1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 今の救急医療に歯がゆさを感じた。自分がやるしかないと思った ―上原淳氏(川越救急クリニック)
事例

今の救急医療に歯がゆさを感じた。自分がやるしかないと思った ―上原淳氏(川越救急クリニック)

2015年11月16日

junuehara1

2010年7月、埼玉県川越市に日本初の個人救急クリニックを1人で開院させた上原淳氏。前例のない運営形態に、医療業界のみならず、多方面からも注目が集まりました。今年で開業5年目を迎え、医師もスタッフも増員した川越救急クリニック。上原氏にこれまでの歩み、埼玉の救急医療現場の実情などについてお話を伺いました。

このままでは、埼玉の救急医療は崩壊すると思った

―これまでのご経歴、開業のきっかけを教えてください。

産業医科大学を卒業後、広い視野で手術を管理できる麻酔科を選びました。しかし、指導医まで取得した時点で、「患者の予後にもっと直接的な影響をおよぼせるようなことをしたい」と転科を考えるようになり、集中医療と救急に興味を持ち始めました。ある時期から救急病院の当直をするようになり、そこで初めて救急の世界に触れました。

実際に救急に携わるようになって、この仕事の魅力を実感したのは、自分が初療した患者さんが後日、元気になってあいさつに来てくれたときでした。麻酔科ではお礼を言われた経験がなかったので、感謝されることがすごくうれしかったんです。そこから独学で救急の勉強を始めましたが、プリベンタブルデス(防ぎえた死)に直面して「今後救急をやっていくうえでは、3次救急の経験がないと務まらない」と強く感じました。

ご縁があって、2001年から埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターに勤務することになりました。埼玉に来た当初は、3次救急病院で数年経験を積んで、ゆくゆくは福岡に戻って2次救急をやろうと考えていました。わたしとしては埼玉に修行に来ていたつもりだったのですが、3年目で医局長になって考えが変わりました。「このままでは埼玉の救急医療は崩壊する」と思ったのです。

―なぜ、埼玉の救急医療に危機感を抱かれたのでしょうか。

kawagoe_map埼玉に来て最初に感じたカルチャーショックは、救急車の受け入れ体制。福岡では、救急隊が医療機関に問い合わせれば、2件目までに搬送先が決まることがほとんどでしたが、埼玉では軽症患者でも10件以上断られることが珍しくありませんでした。当時、埼玉は救急車の受け入れ数が全国ワースト3、さらに県内の2次救急病院の数は100以上ながらも、救急車を1日1台以上受けているところは半分以下という実情でした。救急車に応じる医療機関と応じない医療機関が鮮明に分かれており、特定の医療機関に救急患者が集中するという現象が起きていたのです。

医局長として埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターで働いていた当時、現場だけではなく県全体を見て考える立場になり、そのような現状をどうにかしたいと強く思うようになりました。専門が麻酔、転科して救急と開業に至りにくい道のりを歩んできましたが、開業を決意した理由の1つとして、九州でわたしを指導してくださった先生方が「誰も診ないなら、俺が診る!」という気概をお持ちだったこともあるのかもしれません。

全国各地に広がる、救急特化型施設

―上原先生の働きかけによって、救急現場に変化はありましたか。

junuehara2まだまだ課題は山積みですが、受け入れ状況に関しては多少なりとも改善されているのではないでしょうか。医師が新たに加わって営業日が増えたこともあり、患者数も、救急車受け入れ台数も右肩上がりです。

昨年から、救急医療機関の空き状況、診療科目などがわかる情報システムを県で導入しています。救急隊が、どの医療機関に救急車を何台運んだ、断られた…という情報が全部一覧になっているんです。昔はうちに来るのが40件目ということもザラにありましたが、最近は5件目くらいで来るようになりました。救急搬送受入数推移

―他県でも救急に特化した医療機関が立ち上がる動きがありますね。

そうですね。実際に見学に来てくださった先生方を案内したり、メールで相談を受けたりしました。わたしが開業した経緯とは異なりますが、三重県のように医師の高齢化に伴い休日夜間診療が難しくなってしまった地域で、若手医師が市と協業して救急クリニックを開業するケースもあります。ほかの地域においても、来年オープンする施設の話をいくつか伺っています。

―先生自身、このような動きについてどうお考えですか。

junuehara3救急特化型のクリニックは増えるべきだと思っています。特定の医療機関に患者が集中して、緊急度の高い患者が掛かれないという事態を軽減するためです。1次、2次救急をしっかりと診られる医療機関が各地に存在することで、救われる患者さんは多いはずですから。とはいえ、実際に同様のクリニックが各地に広がるかどうかは、先遣隊とも言える当院が成功するかどうかにかかっているでしょう。

当院が成功する上で一番の課題は、経営だと思っています。これまでに10人近くの先生が見学に来てくださいましたが、最後に収支の話をすると、「厳しいですね」と言いながら帰っていきます。これまでない運営スタイルである分、診療報酬や国の制度の枠組みを外れる部分もあって厳しさもありますが、最近メディアで取り上げていただける機会が増えたことで、以前よりも応援の声をいただけるようになりましたし、行政の側も理解も得られるようになってきました。少しずつではありますが、改善の兆しが見られているように思います。

興味のある方は、ぜひ一度見学に来てほしい

川越救急クリニックのような医療提供に興味を持っているけれど、なかなか一歩踏み出せないという方はたくさんいると思います。思いはあっても、二の足を踏んでいる人たちの一助になればと思い、昨年NPO法人日本救急クリニック協会を立ち上げました。興味のある方には、協会への参加はもちろん、ぜひ一度川越救急クリニックまで見学に来てほしいですね。見学といいながら、何かしら手伝ってもらうとは思いますが、実際に体験して考えてみるのも1つだと思います。

junuehara4前例がないことを始めることは、すごく勇気がいると思います。これはわたしの信念ですが、やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい。周りから無茶だと言われても、批判を受けても、自分が正しいと思うことが何よりも大切ではないでしょうか。

川越救急クリニックでの診療は体力的にはしんどいですが、毎日やりがいを感じています。運ばれてきて帰っていく患者さんには「ここがやっていてよかった」、救急隊の方々には「開いていて助かりました」と言っていただける瞬間が、何よりもうれしいですね。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る