沖縄県の離島には、沖縄本島で3年間の研鑚を積んだ若手医師が2~3年間赴任します。2012年から2016年3月まで、南大東島に赴任していた太田龍一氏は、島の医療にさまざまな変化をもたらしました。
前例のないことを「当たり前」に
-どのようなことがきっかけで、離島医療に興味を持ったのですか。
母や伯母が看護師であったこと、幼い頃よく小児科にかかっていたことから医師を目指し、大阪市立大学医学部に進学。将来の専攻科を考え始めたとき、両親の出身地―沖縄か広島で働きたいという思いに気付きました。母の出身地である沖縄には毎年帰省していたこともあり、「一度は沖縄で働いてみたい」と思ったのが最初のきっかけです。
沖縄でどのように働くかを考えている時に、離島に見学に行く機会がありました。そこで見た医師の姿が非常に印象的で、「離島医療に関わりたい」と強く思い、沖縄県立中部病院の離島医養成プログラムに惹かれて、卒業後の研修先を決めました。
-南大東島での3年間、どのような取り組みをされましたか。
島民の方々の協力があり、島の医療システム改善に一緒に取り組む機会をいただきました。
1つ目は、予約制の導入。患者さんの多くが農業と土建業従事者で、休憩時間など決まった時間にしか来院できず、診療所が混んだり空いたりするような状態でした。当然、混雑時には待ち時間も長くなってしまう状況でしたが、「それもこの島の医療の特徴だから仕方ないこと」だと言われていました。しかしわたしは、予約制をとりいれて患者さんを分散させた方が待ち時間も短くなり、満足度も高まるのではないかと考え、導入に踏み切りました。
最初はかなりの反対意見がありましたが、多くの方が、予定通りに来れば待ち時間が短いことに気づき、反対する方は徐々に減っていきました。また、看護師や事務の方もあらかじめカルテや薬の準備を進められるので、作業がスムーズになりました。患者さんから次の予約はいつかと聞かれたり、わたしがうっかり予約を忘れていると事務方から指摘されたりと、導入から2年半経った今では、「当たり前のこと」になっています。
2つ目は、救急隊を兼務している役場職員との勉強会。南大東島では急患搬送を、村役場の職員20名が持ち回りで担当しています。急患の連絡があると、担当者が救急車で診療所まで患者を連れて来てくれ、電話口で「どんな患者か、どういった症状があるのか」を教えてくれるのですが、赴任当初は、その情報が不十分と感じることが多くありました。
しかし、ある時、役場職員とじっくり話をする機会がありました。そこで知ったのは、彼らには医療をもっと学びたいという意欲はあるものの、今まで勉強をする場がなかったとのこと。そこで、勉強会を提案したところ「ぜひお願いしたい」と言っていただき、隔週で30~45分程度の勉強会を始めました。講義と実技を繰り返すことで、2カ月後には、「意識レベル1ケタです。先生、何をすればいいでしょうか?」という電話がかかってくるようになりました。
新しいことに対する葛藤
-新しい取り組みをされる中で、大変だったことはありますか。
大変だったというより、思い悩むことが多くありました。沖縄県の離島は、一定の周期で必ず医師が変わります。新しいことをしても続かないのが定説で、赴任前の研修では「前の先生がやってきた介入方法、治療方法を半年間は変えないように」とも言われていました。そのため、「100年近く行われていたことを、赴任2年目のわたしが変えるのは、島民を刺激するだけであまり良いことではないのでは?」という思いがありました。一方で「本当に何もしないのが、島民にとって良いことなのか?」と違和感も抱いていました。実際に島民の話を聞いていると、不満はあれども先生が変わっていくから言っても仕方がないと半ば諦めている風潮があることに赴任半年くらいで気付きました。
そんなある日、他の地域の保健師さんに会う機会がありました。「半年間接してみて、本当に患者さんにとって良いと思うことなら、やったほうがいい。続かないのではと疑念を抱くのは、島民の方々を信用していないんじゃないですか」「本当に良いものは、島民の方々の中に成功体験が生まれるので続いていきます」と言葉をかけていただき、さまざまな取り組みを始めるようになりました。
地域を良くする架け橋を目指して
-さまざまな取り組みを成功させられたポイントはどのような点にあるのでしょうか。
自分の思いだけで進めると独りよがりになって失敗に終わるため、それを避けるよう注意しています。他の島の成功事例をしっかり勉強し、論理立てて自分の中に落とし込んでから取り組むようにしていました。
どこの離島や地域も同じだと思いますが、住民の方々は「地域を良くしたい」という強い思いは持っています。ただ、それをうまくまとめて具体的にうつすきっかけをつくれる人がなかなかいないだけ。たまたまその役割を担ったのが、医師である自分だったのだと思っています。あくまでもサポート役で、主役にならないことが重要。わたしが主導だと、わたしがいなくなった時に原動力を失い、続かなくなるからです。最初は少し関わりますが、やる気があって率先力がある人に徐々にお任せしていくと、自ずと進んでいきます。
-まもなく南大東島での勤務が終わります。今後の展望をお聞かせください。
医師という仕事をしながらいかに地域に出て行き、住民の健康を支えるかということに今後もこだわっていきたいと考えています。南大東島以外にも、自分たちの地域を良くしたいと思っているけれどもうまく動かせていない地域は多くあります。そのような地域の方々と一緒に地域をよくしていく仕事を、今後も続けていきたいと思っています。その第一歩として、2016年4月から島根県雲南市の病院へ赴任します。当市は、町おこしに関してはとてもうまく動き出しています。しかし、地域の医師不足、また、病院から地域へのアウトリーチがうまくいっていない部分があると感じています。微力ながらわたしも協力させていただき、町おこしに医療も巻き込めるか探りながらやっていきたいですね。
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