医師と2足のわらじ
医師と2足のわらじについて紹介します-
事例
病院内から日本全国へ広まった、医師の思い
臨床医として働きながら音楽活動を行うToshi先生とJyun先生の2人組ユニット『Insheart(インスハート)』。医療の力が届かないところで患者さんを癒したいという思いから始めた小さな活動が広がり、いまではコンサートのチケットがなかなか取れない人気ユニットに成長しました。世間からの注目を集めるお二人に、医師として音楽活動を行う思いを伺いました。
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事例
ラリー競技で学んだ、医師業のスキル
ご自身のクリニックでは救急医として、他の病院では麻酔科医として多忙を極める上原淳先生。後編では、ラリードライバーとしての一面に迫ります。
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事例
救急医療改革とラリーに全力疾走
2010年、全国でも珍しい救急専門の個人医院として、埼玉県川越市に開業した川越救急クリニック。院長である上原淳先生は、救急医療の改革を目指す医師として多方面から注目を集めていますが、その一方で、全日本ラリー選手権に参戦するラリードライバーとしても活躍しています。前編では救急医療の改革に取り組む医師としての姿に、後編では全日本ラリー選手権へアグレッシブに挑戦を続けるラリードライバーとしての一面に迫ります。
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事例
「王道にはもう戻れない」小説家医師の覚悟
累計100万部を誇るミステリー小説『天久鷹央』(新潮社)シリーズをはじめ、医療などをテーマにヒット作を発表し続けている、医師兼作家の知念実希人氏。小説を書きたい。でも、医師としての王道は外れても、本分を外してはいけない。そうした思いからも日本内科学会認定医を取得後、小説家としての道を歩み始めたそうです。デビューを果たすまでの軌跡や、医師という仕事が作品に与えた影響を伺いました。
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事例
医師家系4代目、小説家の夢捨てきれず…
累計100万部を誇るミステリー小説『天久鷹央』(新潮社)シリーズをはじめ、医療などをテーマにヒット作を発表し続けている、医師兼作家の知念実希人氏。医師の家系に生まれ、ごく自然な流れで「将来は医師になる」ことを目標にしていたと語ります。しかし、臨床研修制度の一期生として臨んだ初期研修中に、同氏が選んだのは幼い頃からの夢であった小説家という道でした。その背景にはどのような思いがあったのでしょうか。また、小説家になる覚悟を決めたうえで認定医資格を取得した理由とは──。
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事例
同級生が皆専門医に…残された医師の決断
医師とマジシャンという、一風変わった2足の草鞋を履いてキャリアを歩んでいるのが、平野井啓一先生です。現在、ファーストリテイリングをはじめとする20社もの企業で嘱託産業医として働く傍らで、メディカル・マジック・ジャパンという法人を立ち上げ、産業医とマジシャンを紹介する事業にも取り組んでいます。産業医・マジシャンとして精力的に働く、キャリアの変遷について聞きました。
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事例
小説が医療にもたらす思わぬメリットとは
2003年に小説『廃用身』で作家としてデビューされた久坂部羊先生。外科、麻酔科、外務医務官、高齢者医療など多岐にわたる現場を経験してきたそうです。現在も医療小説を執筆する傍ら、医師として健診業務に携わっている久坂部先生。二足のわらじ生活は、意外な効果をもたらしていると語ります。医師兼作家というワークスタイルや、そのメリットについて聞きました。
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事例
医師と作家、共通項は「傍観者」
2003年に小説『廃用身』で作家としてデビューされた久坂部羊先生。外科、麻酔科、外務医務官、高齢者医療など多岐にわたる現場を経験してきたそうです。医師一家に生まれながらも文筆の道を志したのには、どんな経緯があったのでしょうか。また、医療界から少し外れたところに身を置くからこそ見えるものとは。
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事例
医師で歌手、母親として…仕事の流儀
