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医師として、一個人として、積極的に地域づくりに関わっていきたい―藤戸孝俊氏(石巻開成仮診療所)

2015年11月24日

学生時代から「精神科医の立場で、人々が暮らしやすい社会をつくりたい」という思いを一貫して持ち続けている藤戸孝俊氏。そんな藤戸氏が現在勤務しているのは、宮城県石巻市の診療所。医師となった今、地域づくりにかける思いについて伺いました。

医師×ミュージカル

-現在、石巻ではどのような活動をされているのですか。

初期研修が終わった2014年4月から、宮城県石巻市の石巻開成仮診療所で家庭医の後期研修をしています。その傍らで、NPO法人コモンビートに所属してミュージカルをつくるプロジェクトに参加しています。

石巻は津波で街が流され、つながりを失ってしまった地域住民が数多くいます。つながりというのは、血縁関係や昔からのご近所同士という地縁関係です。それらを失ったことで、高齢者を見守るコミュニティがなくなってしまいました。そのため医師やコメディカルなどの専門職だけでなく地域に住むさまざまな人々が連携して、地域の健康を見守るためのシステムをつくる必要があり、その準備もしています。

-なぜ、ミュージカルに参加されているのですか。fujito_ishinomaki

わたしは、医師の立場から地域づくりがしたいという思いを抱き続けていました。学生時代には国際医療団体に所属したり、簡単な即興劇を使ったコミュニケーションのワークショップに参加したりと、さまざまなイベントやセミナーに足を運び、医療従事者以外の方々との交流を深めていました。

大学5年生の時に、友人がコモンビートのミュージカルに出演しているのを観に行きました。コモンビートは100人で100日間ミュージカルをつくり、それを通して参加者が強くたくましい人になること、価値観の違いや多様な人を認め合う社会をつくっていくことを目標として活動をしています。その趣旨に共感して、わたしも参加するようになりました。

医師になってからも、病院外での交流を欠かさなかった理由

-医師という立場からの地域づくりに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

父親が泌尿器科医だった影響だと思いますが、物心ついた頃には将来は医師になりたいと考えていました。中学生になり、医師になってどんなことがやりたいのかと考えていた頃に、たまたま笠原嘉先生の『精神病』という本を読みました。本を通じて、精神疾患を持った人が地域の中で暮らせていない現状を知り、医療を通じて何かできることがあるのではないだろうかと感じました。それ以来、精神疾患がある人でも生きやすい社会をつくりたいと思うようになりました。

社会をつくっていくことは、医学知識や医師経験のみでできることではありません。多種多様な人々によって社会は成り立っているので、学生時代同様、医師になってからも医療畑以外の人たちとも積極的に関わるように心がけていました。takatoshifujito_3

-医師の仕事は時間的にゆとりがあるわけではありません。その中で、医療者以外の人と関わりを持ち続けるのは大変ではありませんでしたか。

研修医のときが一番大変でした。仕事ですからきちんとこなさなければいけませんし、人の命を救うために学ぶべきこともたくさんありました。また、研修医2年目になると診療スキルが高まる分、診療経験を積んでいきたくなります。目の前の患者さんのことを最優先に考えると「病院外と接点を持つことは不要なことかもしれない」「患者さんのためにもっと時間を割くべきではないだろうか」と思い、コモンビートで交流している意義が分からなくなりました。研修医2年目のミュージカル出演を最後に、コモンビートの活動を辞めようと思っていました。

今振り返ると、当時は病院での仕事と、地域や社会と関わることの間に非常に大きな溝を感じていたのだと思います。

新たなコミュニティを作ることで、石巻を活性化させたい

-その溝を埋める転機はなんだったのですか。

2014年、石巻に来たことが転機になりました。初期研修が終わり、まずは人をトータルで診られるようになりたいと思いました。総合内科のある病院を探していたところ、長純一先生が石巻で新しい医療福祉のシステムづくりを始めようとしていることを知りました。

長先生は、4000人を超える被災者が暮らす石巻最大の仮設住宅団地の中に作られた開成仮診療所で石巻の人々の健康を守るための地域包括ケア体制を構築しようとしていました。長先生の考える地域包括ケアは、高齢者が住みやすい街であることが土台としてあります。また、石巻市内だけでまだ約14000人の人が仮設住宅に居住されています。これらの人々の健康を守りかつ高齢者が住みやすい街にするためには、医師や医療従事者だけでは支えきれません。保健師や介護従事者、さらには住民にも加わってもらい、ケアが必要な人を皆で守る、隣近所でお互いに助け合う体制が必要です。そのための第一歩として、開成仮診療所の開設1ヶ月後から多職種合同で仮設住宅の住民の情報共有のための会議を行っていました。

このシステムを実現するためには、医師が積極的に地域の方々と関わり、歩み寄る必要があります。これこそ、自分が思い描いていた医師の在り方だと確信しました。

また、震災復興支援がきっかけで石巻でもコモンビートのミュージカルプロジェクトを行っていることを知り、これまでの経験と今後やりたいことがつながったと感じて、石巻に移住しました。余談ですが、ミュージカル活動を続けていることで、今では地域住民の方から「こんなに地域に出てくる医師はいない」と言われるようになりました。

-今後の目標を教えていただけますか。

takatoshifujito4テーマ型の小さなコミュニティをつくっていくことです。イメージとしては学校のクラブ活動のような、趣味でつながるコミュニティです。

津波によって住民同士のつながりが失われてしまった石巻では、新たなコミュニティをつくることが必要です。そこにコモンビートのような趣味で集まる小さなコミュニティがあればあるほど、街に出る人が増えます。参加することで人と人とのつながりができていき、結果的に街の活性化につながると考えています。

石巻には今、地域に出て行って何かしようと考えている医師が集まっています。医師以外にも「この街をなんとか変えたい」「この街でチャレンジしたい」という人がたくさんいます。同じ志を持った仲間の存在がとても心強く、刺激にもなります。わたしも自信を持って、今の取り組みを進めていきたいですね。

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