医師不足により夜間休日診療が難しくなってしまっていた三重県松阪市。2015年11月、良雪雅氏はこの地に夜間休日診療に特化した「いおうじ応急クリニック」を開業しました。良雪氏が最優先に考えていることは、誰でも運営できる持続可能なモデルであること。そのために重要な視点、その視点を養ってきた経緯を伺いました。
大病院へのゲートキーパー兼ゲートオープナー
-「いおうじ応急クリニック」の特色を教えてください。
大きく2つの特色があります。1つは診療時間。夜間休日に特化した診療を行うため、毎週金・土は18時半~翌8時、木・日・祝日は12時半~20時を営業時間としています。
2つ目は役割。当院は、ゲートキーパーとしての役割のほか、来院した患者さんをトリアージして精密検査が必要な方を大病院に送るゲートオープナーのような役割を担っています。救急専門の医療機関の中には、施設内に高額な精密検査設備をそろえているところもありますが、当院は誰が経営しても持続可能な形態にしたいという思いも込めて、あえてトリアージと応急的な治療に特化しています。
当院のような医療機関が夜間、ウォークインの軽症者の初療に力を発揮すれば、地域の救急車出動数を減らすこともできると自負しています。
-どのようなご経歴を経て、開業に至ったのですか。
わたしは岐阜県恵那市出身で、大学は三重大学医学部に進学しました。故郷を離れて驚いたのが、人口約28万人の三重県津市を、名古屋や大阪、東京から来た同級生が「こんな田舎に来たくなかった」と言っていることでした。わたしからすると、故郷より人口が5倍も多い大都会。これでは故郷のような地域はどんどん忘れさられていくと感じ、地域活性化をしっかりやっていきたい、医療を使って何かうまくできないだろうかと考えるようになりました。
その折に、当時医学部教授であった西村訓弘先生(現・三重大学副学長)から「何か変えようと思ったら、ビジネスの考え方を学ばなければならない。医療の世界も、自己犠牲で回る仕組みではなく、お金で回る仕組みが必要だ」という話を伺い、衝撃を受け、仕組みづくりをする人になりたいと思うようになりました。そうなるためには、多くの企業が集まる東京でビジネスの考え方を学ぶことが必ず役立つと考え、初期研修先を都立広尾病院に決めました。研修の合間を縫って、ヘルスケア産業をはじめとする多くの会社経営者と会ったり、医療面で手伝いをしたりして見聞を広げていました。
初期研修の2年間で、ある程度ビジネスの視点を学べた手応えがあり、改めて何がしたいかを考えたときに「地域を豊かに、強くしたい」という思いが湧き上がってきました。そのような折に、山梨県で行政、民間企業、金融、研究など多分野を連携させて地域活性化に取り組んでいる方に出会いました。「ここに『医療』が入ると面白いのでは」と意気投合し、山梨県内の病院に勤務する傍ら、街づくりに協力し、地域づくりのノウハウを学ばせてもらいました。
救急医療を立て直すために三重へ
山梨から三重に来たのは、2014年に松阪市長から「救急医療を立て直してほしい」と要請を受けたためです。当時の松阪市は休日夜間の一次救急に対応する医師が高齢化しており、通常業務に加えた勤務により疲弊しており、救急診療が立ち行かなくなっていました。その現状を打破するために、救急診療をサポートする一般社団法人i-oh-Jを設立しました。「地方の救急を支えたい」という思いを持った若手医師が交代で休日救急のローテーションを組むという活動をしていたのですが、医師確保に限界があったため、救急を専門に担うクリニックを開業することにしました。
-いおうじ応急クリニックを立ち上げるまでに、どのような苦労がありましたか。
地域の先生方の理解を得ること、行政と市議会にクリニックの意義を理解してもらい委託金の予算を通してもらうことに、非常に苦労しました。
休日夜間の応急診療に特化したクリニックでは、通常にやっていては経営が成り立ちません。松阪市のような地域は、他にも数多くあります。そんな地域に同じような応急クリニックを作りたいと思う医師が実行しやすいモデルとするためには、経営面でのハードルを低くすることが不可欠です。その方法を模索した結果、市から委託金を出してもらうことが一番有効と考えました。「開院に伴い、救急車の出動を減らすことができます。1回出動するごとに掛かる4万5千円を当院に回してほしい。地域住民からも必要とされているはずです」と訴え、何とか予算を通してもらうことができました。既存の仕組みを変えること、前例のないものをつくることは、非常に大変だということを学びましたね。
救急車出動を減らして、地域や社会の役に立ちたい
-大変なことに挑戦し、今もなお取り組み続けられる原動力は何でしょうか。
好奇心と地方を豊かに強くしたいという思いです。
たとえば、いおうじ応急クリニックを開業したことで松阪市の年間救急車出動件数を10%減らすことができたら、高い評価に値すると思っています。それが地域や社会にどのような影響を与えられるのか、その後どのようにクリニックが発展するのかを純粋に見てみたいことも原動力です。
実際に、開業後1ヶ月で350名程の患者さんが来院され、そのうち約8%の方を市内の総合病院へ送りました。大病院へ行くべき患者さんを区別したことで、その月は松阪市の救急車出動件数が6%減りました。現在の目標は、この数値を10%にすること。最終的に20%程度は削減できるのではないかと感じています。
-今後の展望を教えていただけますか。
このクリニックを松阪市以外にも広げることです。まずは、似たような状況に陥っている東海地方の市町村に波及していきたいと考えています。具体的には、5年間であと2件増やすことが目標です。最終的には、応急クリニックをやりたい人たちと連携し、交代で回していくシステムにしていきたいです。
目標実現の大きな課題となるのはマンパワーです。三重県は人手不足なので、それを解消する第一歩として、当院で学生や研修医をできる限り受け入れて教育していくべきだと考えています。ただ、彼らが育つまでには10年は必要。それまでの期間は経営を安定させて参入ハードルを低くすること、そして自分たちをブランディングして発信していくことが大きなミッションだと思っています。
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