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地域に合わせた仕組みで、「医療アクセスの悪さ」を解消したい―池ノ谷 紘平氏(どこでもクリニック益子)

2015年10月20日

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都市から少し離れた地方には、開業医の引退により医療アクセスが悪くなっている地域があります。こうした状況を解消すべく、東京から栃木県益子町のクリニックまで毎日通勤している池ノ谷紘平氏。どのような思いからこの取り組みを始めたのでしょうか。

東京在住でも、益子町の患者さんを24時間365日診る

-「どこでもクリニック益子」での活動を教えていただけますか。

開業当初は月・水・金曜日だけ外来診療をやっていたのですが、地域の方から「訪問診療もやってほしい」との声があり、現在は外来に加えて火・木曜日で訪問診療を行っています。24時間365日の電話対応と、場合によっては緊急訪問もしています。

また、地域の方に、より密着するために2~3カ月に一回、老人会や婦人会での健康談話や、郵便局と共同で年金を取りに来た方を対象に健康相談を行っています。

mashiko_map2-東京に住みながら、益子町の患者さんの電話対応もしているのですか。

そうです。益子町には、開業前から一緒に動いている看護師が2014年12月に「どこでも訪問看護」を立ち上げています。患者さんからの電話はまず看護師が受け、そのまま対応できそうなら対応してもらい、もし医師の手が必要そうであれば私が電話をもらって場合によっては緊急訪問という体制を組んでいます。

在宅診療を行っている患者さんやご家族からかかってくる電話は、患者さん、ご家族の不安がもとで生じている訴えや、吸痰器、膀胱留置バルンのトラブル、軽度の発熱などのマイナートラブルがほとんどです。私に電話が来た場合は、丁寧に対応することで安心してもらったり、訪問看護師さんに指示を出したりします。看取り時は私が向いますが、朝まで経過を見られそうな場合が多いので、殆どの場合は翌朝診察にいきます。もちろん、超緊急の案件も年に数件あるのでその際は救急車を呼ばせて頂いています。

医療にも「イノベーション」を

-なぜ医師を目指したのですか。

私が医師を目指したのは1995年、中学3年生の時に阪神淡路大震災の様子をテレビで見てからです。何かしたいという強い衝動から、被災地支援に関連のありそうなところに「手伝えることはないか」と電話をかけました。ところが、返ってきた答えは「今、中学生が行っても仕方ない。でもそういう時に活躍できるスキルを身につけたら、また電話してきなさい」というものでした。

そこで「次にこのような災害が起きたときに活かせるスキルは何か」と考えた末、直接人を助けられる医師になろうと思いました。高校入学後は、毎日図書館が閉館するまで勉強していました。そして香川大学の医学部に入学しました。

-大学卒業後は、香川県の市中病院に研修医として勤務されたのですよね。

そうですね。2年間の研修後、膠原病を専門的に研究したいと思うようになり、自治医科大学付属病院アレルギー・リウマチ科に行きました。自分自身の幅を広げるために、1年だけ多摩総合医療センター救急診療科で勉強させていただき、その後自治医大に戻りました。医師になり臨床をしばらく経験してから、研究で博士課程を取り再び勤務医として臨床に戻るという、一般的な道を進んでいこうと思っていました。

kouheiikenoya1-ところが、2013年に勤務医を辞めて「どこでもクリニック益子」を開業します。なぜ開業を決意したのでしょうか。

医師になって7年目、31歳のときでした。その年は東日本大震災があり、志半ばで亡くなった方がたくさんいました。私は阪神大震災がきっかけで医師を目指しましたが、東日本大震災で被災地に入り、自分が医師になった目的をかなえようとはしませんでした。自分の研究があり、妻子の生活もあったからです。

悶々とした日々を送る中で深夜に研究をしていたら突然、自分の人生の残り時間が有限である感覚に襲われました。「自分自身、明日死ぬかもしれない。明日死んでもいいような生き方をしたい。今の生き方は熱く頑張っていると言えるだろうか。自分にしか達成できないことを成し遂げたい」

医師になって研究や医学の本しか読んでこなかったのですが、それ以来、ビジネス本を読みあさるようになりました。すると「イノベーション」という言葉が頻繁に出てくることに気付きました。そこでふと、「医療の世界にはイノベーティブなところがあまりないのではないか」と思うようになり、開業を決意しました。

-どのような点で「イノベーティブなところがあまりない」と思ったのですか。

たとえば、診療スタイル。現在は患者さんを待っている外来診療と、寝たきりかそれに近い状態の患者さんのもとへ行く訪問診療の2つがメインです。しかし「もっとさまざまな診療方法はないのか」「多様な診療スタイルがないと社会に合わなくなるのではないか」と思っています。

より具体的に言うと、都市部から少し離れた郊外では、昔の村単位で開業医の先生がいます。しかしその先生が引退してしまうと、歯抜けのように医療アクセスの悪い地域ができてしまいます。そのような地域で、生活圏外の病院までは一人で行けないけれど自分や周囲の助けを借りて移動できる方は、どちらの診療方法で受けるべきなのでしょうか。

こうした状況を解決しようと、現在当院では、「巡回診療」という仕組みづくりにも取り組んでいる最中です。「巡回診療」とは、地域にある集会所などを診療所の代わりにして、医師が巡回するもので、“外来と在宅医療の中間に位置している診療スタイル”とも言えます。

医師が少ない僻地では、最寄りの診療所までの交通手段が限られていたりして、特に高齢の患者さんにとってはアクセスが悪い状況があります。そのような方の受け皿となるような医療が必要だと思ったのです。

地域のニーズに合った診療方法をつくる

kouheiikenoya2-診療スタイルの多様化を図るため、開業に踏み切った池ノ谷先生。2年経った今、新たな診療スタイルへの手ごたえはありますか。

開業してからの2年間は、「巡回診療」という仕組みで医療アクセスの悪い地域の課題を解消できるのか、このような仕組みが本当に必要かということを、地域住民のもとへ足を運びながら調査して洗い出す期間となりました。そして最近、その仕組みの必要性を実感しています。そのため現在は、どこでもクリニックのスタッフや行政の方とともに、どのようにアプローチしていくか考える段階に入っています。

-地域で試行錯誤しながら続けているモチベーションはどこにあるのですか。

若くて未熟で東京から来ているよそ者の私たちを、地域の方々が信頼し感謝してくれることですね。私たちは益子町の方に育てられていると痛感しますし、それに応えなければという思いがモチベーションになっています。

また、「地域づくり」に直接貢献できているという点もモチベーションとなっています。自分が率先して動けば動くほど、町の人たちが力を貸してくれます。「この地域でこういうことをやりたい、つくりたい」と思えば、すぐに実行しやすい環境も、地域医療の魅力の一つだと思います。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

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