1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 可能性は無限大?医療者が「地域をデザインする」意義 ―倉本 剛史氏(在宅とつながるクリニック天草)
事例

可能性は無限大?医療者が「地域をデザインする」意義 ―倉本 剛史氏(在宅とつながるクリニック天草)

2017年3月16日

tsuyoshi_kuramoto1

長崎県で経験を積み、縁あって熊本県天草市の医療機関で勤務することになった倉本剛史氏。地域住民との交流を通じてこの地に愛着を持つようになった倉本氏は、「地域包括ケアも、町づくりも、さまざま分野の人が参画した形が良いのでは」と感じるようになり、医療を通じて『地域をデザインする』取り組みをはじめていきます。倉本氏が考える、理想的な地域と医療の関係とは?

医療で地域をデザインする

―2016年11月に「在宅とつながるクリニック天草」を開院されました。どのようなきっかけで地域医療に携わることになったのですか。

地域医療に興味を持つようになったのは2007年、天草のある病院に勤務医として働くことになったのがきっかけです。

長崎大学医学部卒業後、わたしは一貫して呼吸器・感染症を専門に研鑽を積んできましたが、大学病院や関連病院での勤務ということもあり、当時は地域医療にさほど問題意識もありませんでした。しかし天草という中山間地域の医療環境を知ったことで、「医療が受けられるのは当たり前ではない」ということを実感したんです。3年前、当時院長をしていたクリニックから10kmほど南にあった医療機関が院長急逝により閉院してしまい、半径10kmの無医地区ができてしまったことで、危機感はさらに募りました。自分にできることを考えた結果、NPO法人を立ち上げて有志の皆さんで訪問看護ステーションを始めるようになりました。高齢化・過疎化が加速的に進んでいく中、天草という市全体でできることを考えようと、天草のへそと言われている宮地岳に今のクリニックを開業したわけです。クリニックはNPO法人で購入した古民家再利用の施設の一部であり、どんな面白い活動ができるかなといつも頭をひねっています。

在宅とつながるクリニック天草―無医地区に対する危機感が、原動力となったのでしょうか。

それもありますが、もともとの原動力は、天草の農業や漁業、町づくりに携わる方々と深く関係を築いていくうちに芽生えた“地域への愛着”だと思います。さまざまな方々の思いに触れるにつれ、「人口が自然減少していくこの地で、地域包括ケアも町づくりも特定の人が頑張っているだけでは意味がなく、さまざま分野の人が参画していかなければいけない」と漠然と感じるようになったんです。そんな時に出会ったのが、地域で活躍できる医療リーダーを育成する「コミュニティ・ヘルスケア・リーダーシップ」という学びの場でした。ここで得た学びが、今のわたしをつくっていると言っても過言ではありません。

―「コミュニティ・ヘルスケア・リーダーシップ」で、どのような出来事があったのですか?

いろいろな視点や気づきを促されるワークスタイルの合宿(1泊2日×4回)だったのですが、ある時講師の先生が言った一言が私の胸に突き刺さりました。「一般の市民活動家が地域で何かを始めるには、まず地域住民に認めてもらうために現場に入り、歩き、交流を図ることがスタート地点となるが、医師はこのプロセスを踏まずとも、地域に入り込むことが容易にできる。医療を通じて『地域をデザイン』できることは、一活動家から見ると本当に羨ましいことですよ」と言われたんです。心から「ああ、なるほどなあ」と思いました。それからは、「医療を通じて地域づくりに貢献する」ことが目標になりました。

―「医療を通じて地域づくりに貢献する」とは。

たとえば、温泉街の街歩きを通じたヘルスツーリズムが企画された際は、医療者として意見を出させていただき、ロコモティブシンドローム予防のために天草保健所と天草の理学療法士グループが作成した天草宝島体操をプログラムに組み込んでもらったり、NPO法人に協力してくれている管理栄養士さんが考案した800kcalのランチメニューを提供したりしました。また、宮地岳地区は案山子(かかし)を使った町おこしや民泊を積極的に行っているので、NPO法人の古民家の母屋を有効活用してもらい、宿泊客・地域のお年寄り・子ども達との接点を持ちながら、健康維持・増進や地域の文化伝承に取り組んでもらえるための試みも現在計画中です。熊本地震の影響で一部中断せざるを得なかった取り組みもありますが、さまざまな形で医療に関われる活動を提案していき、それを継続していきたいと考えています。