医師と歌手という二足のわらじを履いてキャリアを歩み続けているアン・サリーさん。ジャズ発祥の地とも言われるニューオーリンズへ研究留学をし、2005年に日本へ戻りました。インタビュー後半では、医師・歌手・母親として3足のわらじを履いて挑んだ、帰国後のキャリアについてうかがいました。
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事例
紅白にも出場、医師と歌手
紅白歌合戦に出演した医師がいるのをご存じでしょうか。今回取材したのは、医師で歌手のアン・サリーさん。平日は内科医として都内の病院に勤務しながら、オリジナルアルバムを多数発表し、日本全国、アジア地域でのライブ活動を続けていらっしゃいます。医師、歌手、母親と、多彩な役割をこなす毎日に思い悩んだときもあったそうですが、今ではそれぞれの役割を楽しみながら、日々を過ごしているそうです。今回はそんな、アン・サリーさんのこれまでの歩みを伺い、医師・歌手としての日常にせまりました。
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事例
「最適解」が漫画家への近道
内視鏡のエキスパートとして複数の医療機関で働きながら、特技の漫画を駆使して一般の方に正しい医療情報をわかりやすく伝えている近藤慎太郎先生。後編では、漫画家としてデビューしたきっかけ、医師と漫画家という2足のわらじを履くことに対する思いなどについて伺いました。
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事例
医療の情報格差を「漫画」で補う
内視鏡のエキスパートとして複数の医療機関で働きながら、特技の漫画を駆使して一般の方に正しい医療情報をわかりやすく伝えている近藤慎太郎先生。前編では、漫画家になる夢を持ちながら医学の道に進んだ経緯などについて伺いました。
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事例
ピアニストに治療されたい患者はいない
精神科医とピアニストという2つの顔をもつ神田周輔氏。一度は音楽の道を諦めた同氏が、医師とピアニストの2足のわらじを履くようになった背景には、医学生時代のある出来事が影響しているそうです。兼業だからこそ注意していることや、医療と音楽の相互作用についても聞きました。
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事例
ピアノが育んだ医療の素地
精神科医とピアニストという2つの顔をもつ神田周輔氏。3歳よりピアノをはじめ、ピアニストになることを疑わなかったという神田氏が、医学部受験という選択肢を選ぶに至った理由とは。現在のワークスタイルや、医療の道に足を踏み入れるまでの紆余曲折を聞きました。
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事例
「医師でも写真家でもない」60代男性の思い
井上胃腸内科クリニック(神奈川県横浜市)の院長を務めながら、自然写真家として毎年欠かさずアフリカのサバンナに通い続けている井上冬彦先生。後編では、自分自身のことを「医者でも写真家でもない」と語る理由、二つの職業がそれぞれに与える影響などについて伺いました。
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事例
憧れのアフリカへ 医師が写真に目覚めるとき
井上胃腸内科クリニック(神奈川県横浜市)の院長を務めながら、自然写真家として毎年欠かさずアフリカのサバンナに通い続けている井上冬彦先生。前編では、動物や海洋生物学に興味を持ちながらも医師という道を選択した理由、写真を始めたきっかけについてお話を伺いました。
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事例
40代後半で落語家に転身 落語を諦めきれなかった医師の思い
学生時代から持っていた「落語をやりたい」という思いを諦めきれず、44歳にして落語家・立川志らく氏の客分の弟子として入門した、立川らく朝(福澤恒利)先生。46歳にてプロの落語家として前座修行を開始し、医師と落語家という2足のわらじを履くキャリアをスタート。その後落語家に専念され、61歳で真打に昇進します。医師から落語家へ転身した経緯、今後の展望について伺いました。
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事例
医師として、ランナーとして。「マラソン」を追求する理由―福田六花氏
趣味のランニングが高じて、マラソン大会のランニングドクター、レースプロデューサーを務めている福田六花先生。消化器外科医としてキャリアをスタートさせ、現在は、山梨県にある介護老人保健施設はまなす施設長、山梨県老人保健施設協議会・会長として活躍しています。ランニングが医師業に与えた影響、キャリアの変化や拡がりについて取材をしました。