キャリア事例
自分らしく働く医師のキャリア事例をご紹介します。-
事例
離島医を増やすために、離島医療の質を評価・検証したい―金子惇氏
大学時代に出会った離島医に憧れて、沖縄県立中部病院の離島医養成プログラムを通じて伊平屋(いへや)診療所で3年間経験を積んだ金子惇氏。現在は、東京の診療所に所属しながら、離島医療の質を評価・検証するための研究に取り組んでいます。
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事例
敷居の低い、地域に寄り添う精神病院を育む―小林和人氏
山形県酒田市の山容病院で理事長を務めている小林和人氏。患者さんの社会復帰を最大の目標とする同院では、各種勉強会やプログラムを実施。アルコール依存症、認知症など、さまざまな精神疾患の早期受診を促せるよう努めています。
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事例
離島から考える、国際協力への道―小澤萌氏
離島診療所医師養成プログラムを終え、2016年4月より、沖縄本島から約360km離れた北大東島で勤務を始めた小澤萌氏。国際協力への興味から医師を志した小澤氏が、沖縄を研修先に選んだ理由とは。
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事例
地域医療で福井県高浜町を元気にした、4つの心がけ―井階友貴氏
かつて、住民の医療への関心度が非常に低かった福井県高浜町。現在は「たかはま地域医療サポーターの会」が精力的に活動していたり、地域住民が集う健康カフェで出た意見が行政協力のもと、すぐに実現したりしています。そんな数々の活動の火付け役となったのが、医師の井階友貴氏です。
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事例
未来を担う若手医師を、石巻で育てたい―長純一氏
東日本大震災後、長野から石巻に移り住んだ、長純一氏。石巻を移住先として選んだのは、この地に若手教育の拠点を作るため。東北の医師不足を解消する一手として、総合診療医の数を増やしたいと考えている長氏は、現在所長を務める開成仮診療所にて、総合診療医教育に取り組もうとしています。
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事例
南大東島の住民も協力。離島医療を変えた取り組み―太田龍一氏
南大東島に3年間赴任していた太田龍一氏。現状に違和感を抱き、地域住民とコミュニケーションをとる中で彼らの気持ちに気付いた太田氏は、100年近く続いていた医療システムの改善に取り組みます。住民の「地域をよくしたい」という強い思いに、どのように応えていったのでしょうか。
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事例
地域医療も、EBMも、自分自身で面白く―名郷直樹氏
デイビット・サケットの『クリニカル・エピデミオロジー』という本を読み、医師人生が変わったと語る、武蔵国分寺公園クリニックの院長・名郷直樹氏。本からの学びを、日々の診療にどのように活かしているのでしょうか。
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事例
国際保健は、地域医療の延長線上にある―吉田修氏
国際保健を志す学生が話を聞きたい医師・吉田修氏。現在、吉田氏は徳島からザンビアの医療を支えるための仕組みづくりに取り組んでいます。
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事例
病気ではなく、その病気を含んだ患者さんの人生がみたい―江角悠太氏
研修医時代に緩和医療に感銘を受け、家庭医療学を学んだ江角悠太氏。「自分が診たいのは病気ではなくて、その病気を含んだ患者さんの人生だ」と気付きます。現在は志摩市民病院の院長として病床存続、一医師として地域の課題に向き合っています。
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事例
最期は在宅という選択を増やす―安井佑氏
社会的にも求められている在宅医療。板橋区やまと診療所の安井佑氏は、現場の負担を軽減するために、米国のPA(Physician Assistant)制度を取り入れています。
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事例
松阪市を支える、夜間休日診療に特化したクリニック―良雪雅氏
「誰でも運営できる、持続可能な応急クリニック」を広げていきたいと考えている良雪雅氏。持続可能なために必要不可欠なこととは?
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事例
生涯現役の救急医モデルを新潟から―佐藤信宏氏
出身地である新潟市を拠点に、救急医療における臨床、研究、教育を実践する佐藤信宏氏。経験を重ねるにつれ、救急医療が秘める可能性を実感し、「一生続けられる救急医」というロールモデルをつくっていきたいと語ります。
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事例
地域と多職種間の連携が、医療の力を強めていく―古屋聡氏
在宅医療に取り組みながら、口腔ケアの啓発活動を積極的に行っている山梨市立牧丘病院院長の古屋聡氏。東日本大震災後、気仙沼で口腔ケアの取り組みをしていた古屋氏は「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート(通称ふるふる隊)」というサポートチームをつくり、現在も東北で勉強会活動などに取り組んでいます。
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事例
都市と地方、双方の医療課題を解決していきたい―水上潤哉氏
のどかな田園と日々発展する住宅街の側面を持つ相模原市にて、外来と訪問診療を行うクリニックを開業した水上潤哉氏。同院でロールモデルをつくりたいと意気込むその背景とは――。
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事例
地方でも、気軽に「家庭医」を目指せる環境を―藤谷直明氏
生まれ育った大分県で家庭医として働くことを志し、現在は由布市の診療所に勤務している藤谷直明氏。プライマリ・ケアの認知度向上と医学生の教育に日々励んでいる藤谷氏が思う、家庭医療の教育における課題とは?
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事例
医師として、一個人として、積極的に地域づくりに関わっていきたい―藤戸孝俊氏
学生時代から「医療を通じて、人々が暮らしやすい社会をつくりたい」という思いを持ち続けている藤戸孝俊氏。現在は宮城県石巻市にて、コミュニティづくりに力を入れています。
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事例
今の救急医療に歯がゆさを感じた。自分がやるしかないと思った ―上原淳氏
2010年7月、埼玉県川越市に日本初の個人救急クリニックを1人で開院させた上原淳氏。「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」と語る上原氏に、これまでの歩み、埼玉の救急医療現場の実情などについて伺いました。
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事例
「医の原点」を教えてくれた奄美から、温かい医療を広げていく―平島修氏
奄美大島で研修医教育に励む平島修氏。課外活動として、身体診察を学び医療について熱く語る「ジャパンフィジカルクラブ」の主催者としても知られています。
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事例
地域に合わせた仕組みで、医療にイノベーションを―池ノ谷紘平氏
都市から少し離れた地方には、開業医の引退により医療アクセスが悪くなっている地域があります。こうした状況を解消すべく、東京から栃木県益子町のクリニックまで毎日通勤している池ノ谷紘平氏。どのような思いからこの取り組みを始めたのでしょうか。
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事例
地域医療に踏み出せたのは、安心して診療できる環境があるから―前田宗久氏
2015年7月、種子島唯一の産婦人科がある種子島産婦人科医院に着任した前田宗久氏。地方で働く不安はあったものの、「種子島なら安心して働ける」と思い、現在に至ります。