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都市と地方。どちらの患者さんも診られるクリニックを目指して-水上潤哉氏

2016年1月4日

西は山梨県、東は東京都町田市に隣接する神奈川県相模原市。2014年5月、水上潤哉氏は、のどかな田園と日々発展する住宅街の側面を持つ相模原市に、外来と訪問診療を行うクリニックを開業しました。もともとは大学病院の勤務医としてキャリアを積んでいく予定だった水上氏。30代半ばにして相模原市に開業を決意した背景には、どのような思いがあったのでしょうか。

患者さんと信頼関係を築くことが医療の第一歩

-クリニックでは、どのような診療を行っているのでしょうか。

外来と訪問診療がメインで、急な往診にも可能な限り応じています。外来では、午前中にご高齢の方や小さなお子さんや主婦の方を、午後に学校・幼稚園・保育園帰りのお子さんを診ることが多いですね。訪問診療は、副院長が1日12~14件、わたしも外来の間を縫って4~5件回っています。

相模原市には、昔から住んでいる高齢者や、移り住んできたばかりの子育て世代まで幅広い方が暮らしているのが特徴です。大学病院をはじめ大規模な病院が数か所あるものの、在宅医療を手掛けるような地域密着型の診療所が少ないとされており、当院がプライマリケアの担い手として機能できればと思います。

-開業に至るまで、どのようなご経験をなさったのですか。

東京医科大学に入学した当初は外科系に進み、自分の手でがんの患者さんを治したいと思っていました。専門診療科として皮膚科を選んだのは、子どもからお年寄りまで診られる科目に行きたいと思ったからです。

相模原市_さがみはらファミリークリニック地図卒業後は東京医科大学付属病院で皮膚科医として働き始めました。しかし診療を重ねるうちに「患者さんは安心して入院できているのだろうか」と、漠然とした疑問を感じるようにもなっていきました。主治医として複数の患者さんを担当していると、どうしても患者さん一人ひとりにかける時間は限られてしまう。この状況下で、患者さんの声に耳を傾けたり、不安を取り除いたりすることの難しさを感じていたのだと思います。

患者さんとの信頼関係を築いた上で、患者さんの納得のいくような医療を提供したいというのがわたしの理想でした。そういう意味では、患者さんのご自宅に伺って、家庭環境やご家族の状況まで把握した上で医療を提供する在宅医療こそ、自分にとっては理想的な診療スタイルなのではないかと思うようになり、医師3年目から都内で在宅医療を手掛けているクリニックに週1回、非常勤医として勤務を始めました。当時はこのほか、週1回出向していた福島県の病院でも訪問診療に携わっており、大学病院にいながら、各地の在宅医療の現状を知ることができました。

これらの活動に加えて、医師5年目からは、東京大学大学院薬学研究科で基礎研究も始めました。入局後にがんの患者さんを受け持つことが多かったためです。たとえば、皮膚悪性黒色腫は皮膚がんの中でも非常に予後が悪く、かつ治療も確実に効くものが少ない症例です。これまでの経験をもとに、治すきっかけや罹患する原因を究明できればとも思っていました。

父と同じ思いの患者さんに医療を提供したい

-東京医大病院、福島県の病院、都内のクリニックを行き来しながら研究にも力を入れるという、忙しい日々を送っていたのですね。さまざまな経験を積んでいく中で、なぜ開業しようと思ったのですか。

junya_mizukami2大きな転機となったのは、父の死です。この先どのようなキャリアを形成していこうかと考えていた矢先、父に末期がんが見つかり、半年で亡くなってしまいました。父は大学病院に入院していて「最期は家に帰りたい」と言っていたのですが、実家の千葉県浦安市では、当時在宅医療を頼めるところがなく、父の願いを叶えることができませんでした。

わたしは非常勤の訪問診療クリニックで看取りもしていました。その経験があるにもかかわらず、自分を育ててくれた親に、医師という立場で何もしてあげられなかった悔しさでいっぱいでした。今後は、父と同じような思いをしている方々が望むものを提供していこうと思い、開業を決意しました。

-開業の地に相模原を選んだ理由はありますか。

開業後も引き続き、東京医大病院で週1回勤務することになっていたので、東京医大病院に通える範囲で考えました。実家のある千葉県浦安市、東京医大の卒業生が多く活躍している埼玉県が候補に挙がったものの、最終的には、あえてほとんど行ったことがない神奈川県相模原市を選びました。

「この地には訪問診療が必要だ」「医師不足の地域だから新しいクリニックが必要だ」とわたしたちが思っていても、地域住民が望んでいない場合もありえます。相模原については知らないことだらけでしたが、だからこそ素直に患者さんの声を聞くことができ、本当に必要とされている医療が自ずと見えてくると考えたんです。自分が思う医療が地域に望まれるのであれば、結果もついてくるとも考えています。

神奈川県の政令指定都市である相模原市は、人口70万人で面積も非常に広く、西は山梨県との県境である相模湖周辺まであり、東は東京都町田市に隣接しています。さがみはらファミリークリニックのある上溝は、車がないと生活が厳しい地域です。一方、そこから4.5キロ離れた橋本駅周辺は現在、開発が進んでタワーマンションも立つなど都市型の住宅街が広がっています。このように対照的な特色を持つ地域が混在している相模原市には、今後都市と地方、双方が抱えている問題が出てくると考えています。両方の問題に向き合い、医療提供できる地域なのではないだろうかと思い、ここに決めました。

都市型・地方型両方を診る、ロールモデルとなりたい

junya_mizukami3さがみはらファミリークリニックのある地域はその特性上、若い世代からお年寄りまで非常に幅広い層の方がいて、多様な症例が集まります。このような環境で、大学病院や都内の訪問診療で培ってきたこと、福島県での経験を活かした医療提供をしていきたいです。当院で、都市型、地方型両方の医療を提供するロールモデルを作っていきたいとも考えています。

ゆくゆくは、当院をプライマリケア医の研修現場として提供していきたいと思っています。今はまだ開業して1年半がたったばかりなので、教育の土台が整備されているとは言い難いですが、現在、東京医大病院の総合診療科の医師に非常勤で来ていただいています。経験を積みたい医師はもちろん、地域特性を体験したい医師に向けて、受け入れ体制を強化していきたいと思っています。

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