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医師3年目から単独でへき地へ「無理し過ぎない」ための解決策とは?―伊左次 悟氏(県北西部地域医療センター国保白鳥病院)

2017年2月7日

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自治医科大学を卒業後、医師3年目から約10年間、岐阜県白川村の医療を一人で守ってきた伊左次悟氏。若くして地域住民の健康を一手に担い、責任とやりがいを感じる日々を送っていたものの、一人で地域を支え続けることに行き詰まりを感じるようになったそうです。そんな伊左次氏が働き方を変えたのは、2015年。白川村の診療所が県北西部地域医療センターに組み込まれ、他の国保病院・診療所とチームを組んで地域の医療体制を支えるようになったことがきっかけです。医師個人でなく、チームで地域医療を支える体制へと変わる転換点で、伊左次氏が考えることとは―。

約10年間、一人で白川村の医療を守る

―これまでどのようなキャリアを歩まれてきたのですか。

自治医科大学を卒業後、医師3年目で岐阜県白川村に赴任して以来この地で診療にあたり、今年で12年目を迎えます。

―赴任当時、若くして1人で地域を支えなければならないというのは、相当なプレッシャーだったのではないでしょうか。

確かに、最初は大きなプレッシャーを感じました。学生時代から地域の医療機関で研修を受けたりしていたので、地域の診療所がどのようなものなのか何となくイメージはつかんでいたつもりですが、実際に白川診療所、平瀬診療所の所長として赴任が決まると、自分一人で地域住民の健康を守ることへの責任の重さをひしひしと感じたものです。

故郷である岐阜県とはいえ、わたしの出身地は愛知県に近い御嵩町。一方、白川村は富山県に近く、地形や気候が地元と異なり、生活文化にも馴染みがない地域です。わたしは新医師臨床研修制度が始まる前の世代なので、3年目でへき地の診療所に勤務することはさほど珍しくないのですが、医師としても修業段階にあった自分が、まったく知らない人々の中に診療所所長として飛び込むことには、不安しかありませんでした。

―実際に赴任してみて、そうした不安はぬぐいされましたか。

そうですね。実際に赴任してみると、想像していた以上に自分の成長を実感できる機会が多く、徐々に不安は和らぎました。
1日1日をしっかり振り返り、その記録を定期的に見返して成果を洗い出す。課題があれば目標を立てて取り組む―そんな毎日を繰り返すうちに、以前できなかったことができるようになっていたり、患者さんや地域の課題が解消されたりすることが実感できたんです。「自分の限界が、この地域内でできる医療の限界」という使命感もあって、自分の成長ややりがいを実感しやすかったのかもしれません。

一人所長から、へき地医療を守るチームの一員に

群上市_map―一人で診療に当たる不安以上に、やりがいが勝っていたのですね。

はい。診療所をはじめ現場のスタッフや住民の方々がわたしの大変さを理解し、配慮 してくださったことも大きかったですね。「やれるところまで一人で頑張ろう」と思いながら地域の患者さんと向き合えたと思います。

とは言え、正直なところ、体力的・心理的な負荷がそれなりに大きかったのも事実です。勤務を続けるうちに、自分一人で地域を守っていく限界も実感しました。医師が複数名体制で診療を行った方が、技術を切磋琢磨でき、一人ひとりの負荷も軽減できるはず―当たり前のことですが、それを実現させる糸口が思い当たらず、徐々に行き詰まりを感じるように。そんな折に、「県北西部地域医療センター」に白川村も組み込まれることが決まったんです。

―県北西部地域医療センターについて、詳しく教えてください。

隣接する郡上市の国保白鳥病院を拠点として病院・診療所でネットワークを構築して、へき地医療を担っていく仕組みです。白川村の診療所が県北西部地域医療センターに組み込まれたのが2015年、2年目の2016年には年次の若い医師が白川村内の診療所長として県から派遣されたことを受けて、わたしは国保白鳥病院の所属となりました。徐々にチームで地域を支えていくための体制が整えられるようになって行き、現在はわたしは県北西部地域医療センターの一員として、郡上市内や白川村、隣の高山市内の医療機関をローテーションしています。

“無理をしすぎずに”、へき地医療を担う

satoru_isaji02―県北西部地域医療センターについて、どのようにお考えですか。

誰か1人が“無理をしすぎずに”へき地医療を担える点で、非常に優れた仕組みだと考えています。

単独で診療にあたっていた頃は、自分のやっていることが本当にスタンダードなのかが分からず、自信が持ちづらい状況でした。しかし今回、県北西部地域医療センターの一員になったことで、違う医師のやり方も知る機会が増えて、視野も見解も広がりました。

へき地医療は常に人手不足に直面せざるを得ませんが、このように基幹病院を拠点として診療所をチームで守っていく体制があれば、地域に根差した医療提供を可能にするのではないでしょうか。個人的には、このような環境があることで地域医療に対するハードルが下がり、地域医療を希望する医療従事者が増えていってほしいと思います。

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