わたしは医療者として地域の健康を守り、最期まで自宅で安心して暮らしてもらうこと、最期を過ごしたい場所で過ごせるよう全力で支えることを目指して取り組みを続けていますが、そればかり打ち出しても地域には浸透しません。地域で行われている活動に、いかに健康や社会問題解決の意識を入れてもらうか―。それを念頭に活動しています。

tsuyoshi_kuramoto2―かなりクリエイティブに、地域活動に参加されているのですね。

中には、必ずしも一見、医療とは直結しなさそうな取り組みもあります。
たとえば、子どもからお年寄りまで全世代が参加する「健康まちづくり会議」。これは、子どもたちも一緒に考えた「こんな町にしたい」というアイデアを実現させるため、大人も子どもも一緒になって真面目に考えるという仕組みです。

当院が位置する宮地岳地区は、人口約550人。65歳以上が48%を占めており、子どもが7人しかいません。小中学校は廃校となっているため、子どもたちは他地区の学校に通っているのが現状です。中学校も他地区へ通い、高校は市街地へ、大学は首都圏へと行ってしまったら、この地への愛着が薄れ、帰ってくる要素がなくなり、人口減少がさらに進んでいく―じゃあどうする?そんな問題意識からスタートした取り組みでした。

子どもたちが自分たちの言葉で地域のあるべき姿を考え、実現する方法を大人と一緒に考える。この過程で地元意識が芽生えたり、地元をどうしていきたいか考えられるようになったりしていくのではないかと考えています。一時的に他地域で学んでいても、将来は外で学んだことを還元してくれる―そんな子どもを地域全体で育てたいですね。こうした結果、地域が盛り上げれば、地元住民の協力のもとで、血の通った地域包括ケアが構築されていくはずです。

―アプローチの対象が幅広いだけに、困難も多そうですね。

そうですね。もちろんすべての取り組みが成功しているわけではありません。
たとえば独居の方のお宅訪問をサポートする体制を組もうとした際、すでに類似の取り組みをされている方に不利益を生じさせてしまう可能性があることも経験しました。良かれと思って考えた仕組みでも、関係者全員にとってメリットになるか否か、対立構造が生まれないかなど、しっかり考えなければならない難しさを感じましたね。そして、本当の意味で地域のためになることは何かを学びました。

医療との接点を増やす

tsuyoshi_kuramoto3―倉本先生が考える、地域医療に取り組む魅力は何でしょうか。

正解がなく、無限の可能性を感じるところです。自分で企画提案したことがうまくいったときの大きなやりがいや達成感も魅力の1つですね。

一口に地域医療といってもさまざまですが、うまくいかなかったことをうまくいくように工夫することができ、トライ&エラーを重ねることが好きなわたしにとっては、苦労よりもやりがいを感じます。その結果、地域独自の取り組みが生まれたり、将来的に他地域の参考にもなったりするのではないかと思います。10の失敗の上に1の成功が成り立つ、そんな心構えでやっていくのがコツなのかもしれません。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ――森本真之助氏(三重県 紀南病院)

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 事例

    運営休止した銚子市立病院で、60代医師が働きたいと思った理由―蓮尾公篤氏(銚子市立病院)

    大学病院、神奈川県の公的病院にて長年、外科医として勤務してきた蓮尾公篤先生。医師になったときから思い描いていたキャリアを実現させるべく、60歳を過ぎてから転職活動をスタートします。さまざまな選択肢の中から転職先に選んだのは、かつて運営休止に追い込まれてしまった銚子市立病院でした。蓮尾先生が銚子市立病院に入職を決めた経緯、今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    地元・山口に還元する家庭医が描く夢―玉野井徹彦氏(山口大学総合診療部)

