁止するべきではない」とわたしは思いました。

病院では、生きるために治療しているのか、治療するために生きているのか分からなくなるときがあります。しかし、在宅医療はよりよく生きるための医療。治療で辛い思いをするならば治療しないという選択も可能です。そのような医療ができることに、感銘を受けました。

在宅医が病院に「入り込む」

―開業してからは、どのような点に苦労されましたか。

開業当時、秋田県の在宅医療はまだまだ発展途上な状態でした。秋田市内に訪問看護師やケアマネジャーがおり、高齢患者さんが増えているという地域事情を鑑みても、「在宅医療を進めた方が良い」という雰囲気はあったのですが、実際に在宅医療を手掛ける医療機関はなかなかなく、土台がほとんどつくられていなかったのです。かつてのわたしと同じように、「患者さんを自宅に帰すこと=医学の負け」というような認識も当時は強かったのかもしれません。

そのような状況を打破する一手として、開業して比較的早い段階から、在宅医療の第一線で活躍できる人たちを有機的につなげるために「At home」という事例検討会を毎月開いて土台づくりをしてきました。定期的に集まることで関係性も構築されていき、現在は運営リーダーをケアマネジャーに任せて、ケアの担い手がより活発な意見交換をできるような雰囲気をつくり出せています。毎月の事例検討会には30~50名の方が、毎年行われる納涼会と忘年会には140~150名の方が参加しています。ケアマネジャーや看護師以外では、行政やマスコミ関係者、弁護士といった顔ぶれも。弁護士の方には、成年後見人制度に関係する事例などについて専門的なアドバイスをもらえるので、とても助かっています。

toshiaki_ichihara02―認識の変化を図るために、どのようなことを実践されたのですか。

1つは、在宅医療分野の学会のみならず、外科学や日本救急医学会でも積極的に発表を繰り返してきたこと。たとえば、自身の執刀手術の統計結果をもとに外科学学会で「本当に85歳以上の患者さんに手術をするべきか」と問題提起したり、救急医学会で「95歳の患者さんを救急搬送するのではなく、何もしないという選択肢があってもいいのではないか」と発表したりしてきました。強い反対意見をいただくこともありましたが、周囲の反応の変化から、少しは注目を集めることができたと感じています。

もう1つは、秋田市内の病院に「入り込む」こと。病院の外で紹介を待っているだけでは、入院患者さんの積極的な在宅医療への移行は進みません。しかし病院の中にわたしが行くことで、病院の医師たちは例えば退院支援のちょっとした相談などがしやすくなります。このように、まずはわたしとの接点を持ってもらうことで、在宅医療でできることの幅広さを知ってもらい、病院の医師の在宅医療への認識を変えられればと思っています。接点作りに関しては、ここでは、外科医のネットワークを持っていたことが非常に役立ちましたね。それを活用して、現在は秋田市内5カ所の病院にそれぞれ、手術の手伝い、在宅支援外来の設置、栄養サポートチームや緩和ケアチーム、退院支援回診に参加させてもらえるようお願いし、月に数回ずつ各病院に足を運び、病院の医師と接点を持てるようにしています。

これをゆくゆくは、より組織だった病診連携へと発展させられればと考えています。

外科ならではの在宅医療

toshiaki_ichihara03―外科医として、在宅医療を進める意義はどのような点にあると思いますか。

わたしは外科医として最先端の医学を提供してきた自負があるので、いざとなればある程度の治療は可能です。やろうと思えば最先端の医療を提供できるけれども、QOLを上げるために“あえて”治療しない。メスや化学療法に頼らない、幅広い選択肢を患者さんに提案したうえで、よりよく生きるための医学を患者さんの判断に委ねて提供する―これが、外科医が在宅医療を行う大きな意義だと考えています。

今後も、外科医という立場で地域の在宅医療を発展させていきたいですね。そうすることで、在宅医療が逃げの医療ではないことを示していきたいですし、医師個人のキャリアを拡げるきっかけになればとも考えています。

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