奄美大島や喜界島、加計呂麻(かけろま)島など、複数の島からなる鹿児島県奄美群島。一番広い奄美大島以外の島では、1ヶ所のみの病院や診療所で医療を支えています。この地で研修医教育に励む平島修氏は、課外活動として、全国から100人を超える医師・研修医・医学生を奄美に集め、身体診察を学び医療について熱く語る「ジャパンフィジカルクラブ」という合宿イベントを開催しています。「“医学を学んだだけの人”だった自分を、奄美が“医師”にしてくれた」と語る平島氏は、奄美のどのようなところに魅力を感じているのでしょうか。
全国の医師と身体診察、医療について学びあう
―現在のご活動について教えていただけますか。
奄美大島にある名瀬徳洲会病院と喜界徳洲会病院で、診療をしながら研修医教育に携わっています。研修医に主治医を任せてベッドサイドで指導したり、診察の手技を教えるワークショップを開いたりしています。
とはいえ、わたしも診療の中で疑問に思うことや学ぶことがまだまだあります。月に1度は京都の勉強会に参加させてもらったり、お世話になった先生に相談させてもらったりと、修行をしつつ診療にあたっています。
―課外活動として、「フィジカルクラブ」という身体診察を学ぶ活動を全国各地で展開されていると伺いました。
フィジカルクラブは、「医の原点と身体診察をとことん追求する」を理念に、大阪府の市立堺病院(現・堺市立総合医療センター)に勤めていた時に始めた“部活動”です。はじめは院内での取り組みでしたが、外部向けに開催してみたら好感触で、他からも依頼が来るようになり、週末のほとんどは各地に出張するようになりました。
各地で行ううちに「部活動だから全国大会がしたい」という話になり、2014年に加計呂麻島で、ジャパンフィジカルクラブ(JPC)を開催することにしました。JPCには全国から総勢100名を超える医師や医学生が集まり、身体診察や医療について2泊3日夜通しで学び、語り合いました。「また開催して欲しい」との要望に応え、2015年10月には「地域医療」もテーマに加え、市民参加型で行いました。
奄美での経験は「医の原点」そのもの
―先生ご自身は、なぜ奄美に行くことになったのですか。
熊本大学卒業後、救急患者を断らない徳洲会の研修内容に興味があったことから福岡徳洲会病院に入りました。研修項目に「へき地で一定期間過ごす」というものがあり、その時に引き当てたのが奄美大島でした。離島で経験した医療は、後期研修医や上級医がいる福岡の病院とは全く違うものでした。
―具体的にどのようなご経験をされたのですか。
福岡の病院にいた頃は、担当医として判断・実践しようとする際に、いつでも指導医の先生に相談できました。一方、奄美の場合は、軽症でも重症でも、初療の時に頼れるのは自分しかいません。今思えば、奄美の先生方は当時、わたしが成長できるようにあえて突き放してくれたのだとも思います。とてつもないプレッシャーと不安にかき立てられたことで、主治医として命を背負う責任の重さを初めて痛感しました。
患者さんが亡くなる度に、医療の限界や患者さんとのコミュニケーションの大切さに気付き、へき地医療は研修医全員が経験すべきなのではないかとも感じるようになって行きました。わたしにとって奄美での経験は、「医の原点」そのもの。“医学を学んだだけの人”だった自分を、奄美が“医師”にしてくれました。
研修医時代に8カ月間離島医療を経験した中で、「へき地や離島を研修医にとって学びやすい環境にするためには、その特異な環境を理解し影でサポートする教育者がもっと必要だ」と思いました。わたし自身がそんな教育者になろうと思って、市立堺病院(現・堺市立総合医療センター)の内科部長の藤本卓司先生(現・北野病院総合内科部長)の下で身体診察を4年間学び、現在また奄美に戻ってきました。
奄美で感じた「温かい医療」を全国に広めたい
―奄美で医療に従事することで、どのようなことが学べるのでしょうか。
研修医時代に奄美で主治医となった時、何ができるか分からないのに責任感とプレッシャーから何度もベッドサイドに足を運んでいました。そうすることで患者さんとの交流や、検査に頼らず手をあてて診察する機会が自然と増えていきます。患者さんとの関係性が築かれていくと、特に高齢者の方々は、診察に行く度に手をさすってくれたり、「会いたかった」と言って出迎えてくれたり、ハグしないと帰らせてくれなかったりと、心身共に受け入れてくださいますし、そんな状況を微笑ましそうに見守るご家族の姿にも温かさを感じています。かつてのわたしのように、患者さんとの交流を通じて医師としての土台を形成していきたいという方には、やりがいも大きいと思いますし、人生を変えるような経験を積むことができると思います。
一般に、患者さん自身よりも「病気」に目が向いてしまいがちな医師がいるのは事実で、「病院で目も合わせてもらえなかった」と言う患者さんもたくさんいると思います。患者―医師間の近い現場で若い時代に経験を積んだ医師が増えれば、そんな現状を変えることにもつながるはず。この島から日本全体を変えるような取り組みができると、本気で思っています。
―最後に、今後の展望を教えてください。
わたしは研修医時代に奄美大島で大きな衝撃を受け、現在の自分があります。医療資源や医師が少ない現場は「苦労が絶えない環境」ではなく「医の原点を学べるすばらしい環境」なのです。離島・へき地医療も都会医療も医療者と患者が向き合う姿勢は変わらないはずで、人と人との向き合いが必要です。研修医や若手だけでなく、指導医クラスの医師にも改めて医の原点を感じてもらい、手をあてる温かい医療で溢れる日本になることを信じて、奄美の医療・フィジカルクラブの活動を続けていこうと思います。
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