    現在、山口大学総合診療部にて臨床・教育・診療体制の改善に取り組むのは、家庭医の玉野井徹彦(たまのい・てつひこ)氏。もともと同氏が医師を志した理由は、地元・山口県の環境保護に取り組むためというユニークなものでした。そんな玉野井氏が思う、山口県の抱える課題と将来実現したい夢とは――。

  • 事例

    町医者に憧れ、被災地で学び、家庭医として地元へ還元する―遠藤貴士氏(モミの木クリニック)

    現在、モミの木クリニック(福島県郡山市)で家庭医として勤務している遠藤貴士(えんどう・たかし)氏。初期研修時、「良い意味で“ごちゃまぜ”」な家庭医に魅力を感じ、家庭医療の道を志します。その後、被災した石巻市での活動を経て、東北地方に当時はなかったGIMカンファレンス(全国各地の有志が開く総合内科の勉強会)を立ち上げます。遠藤氏のこれまでの活動や今後の展望を取材しました。

  • 事例

    「ならば自分が」医師不足に心痛めて薬剤師から医師に ―佐藤英之氏(坂総合病院

    薬剤師から医師へ異色のキャリアチェンジを果たした佐藤英之氏。鹿児島県の調剤薬局で働いた経験などから、地方医療における医師不足や、これに伴う患者の選択肢の少なさについて危機感を抱いていました。これまでの経験を活かし、佐藤氏が歩もうとしている道とは──。

  • 事例

    救急医療改革で、より多くの患者さんを救える日本へ――安藤裕貴氏(一宮西病院)

    安藤裕貴氏は、日本の救急医療に課題を見出し、MBAを取得。2018年からは、ビジネススクールで学んだマネジメントの知識を生かし、一宮西病院(愛知県一宮市)で総合救急部救急科部長として救急改革に取り組んでいます。さらに、改革の輪を全国に広げようと、若手医師の育成にも尽力。安藤氏が思い描く理想の救急医療の姿と、理想の実現に向けた取り組みを聞きました。

  • 事例

    北海道の若手医師のために、道外へ飛び出した総合内科医のビジョン―小澤 労氏(国立病院機構栃木医療センター)

    北海道出身の総合内科医・家庭医、小澤労氏が初期研修を経て感じたのは、「北海道では、自分のなりたい医師にはなれない」ということでした。尊敬する医師の言葉に背中を押され、道外へと踏み出します。小澤氏が思う、北海道が抱える総合内科教育の課題と、若手医師を救うためのビジョンを取材しました。

  • 事例

    医師の働き方改革、若き離島医が抱える想い―砂川惇司氏(大原診療所)

    将来は故郷に貢献したいと考え、医師を志した宮古島出身の砂川惇司氏。離島研修が受けられる沖縄県立中部病院で研さんを積み、2017年より沖縄県西表島の診療所に赴任し、専攻医として日々診療にあたっています。「医師の働き方改革」の渦中にもいる砂川氏に、離島医としての想いや今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    診療への悶々とした思いが一転 国内留学で得た衝撃とは ―河南真吾氏(徳島県立海部病院)

    河南真吾氏は医学生のときに同行した訪問診療の衝撃から、徳島大学卒業後に母校の総合診療部に入局します。総合診療部で日々診療する中で、ある悶々とした思いを抱き始めます。そんな折、亀田ファミリークリニック館山への国内留学をきっかけに、30代半ばにして自らの役割を見出しました。それまでの気持ちの変化や現在の活動拠点である徳島県立海部病院での取り組みを伺いました。

  • 事例

    市中病院から大学病院に入局した理由―近藤猛氏(名古屋大学医学部附属病院)

    学生時代、ある勉強会に参加したことを機に、将来の展望が大きく変わった近藤猛氏。市中病院で研鑽を積んだ後、名古屋大学医学部附属病院の総合診療科に入局し、現在は院内外で「教育」に携わっています。教育を通してどのようなことを実現しようとしているかを伺いました。

  • 人気記事ランキング