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「国際保健×地域医療」で双方の課題を解消する―吉田修氏(さくら診療所)

2016年4月14日

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吉田修氏は故郷である徳島県吉野川市でさくら診療所を運営しながら、アフリカはザンビアを中心に、自立支援活動を行うNPO法人「TICO」の代表を務めています。2つの活動を並行して行う吉田氏には、ある考えがありました。

国際保健は地域医療の延長線上にある

-吉田先生は現在、具体的にどのような活動をなさっているのですか。
故郷の徳島県吉野川市でさくら診療所の院長をしながら、NPO法人「TICO」の代表として、ザンビアを中心とした途上国の自立支援活動を行っています。わたしを含め医師3名が在籍する当院では、それぞれ年に2回ほど途上国へ“出張”しています。わたしはザンビアでの活動状況を確認すること、ほかの医師はイラクにある団体「ジャパンイラクメディカルネットワーク」を訪ねることなどが目的です。当院を経て独立した医師とのつながりも強く、助け合いながら国内外での活動に従事しています。

都市部から離れた地域はどこも同じ状況だと思いますが、徳島県でも医師不足が問題になっています。国内外問わず、都市部から離れた地域は、物質不足、人材不足など限られた資源で活動しなければならないという非常に似通った問題を抱えています。また、さまざまな患者さんを診るべく、必要とされる知識やスキルも共通点が多いため、国際保健は地域医療の延長線上にあると考えています。

-国際保健に関わろうと思ったのはなぜですか。
吉野川市_さくら診療所父が医師だったので、物心ついたころから医師を志していました。中学生のときにエチオピアの大干ばつのニュースを見て海外に興味を持つようになり、「将来アフリカに行きたい」と思うようになりました。宮崎大学医学部を卒業後、徳島に戻って7年間医師として研鑚を積んだ後、青年海外協力隊に参加。2年間、アフリカのマラウイで医師として活動しました。病院なのにベッドや医療器具も満足にない状態や、紛争や貧困、干ばつなどの状況を目の当たりにして、世界情勢や環境、格差の問題をこのまま放っておいたら、人々は健康に暮らせないと強く思いました。

アフリカから帰国後、2年ほど徳島県立中央病院で働いていたのですが、途上国支援をしたいという思いが拭えず、国際医療ボランティア団体「AMDA」の創設者である菅波茂先生が運営する菅波内科医院(現・アスカ国際クリニック、岡山県)へ移りました。日本での臨床のかたわら、さまざまな途上国支援―自然災害や紛争地への緊急支援に携わるようになり、国際保健に対する思いがますます強まりました。

健康を守るために、まずは環境から整える

実際に途上国支援をし始めて、目の前の患者さんに薬を処方しているだけでは、本質的な「健康」を守れないということに気づきました。人々の健康を守っていくためには、まずは住環境を整えるべき。次世代まで見据えた、平和で持続可能な社会をつくる必要があります。

この考えは、地域医療にもつながります。現在、当院では太陽光発電システムや自分で割った薪を使うストーブ、廃油回収をバイオディーゼル燃料として再利用する業者へ依頼するなど、エネルギーの自給率を上げる取り組みをしています。最終的には、当院の周辺地域、そしてアフリカへも広げていきたいと思っています。

-今後の展望をお聞かせください。
国際保健の敷居をさらに低くしていきたいです。医師の中には国際的な医療支援に取り組みたいと思う方も多いですが、収入を得ながら活動する方法が少ないため、諦めてしまうケースが少なくありません。そのような志を持つ仲間を集め、当院と途上国で医師が循環できるシステムを構築していきたい。既にそのための取り組みも行っていますが、若手医師には途上国での活動の機会をまだ与えられていないので、ゆくゆくは当院の在籍医師全員が途上国へ出張できる体制をつくりたいですね。

1osamu_yoshida1幸いにもわたしの元には、「国際保健をやりたい」という学生が全国から集まってきます。国際保健を志す医師の収入面を支えるような仕組みがあれば、きっと彼らは徳島県に魅力を感じてくれるはず。それは、医師不足に悩む徳島県にとってもメリットが大きいと思います。そこで徳島県と協力して「県立病院の後期研修医は3か月程度、ザンビアの連携病院で熱帯病や地域医療を学べる」というプログラムが実現しようとしています。まだ公的な制度として実現したわけではありませんが、既につるぎ町立半田病院の医師がザンビアでの研修を経て徳島に戻ってきています。彼は現地での医療提供を通じて多くの学びを得て、再びザンビアに行く決意をしたそうです。

行政とともに動き出せる環境が整いはじめた今、引き続き国際保健の敷居を下げつつ、徳島県の医師不足を解消していきたいと思います。

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