宮城県石巻市の仮設住宅内に開設された、石巻市立病院開成仮診療所所長を務める長純一氏。東京生まれ関西育ちの長氏は「田舎」に強い憧れを持ち、生物科学偏重ではない医療を求め長野県で19年間地域医療に従事。東日本大震災後、長年の経験を活かすべく、石巻に移り住みます。長氏が考える地域医療とは、どのようなものなのでしょうか。
生物科学偏重ではない「医療」を探して
-現在、石巻ではどのような活動をされているのですか。
2012年に開設された石巻市立病院の開成仮診療所と、わたしが提言して市の重要政策となった地域包括ケアを推進するために新設された包括ケアセンターの所長を兼務しています。被災された方はもちろん、全市民の健康を守るため、介護や福祉の面にも注力して、スタッフや行政のみなさんと共に地域復興に取り組んでいます。
-医師になった当初から、地域医療を志していたのですか。
医師を目指したのは、日本のへき地や途上国など、場所を問わず困難を抱えている方の支援をしたいと考えたため。もともと、地域医療に関心はありました。医師を志していたとはいえ、高校時代は当時興味があった社会科学系の本ばかりを読んでいました。浪人中に、「今の医療は生物科学が重視されすぎているのでは?」と感じるようになり、それとは違う形の「医療」がどこかにあるはずだと探し続けていました。信州大学医学部入学後は社会医学や地域医療系の文献を探しては読みあさり、本で知った先生方に手紙を書いたり、会いに行ったりしていました。
自分が思う「医療」を探し続けている中で、「医療の民主化・患者中心の医療」を積極的に行っている先生方に影響を与えているのが、長野県佐久総合病院の若月俊一先生だと気付きました。若月先生については、浪人時代に読んだ本で知っていましたが、直接教えを乞いたいと思い、初期研修先を佐久総合病院に決めました。その後19年間、佐久病院から派遣され、長野県南佐久郡部、特に川上村を中心とした地域医療に従事しました。
地域医療の気付きを被災地で活かす
-川上村で地域医療に携わり、どのようなことを感じましたか。
社会保障費削減の必要性、医療だけではカバーできない社会的問題―たとえば高齢化や地域崩壊―、それらをカバーするのは住民というようなことが見えやすく、自ら考え、行動しなければならない環境に身を置いていることを強く実感しました。
また、これは川上村を離れて改めて感じたことですが、地域住民が主体的に動くための「種まき」をするのがわたしの役割だということ。外部から有能な人が来て何か優れたことをするのは可能ですが、それには限界があると思います。その地に暮らす住民が能動的に取り組むことで、結果的に地域の質を上げられますし、何より持続性があります。
-東日本大震災後に石巻に行かれたのも、その経験からでしょうか。
そうですね。わたしは臨床医ながら社会科学をかなり勉強していましたし、これまで福祉なども含めて、今の医療にとらわれない「医療」をしてきました。その経験を、地域の全てを失った地で活かしたいと思ったからです。
阪神淡路大震災の継続支援をする一方、災害時医療福祉を自分なりに学んでいたので、コミュニティが健康に寄与している視点を組み込んだ復興のあり方を考えなければならないと思っていました。そのため、地震発生の翌日、出向元である佐久総合病院の院長に「わたしと医療ソーシャルワーカーで行かせてもらいたい」とお願いしましたが、県医療団長として石巻に入ったのはゴールデンウィークでした。その4カ月後に再び石巻市を訪れ、約2000戸の仮設住宅内に診療所を設置することを提案しました。ちょうどその頃、被災した市立病院再建の重要な柱のひとつに在宅診療が掲げられていました。仮設住宅の中に診療所を建てれば、仮設住宅の住民が減っても在宅診療の拠点として利用できること、わたしが長年プライマリ・ケア領域に従事していたことを評価していただき、仮設診療所の設置を受け入れてくださいました。わたしとしては医療というよりも行政の中で命を尊重した復興のあり方を考えていきたいと考え、2012年4月に石巻に移住しました。
-被災地の中でも、なぜ石巻を選んだのですか。
石巻を選んだのは、若手教育に取り組みたいと考えているからです。東北は医師不足ですが、石巻は震災の影響で「力になりたい」という医師が比較的集まりやすいエリア。被災地の復興が進むにつれて仮設住宅の規模が縮小しますが、石巻の場合は、仮設住宅がなくなっても訪問診療の対象となる周辺には多くの住民が住むため、在宅ができる医師・拠点がより必要となります。ゆくゆくは、この地で育った医師に、より医師不足の地域で活躍してほしい。そのために、この地に若手医師を集めて教育をしたいのです。
教育拠点をつくり、未来へつなげる
宮城県、さらには東北の医師不足を解消するためには、医師の偏在と適正な医療技術の問題を解消しなければなりません。そのためには総合診療医の数を増やすことが得策だと考えています。たとえば、各県の奨学生には、総合診療専門医として地域医療に従事してもらう制度をつくるなど施策を打たなければ、都市部に人材流出してしまいます。
また、宮城県には研修医教育に実績のある県立病院がないため、石巻市立病院が県の奨学生を育成する役割を担えればと考えています。開成仮診療所には、4年間の離島勤務を経て都立病院のER責任者を務めた医師や、有名家庭医育成拠点で研鑚を積んだ家庭医が2人、後期研修医も3人集まっており、宮城県の総合診療医教育の拠点を目指せると考えています。ゆくゆくは、ここでしっかり育てた総合診療医に指導医を目指していただき、県内外の中小病院で教育プログラムを作れるようになってほしいですね。
-実現したら、東北の医療環境改善にもつながりそうですね。
そうですね。医学生時代、研修医時代、そして今日に至るまで、多くの先輩方にお世話になりました。その精神を引き継ぎ、若い世代を教育することで、先輩方に恩返しできればと思っています。自分なりに勉強したことを伝えていくこと、さらには同じ精神で活動しようとしている若い医師を応援していくことが、将来の医療環境をつくることに繋がると考えています。
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