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人生のエンドロールに、もっと多くの選択肢を―星野彰氏(岩手県立中部病院)

2017年5月19日

残された時間を自宅で過ごしたい―そう思う患者が多いものの、日本では8割が病院で亡くなっているのが現状。しかし、岩手県のとある地域では、がん患者の半数近くが自分の希望した場所で最期を迎えています。この立役者となったのが、岩手県立中部病院で緩和医療科長を務める星野彰氏です。患者自身が思い描く“人生のエンドロール”を実現させるために、どのようなサポートをしているのでしょうか。

消化器外科からキャリアシフト

―東北大学を卒業後、消化器外科医としてキャリアを積んできた星野先生。なぜ、緩和ケア・在宅ケアに取り組むようになったのでしょうか。

わたしは日本で緩和ケアがあまり認知されていなかった時期に、本を通じて英国にホスピスという場所があることを知りました。そこに書かれていたのは、積極的な治療を行わず、痛み止めを使いながら最後の時間を穏やかに過ごす患者さんたちの姿。何もかも、初めて知ることばかりでした。また、同じころに出張先の地方病院で在宅の看取りを初めて経験。それまでは、病院で亡くなるのが当たり前と思っていましたが、病院とは全く違う穏やかな最期の迎え方で衝撃を受けました。わたしが診ている患者さんにもこのようなケアをしていきたいと一念発起し、勉強を開始。岩手県立北上病院(現・県立中部病院)に外科医として着任したときに、院長の理解もあり、緩和ケアを始めたのです。

最初はわたしの担当のがん患者さん、徐々に外科、内科の患者さんへ緩和ケアが導入されていきました。痛みをコントロールできるようになってきた段階で、家に帰りたいという患者さんの希望を叶えるべく訪問診療を開始したところ、入院患者さんが積極的に家に帰るように。初年度は20人弱でしたが、3年後には40人を超えるようになりました。他科の医師にも手伝ってもらっていましたが、だんだん院内の医師だけではカバーすることができなくなってしまって―。そんな折に、地域の開業医の先生が「退院後のケアは任せてください」と協力してくれるようになり、とてもありがたかったですね。

―緩和ケアや訪問診療の取り組みは、地域の先生方もご存知だったのですね。

はい。地域住民のケアには、病院と医師会が良好な関係を保っていることが重要と考えていたので、医師会の会合などに頻繁に足を運んで交流を持つようにしていました。それもあって、わたしたちの取り組みを評価してくれたのかもしれません。

退院後も痛みのコントロールはわたしが、日常的なケアは開業医の先生方が、という協力体制のもと、在宅医療に移行できる患者さんが増えていきました。北上市のがん在宅看取り率は2001年時点で7%程度でしたが、2003年には20%を越えるようになったのです。

現在は、在宅ケアを希望する患者さん全員に地域の診療所や病院の他の医師を紹介し、わたし自身は訪問診療を行っていません。わたしが調整役に徹するほうが、患者さんにとってベストなケアを、病院も地域も提供できることが分かったからです。

患者の意志を尊重するために

2009年に県立北上病院と県立花巻厚生病院が統合して、県立中部病院が誕生。新しいスタートを切るにあたり、緩和ケア病棟が新設されました。星野氏は、これまで北上病院で行ってきたがん患者への緩和ケアと在宅移行の取り組みを加速させるために、緩和医療科長、そして医師会とのさらなる連携強化を図るため、地域医療福祉連携室長に就任しました。

―緩和医療科長として、現在注力されていることは。

緩和ケア病棟や緩和ケアチームの充実はもちろんですが、早期からの緩和ケアや在宅ケアの導入のためには、緩和ケア外来の役割が重要だと考えています。入院してから在宅ケアの準備を始めるのではなく、外来で化学療法を受けている時から支援が開始されれば、患者さんと家族は安心して自宅で療養を続けることができるからです。

―入退院を経ず、患者がスムーズに在宅ケアを受けられるよう、工夫をされていることはありますか。

緩和ケア外来は一人1時間の予約制で、痛みどめなどの処方をするほかに、日常生活の様子を伺い、その内容をふまえて、自宅での生活を支えるための「早めの情報提供」を行っています。
これは、いざというときに患者さんの希望に基づくケアが提供できるように、元気なうちから今後必要になりうる情報を提供するものです。たとえば、介護用ベッドなど在宅医療に必要なものをあらかじめ伝えたり、訪問診療を受ける場合の手順を説明したり―。金銭的な負担の度合い、在宅ケアをはじめるまでの手続きなど事務的なことも併せて伝えておき、患者さんが在宅支援の必要性を感じたら、外来に連絡をもらうようにしています。その際には、どの医師に訪問診療してほしいかも、選んでもらっています。

―早めに在宅ケアに関する情報提供を受けることで、患者自身が今後の方針を決められ、納得のいくケアを受けられる。

その通りです。なかには在宅ケアではなく、緩和ケア病棟を希望する患者さんもいらっしゃるので、その場合には早めに緩和ケア病棟を見学していただきます。そうすることで緩和ケア病棟は、最後に仕方なく行く場所ではなく、症状が出て困ったときに安心して入院できる場所という位置づけになります。
患者さんの体力に余裕のある段階で情報提示することで、自分がどこでどのように過ごしたいかを考える猶予が生まれるので、結果的に納得のいくケアを受けることができるのです。

地域一丸となって、患者を支えていく

―外科医から緩和ケア中心のキャリアへ軸足を移した、その原動力とは。

一番根底にあるのは「この地域の人たちの役に立ちたい」という思いです。地域のみなさんが幸せに暮らせるように医療面から支えることが、わたしの役割だと考えています。がんになった方に、いつでもどこでも緩和ケアを受けられるようにしたい。ただ、院内だけで頑張っても限界があるため、地域一丸となってがん患者さんを支えることが必要。だからこそ、わたしは緩和ケアと地域連携に注力しているのです。

―患者主体の緩和・在宅ケアが広がることで、終末期の過ごし方も多様化しそうですね。

そうなることを願っています。

日本では、残された時間を自宅で過ごしたい方が多いにもかかわらず、8割の方が病院で亡くなっているのが現状です。一方で私たちの町では、自宅で亡くなるがん患者さんが約2割、緩和ケア病棟で亡くなる方も含めると4~5割。つまり、地域のがん患者さんの約半数は自ら希望した場所で最期を迎えているということです。これは、約15年かけて医師会や地域の方々と協力体制を築けられたからこその成果だと思っています。引き続き、より多くの方がこの地域で幸せに暮らせるよう、手を尽くしていきたいですね。

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