2015年11月、三重県志摩市民病院から3人の医師が辞職することが発表されました。そこに1人、院長として残ることになったのが、2014年12月に着任したばかりの若手医師、江角悠太氏。着任1年で院長就任、病床存続か否かという事態に直面した江角氏は、どのような思いで地域医療を見つめているのでしょうか。
研修中に気付いた、目指す医療のかたち
-まず、これまでのご経歴をお聞かせください。
三重大学医学部を卒業後、多くの患者さんを診る経験を積むために、沖縄中部徳洲会病院を初期研修先に選びました。ここで患者さんを断らない救急のあり方や、臨床技術について多くを学ぶことができましたが、仕事に慣れて考える余裕が出てくると、命を助けることだけが医療ではない、と感じるようになりました。また、3年目以降、何科を選ぶかとても迷っていた時期でもありました。
そんな折に、ある先生に専攻科の相談を持ちかけたところ、ひどく叱られました。「そんなことで迷っているなら、もっと目の前の患者と真剣に向き合え。そうすれば、自ずとやるべきことが決まるから。無理に決めなくていい」と。そこで我に返りました。学生時代に、わたしも似たようなことを後輩に言っていたのです。
それからは思い切って研修先を変えました。まず、縁があって2カ月間、鹿児島県の徳之島で研修しました。そこである患者を担当したことをきっかけに、「人生80年、年代ごとに区切ってみると死ぬ手前の時期の医療が手薄ではないか。死を幸せにする医療をより手厚く展開すべきではないか?」と思い、今度は1カ月間、緩和医療病棟でも研修を受けることにしました。そのとき指導医の先生に「緩和医療はどこでもできる。目の前の患者をしっかり診ることが何よりも緩和医療だ」と言われ、それは今でも噛み締めています。
「自分が診たいのは病気ではなくて、その病気を含んだ患者さんの人生だ」。その頃から、こう思うようになりました。
-なぜ、三重県の病院へ戻られたのですか?
沖縄や徳之島で得た経験をいち早く、三重大学の後輩達に伝えたかった。また、学生時代、煙たがられがちだった自分を温かく見守っていただき、家庭医療に引き合わせてくれた恩師や、支えてくれた三重県の住民の方々に恩返しがしたいと思った。この2つが大きな理由です。今思うと生意気ですが、寛大な恩師の計らいで、三重県で医療をさせていただけることとなりました。それが、三重大学家庭医療学総合診療科でした。最初は家庭医療学がどのようなものかよく分からなかったのですが、学んでみるとわたしの考え方と合いました。
目下の課題は、過疎地医療
いままであった場所から医療がなくなる。これが現在、日本の末端の地域で起きています。人口減少や他地域への流出に伴い、患者数も減っています。しかし、現在も地域に残っている住民は、足腰が不自由で親近者が近くにいない高齢者です。自宅に帰りたいという希望も叶わず、遠いご子息の家でも生活できず、行ったこともない町の施設で死ぬまで過ごす方や、施設にも行けず見知らぬ町の病院を転々とする方、自宅を選び何とか生活しようとしている方、毎日「長生きなんかするものではない。早くお迎えがこないか」と思いながら暮らしている方がいらっしゃいます。
東日本大震災のとき、原発30km圏内で医療活動をした時にも感じましたが、国や行政の制度では、大多数の方を助けることはできますが、必ずしも全員は助けられません。制度の保護から抜け落ちてしまった方の多くは社会的弱者です。わたしはそのような方々を助けたい。まずは他の医療・介護施設と連携し、縁の下の力持ちになれればと考えています。
-2016年度から志摩市民病院の院長に就任なさると伺いました。
現在、当院では一般病床を50床、療養病床を40床持っています。療養病床がある病院は市内でここだけ。そんな中で病床削減が進められると、人工透析を受けている患者さんなどは市外の病院に行かなければならず、負担が増大します。それを回避するため、回復期患者への対応を重要な柱とし、同時に在宅ケア領域で、民間業者ではカバーしきれていない部分を補っていくためにスタッフの増員や、医師の招聘を行い、これらを実現できるように体制を整えています。幸い、当院のスタッフはみな、市民病院として役割を果たしたいと、一丸となって取り組んでおり、とても心強いです。
−病院を存続させていくだけでも大変な状況なのですね。
そのような状況の一方、医学生の実習を可能な限り受け入れて、教育にも注力しています。実習生には「『専門外だから診られない』ではなく、専門外でも診なければならない」と事あるごとに伝えて、その意識付けに取り組んでいます。
地道な取り組みではありますが、大学の授業のように一対大勢ではなく、実習という形で一人ひとりに親身に接し、「患者さんと向き合いこと」がどういうことなのかを理解できるようサポートしていくことが、意識を変えるための一番の近道だと考えています。一学年のうち2~3割の学生を受け入れて、彼らが体験して感じたことを同級生や後輩に伝えてもらえれば、三重大学の医学生に「専門外でも診なければならない」という意識付けができるはずです。
患者さんを最優先に考えることが、課題解決への近道
-三重に戻られて1年が経ち、現在の心境はいかがですか。
毎日が苦労の連続だと感じています。特に院長の辞任が決まって以降、志摩市民病院の病床削減可否の議論、医師会や志摩市、三重県との折衝がある中で、いかに患者さんとスタッフを守るかに頭を悩ませながら、医学生の実習など自分が成し遂げたいと思ったことを実行するのは大変ですが、一方でやり応えのある仕事だなとも思います。
「困難に立ち向かうこと」は、自分にとって一番の成長材料になると考えています。医師不足をはじめ、課題が山積している地域にいる今、多くの障壁があります。壁を乗り越えるために、「患者さんを守る医師として何をすべきか」という視点で考えながら行動を起こしています。それが最善策だと思いますし、自身の成長になると思っています。
わたしは、目の前の困っている人を助ける、助けたい、と思って医師を志しました。人を助けることは、とてもシンプルなことです。患者さんの理想や夢、希望を叶えるために、真摯に向きあう。その患者さんのために人事を尽くす。この初心を忘れずに、これからも正直な医療をしていきたいですね。
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