在宅医療に取り組みながら、口腔ケアの啓発活動を積極的に行っている山梨市立牧丘病院院長の古屋聡氏。東日本大震災後、気仙沼で口腔ケアの取り組みをしていた古屋氏は「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート(通称ふるふる隊)」というサポートチームをつくり、現在も東北で勉強会活動などに取り組んでいます。地域や多職種間でのスムーズな連携やチームづくり、地域における課題解決の方法について伺いました。
院内外と協力しあう在宅医療
―まず、在宅医療に取り組むようになったきっかけを教えてください。
最初に在宅医療に携わったのは、整形外科医として塩山市国保直営塩山診療所(現在は閉所)に勤務していたときでした。あまり手術が得意でなかったこともあって、次第に在宅医療に携わる比重が多くなった、という事情もありますが、わたし自身もやりがいを見出していたので、徐々に在宅医療にのめり込むようになって行きました。
現在勤務している牧丘病院は、山梨市・甲州市・笛吹市で月に約250~300人の患者さんに在宅医療を展開する、地元では有数の医療機関であり、わたし自身は外来や病棟管理と並行して月間100人ほどの患者さんの元へ訪問診療しています。
―外来や当直に合わせて訪問診療もとなると、お忙しそうですね。
幸い牧丘病院はマンパワー的にも余裕があり、ゆとりがある方かなと思います。現在4名の医師が外来と当直を行いつつ、訪問する患者さんを主治医制で割り振っていますが、病棟には軽症の患者さんが多いですし、当直時間中であっても、呼び出しに応じられるようにさえしておけば訪問診療に出掛けても良いとされているので、各医師は患者さんと相談しながら割と柔軟に訪問時間をセッティングしています。医師の負担が大きい時は、院内の様々な職種が進んで力を貸してくれますし、近隣の医療機関との関係も良好で、院内外の関係者と助け合いながら地域の在宅医療に携わっている実感があります。助けてくれる方々の専門性もさまざまなので、口腔ケアのように、わたし1人では思い浮かばなかったであろう発想に出会えたことも、大きな収穫でした。
口腔ケアに出会って感じた衝撃
―どういう経緯で、口腔ケアに力を入れようと思ったのですか?
牛山京子さんという歯科衛生士の口腔ケアを受けた在宅療養患者さんで、一度失った摂食・嚥下機能はもちろん、社会生活まで取り戻すことができた方がいらっしゃったんです。
もともと脳出血による麻痺を抱えながらも、食事を楽しみにしている方でしたが、大動脈瘤の手術後に胃ろうが造設されてから、経口摂取は難しくなってしまいました。あらゆる専門家からも「もう食べられるようにはならない」と言われるような状態でしたが、口腔ケアを受けて、摂食機能はもちろん、構音機能も改善されてコミュニケーションを楽しめるようになっていったんです。その様子を見て、口腔ケアの重要性は今後、社会的に高まっていくだろうと確信しました。口腔ケアが当たり前のように受けられる社会をつくることが患者さんのQOL向上にも必須だという思いから、口腔ケアを深く学び、普及する活動を始めました。
―東日本大震災が起こってから口腔ケア・食支援の活動チーム「ふるふる隊」も結成されていますね。
はい。震災当時、既に山梨県で口腔ケアや食支援についての活動に取り組んでいたので、一緒に活動をしていた歯科医師や歯科衛生士の方々に声をかけて被災地に呼び口腔ケアに取り組んでもらって、5月以降神奈川県をはじめとした全国の食支援の活動で有名な人たちに声をかけていきました。そうして、食の支援に携わる専門家がどんどん東北に集まるようになり、現地で医療や介護に携わる人たちと一緒に口腔ケア・食支援などの活動を行っていきました。これは2011年3月25日に成立した「気仙沼巡回療養支援隊」という在宅医療に特化した医療支援チームがプラットフォームになっており、その特別活動として「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート」と名づけました。それが通称「ふるふる隊」と呼ばれるサポートチームです。
特に被災直後は、気仙沼の避難所で活動していた時、歯ブラシや入れ歯が流されてしまって口腔ケアができない方がたくさんいるのを目の当たりにしたのを覚えています。当時は口腔ケアの支援がやっとで、生活不活発病や褥瘡などの問題が前面に出ているなか「摂食・嚥下障害」をアセスメントして特にアプローチする余裕はありませんでした。震災から数年たちますが「ふるふる隊」のメンバーでは現在も定期的に気仙沼に来てくださっている人もいて、歯科の健康相談会や、リハビリ相談会、歯ブラシ指導やマッサージなど多角的な支援活動をしてくれているチーム(復興支援 ふるふる隊 チームぐんま)もあります。
―牧丘病院においても、ふるふる隊においても、歯科医師や歯科衛生士、栄養士など他職種の方々とのスムーズな連携が活動のカギになっているように思います。多職種と連携をとるために心掛けていることはありますか。
ありがたいことに、わたし自身の心掛けというよりは、「目の前の課題を解決するために、協力を仰ぎたい人に声をかけ続けていたら、まわりの人たちがどんどん動いてくれた」という方が正しいように思います。
人と接する上で意識していることがあるとすれば、「自分が何かお願いされたら、全力でそれに応じること」でしょうか。周囲には「いつでも電話に出て対応する」と、約束しています。何事も助け合いが大切。まわりからお願いされやすい雰囲気をつくることが、まわりまわって自分自身のためにもなっていると感じます。
「週末は地方」という働き方も
地域医療に興味を持っていながらも、今一歩踏み出せないという方も多いと思います。実際のところ、それぞれの地域にそれぞれの魅力がたくさんありますし、「住めば都」だとわたしは思いますが、1度地方に赴任したら都会に帰ってきづらいような状況だと勇気が必要ですし、結婚や子どもの教育といった人生プランを踏まえて慎重になるのも当然のことだと思います。
もし、地方での勤務にご興味があるのであれば、たとえば「週末は地方に行ってきます」というような形で都会と地方を行き来する、といった働き方から始めてみるのも良いのではないでしょうか。かく言うわたしも、こうした働き方で気仙沼にある本吉病院に毎月通い続けています。山梨だけではなく、東北での支援活動も継続し、仮設住宅から復興住宅に移っていく皆の生活が徐々に落ち着いていく姿を今後も見守っていきたいですね。
地域医療にご興味のある先生へ
各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。
先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております
先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。