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東京の緩和ケア医が、離島の予防医療に挑む理由―岩瀬哲氏(東京大学医科学研究所附属病院)

2017年4月28日

九州本土から高速船で40分ほどの距離にある鹿児島県薩摩川内市甑島(こしきじま)。『Dr.コトー診療所』のモデル医師、瀬戸上健二郎氏が活躍していたこの離島で、東京大学医科学研究所附属病院の緩和ケア医・岩瀬哲氏が新たな試みを始めました。東京を拠点に取り組む、離島での予防医療とは――?

甑島で始まった予防医療

―まず、甑島の医療体制について教えてください。

離島という地域特性もあって、島内だけではあらゆる医療ニーズを満たしきれないのが実情です。とりわけ緊急搬送は九州本土、つまり島外へ渡る必要がありますが、そのおよそ半数は骨折。骨折は、要介護生活に直結する可能性があるため、島民が住み慣れた自宅で暮らし続けるためには「骨折前の転倒をいかに防げるか」という予防医療的なアプローチが必要だと考えています。

こうした背景もあって、2017年4月から、甑島を有する薩摩川内市と東京大学医科学研究所附属病院が共同で、予防医療の質を向上させ、健康寿命を延ばす研究を始めました。この研究では、高齢者の転倒・骨折を防ぐための「みまもりケア」というシステムを考案。「みまもりケア」開始後の5年間に骨折による緊急搬送数と、それに伴う介護保険申請率をどれだけ減らせるかを検証していきます。

―「みまもりケア」では、具体的にどのようなアプローチを取っているのでしょうか。

対象は、40歳以上の島民約3000人。まずは、年1回、骨粗鬆症や心肺機能の調査を含めた健康診断を実施します。その後は週2回、ロコモティブシンドローム予防の体操を行いながら、日常生活動作(ADL)の変化を自己診断してもらいます。毎月、その結果を報告してもらい、わたしたちがデータを解析していくというものです。
わたし自身の活動拠点は、基本的には東京で、必要に応じて、甑島で定期診察をしている相良病院(鹿児島市)に依頼し、医師による経過観察や治療介入を行ってもらいます。

緩和ケア医が予防医療に取り組む理由

―なぜ、緩和ケア医である岩瀬先生が、予防医療に取り組むようになったのでしょうか。

緩和ケアに携わる中で学んだことを、離島の予防医療にも応用できるのではないかと思ったからです。わたしは多くの乳がん患者さんの痛みを取り除くために試行錯誤を繰り返してきましたが、乳がんは標準治療が提供されても約2割の方に全身転移が起こると言われています。患者さんたちは治療し退院後も、「いつ苦しくなって緊急搬送されるか」という大きな不安と隣り合わせの生活を送ることになります。

こうした不安を和らげるためには、何が必要か。大切なのは、「患者さんが自宅に戻った後も医療者が日常生活動作の変化をいち早く察知し、症状で苦しむ前に介入できる体制をつくっておくこと」だと考えました。東京大学医科学研究所附属病院ではこうしたコンセプトで、がん患者さん向けに予防医療システムを導入し、多くは家族からの情報で退院患者さんの変化をITデバイスで把握。わたしたちが24時間体制で見守ることで、連携している在宅診療医と予定入院の相談をしています。

甑島の「みまもりケア」にも通じる考え方ですが、患者さんは、自宅で“急に”具合が悪くなるのではなく、その兆候がADLに表れているはずなので、それを見逃さず、早期に必要な手立てを打っていくことが必要だと考えています。

―緩和ケアの現場で、患者さんの不安を取り除くために構築した予防医療システムの概念を甑島に取り入れたのですね。

はい。がん患者さんだけでなく、まだ疾患が顕在化していない人々に予防の大切さを啓発できれば、緊急搬送を防ぐことができると考えました。実際に欧米では、こうした予防医療の検証効果が徐々に現れてきています。日本でも予防医療への関心は高まっているものの、救急医療の方に偏重しており、慢性疾患の二次予防はごく一部に留まっています。

研究者として、まずは、骨折による緊急搬送数や介護保険申請率の減少という明確な指標のもと甑島で「みまもりケア」による予防医療を実践し、その有効性を実証して社会にインパクトを与えていきたいですね。

事後だけでなく事前の医療も充実させる

―予防医療の普及に携わってみて、課題に感じることはありますか。

やはり、医療従事者を含めて二次予防医療への関心は、まだまだ低い。地域医療の充実を図る際、ドクターヘリなどを通じて緊急搬送体制を整えることも大切ですが、「その緊急搬送は防ぎ得たのではないか」「緊急搬送前に何らかの対処ができなかったのか」といった議論は活発にされていないのが実情です。しかし、起こってからの対処ばかりではなく、起こる前の予防が充実しなければ、人々の安心は担保できないのではないかと、わたしは思うんです。

どんな医師でも、誰もが健康に、安心して過ごせることを望んでいるはず。1日を過ごす場所も、非日常の病院よりも、なるべく自宅で過ごしてもらいたい。縁あって甑島で共同研究の機会をいただいたので、島民の方々の健康寿命を延ばしながら「みまもりケア」の効果をしっかり示し、新しい予防医療のシステムを構築していきたいと考えています。

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