2011年から東京都国分寺市の武蔵国分寺公園クリニックの院長を務める名郷直樹氏。自治医科大学医学部を卒業したものの、自分の成長に遅れを感じ、また地域医療にもなじめず八方ふさがりの状態を味わったことがあるそうです。そんな状況から抜け出し、地域医療に従事するきっかけとなったのは、一冊の本との出会いでした。
医師であることに、後ろめたさを感じていた
-現在どのような取り組みをなさっているのですか。
2011年から東京都国分寺市にある武蔵国分寺公園クリニックの院長を務めています。現在、標榜しているのは内科・小児科で、在宅医療にも積極的に取り組んでいます。外来では月に1500~2000件、在宅診療では約160名の患者さんを診ています。当院のあるJR西国分寺駅周辺には、高齢者が多く暮らす分譲住宅と若いファミリー層が住む新設マンションが広がります。そのため、当院には幅広い年代の患者さんがいらっしゃいます。
-どのようなご経験を経て、地域医療に取り組むようになったのですか?
自治医科大学医学部では卒業後、出身都道府県で9年間へき地医療に携わる義務があります。入学時点では「こういう医師になりたい」という明確なビジョンを持っていたわけではありませんでした。いざ実習が始まってみると、大学病院には重病の患者さんが多く、「自分には何もできない」という学生の立場ゆえ、病院実習が苦痛で仕方ありませんでした。「こういう人を治せるように頑張ろう」と思う医学生の方が多いかもしれませんが、わたしの場合、その場の患者さんへの後ろめたさのほうが膨らんでいってしまったのです。
名古屋第二赤十字病院で初期研修後、愛知県作手村(現・新城市)の診療所へ行くことになりました。ここでも病院実習と似たような思いもあり、へき地にいるため専門領域として検討していた外科の経験も十分に積めず、正直八方ふさがりの状態でした。
そんな状態のまま、作手村で4年間過ごしましたが、「このままでいいのだろうか」と思い悩み、一から出直すために大学に戻ることを決意しました。大学の先輩に「何か学んでおくべきことはありますか」と聞いたところ、デイビット・サケットの『クリニカル・エピデミオロジー』を読むことを勧められました。この本との出会いこそが、医師として最大の転機となりました。
EBMが医師人生を変えてくれた
-その本には、どのようなことが書かれていたのですか。
EBM(evidence-based medicine)についてです。今でこそ総合診療医という名称があり、EBMの概念も認知されてきていますが、当時のわたしにとって大変新鮮でした。
自治医科大学の地域医療学講座に在籍した後、作手村診療所に戻りました。論文を読んで勉強した知識を基に治療することで、患者さんの症状が良くなっていくことが面白く、医師として初めてやりがいを感じながら働けるようになったためです。
作手村は人口3000人規模のため、診療所の2名の医師で、とりあえずどんな症状も分野を問わず診る必要がありました。専門を絞らず論文を使って勉強して実際に患者さんへ適応していくことにやりがいを感じたこと、提供する医療に対する自身の裁量が大きいことから、へき地医療に魅了されていきました。
-作手村で手応えを感じながらも、東京都国分寺市に赴いた経緯を教えてください。
より質の高いへき地医療提供のためには、自分一人で頑張るだけではなく、若手への教育を通じて多くの人材を育てることが必要だと思い、作手村を離れて研究や教育に携わっていこうと考えました。そのつもりで赴いた地域医療振興協会では、8年ほど勤めました。へき地医療専門医の育成がひと段落したタイミングで、医療法人社団実幸会理事長の石橋先生から、国分寺のクリニックの院長にならないかと誘われたのです。
思い返せば、先輩から勧められた本で、医師としての道が大きく変わりました。東京都国分寺市は縁のない土地でしたが、このお誘いが自分にとって新たな変革になるかもしれないと思い、引き受けることにしました。
地域医療の魅力は、裁量権の大きさ
-名郷先生にとって地域医療の醍醐味はどのような点だと捉えていますか?
自らの裁量でできることの多さですね。目の前の患者さんの求めに応えるために、専門をあえて絞らず、どんな疾患でも知識に基づき診療していく。また、クリニックの体制や医師の働き方なども、工夫次第でよりよい環境を作り出すことができ、結果として患者さんへ還元されていく。これは、専門科の区別や何かとしがらみがある環境ではなかなかできないこと。地域医療だからこそできる取り組みではないでしょうか。
-この地域ならではの課題点は何でしょうか。
若い共働き世代へのサポートが不十分な点だと考えています。風邪をひいた小さなお子さんを連れてくるお母さん方は「この子が治ってくれないと働きに行けない」「もう1日休むと辞めなければならないかもしれない」と必死で、「風邪は2~3日ゆっくり休めば治りますから安心してください」とは安易に言えないほど余裕がありません。このことから、病児保育の必要性を切実に感じ、病児保育の事業化を目指しています。しかし、若い世代が無理なく払える料金設定にすると、経営は容易ではありません。まずは外来と在宅診療に力を入れることで経営力を蓄え、赤字でもできる体制を整えたいと考えています。
独自性を発揮しながら地域医療に貢献できるクリニックを存続させていくには、工夫が必要だと思っています。このようなクリニックの多くは、開業した医師の子どもが跡継ぎにならないと閉院という可能性があるからです。そのため、当院はわたしが50代、その下の医師が40代、30代と大体10歳おきの体制にしています。わたしが60代になったら、現在40代の医師に院長を引き継ぎ、新たに30代の医師を雇うサイクルを作り、地域の開業医が長く存続するためのモデルとして成り立たせたいです。地域医療の発展に少しでも貢献できればうれしいですね。
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