ご自身のクリニックでは救急医として、他の病院では麻酔科医として多忙を極める上原淳先生。後編では、ラリードライバーとしての一面に迫ります。(取材日: 2018年12月21日)
ラリー初参戦でジュニアチャンピオンに
──医師とラリードライバーの2足のわらじをはく上原先生ですが、もともと運転が得意だったのでしょうか。
大学があった福岡県北九州市は、東京のように地下鉄もなく、車がないと生活できない地域です。そのため1年生の夏休みには車の免許を取り、従兄弟から譲り受けた中古車に乗っていました。その車はオンボロであちこちすぐに壊れて、ついにはクラッチが切れなくなった。修理するお金もなかったので、そのまま乗り続けていたんです(笑)。ギアをローにしてセルモーターを入れてエンジンをかけると、ガンガン言いながら走り出すような車です。エンジンの回転数を合わせながらなんとかクラッチが入る――そんな車に乗っているうちにいつの間にか運転がうまくなったんですね。
──ラリーを始めたきっかけは。
ラリーを初めて知ったのは医学部2年生の冬で、友達が持っていた雑誌のページをめくっていて見つけました。ラリーは公道を使って行うモータースポーツで、使用許可をとった林道などを一般の車で走って早さを競います。面白そうだと思って調べてみたら、近くにモータースポーツクラブがあったので、早速見に行きました。クラブの人が当時10万円くらいの安い競技用の車を売ってくれて、友達3人で共有して走るようになったのです。4年生の時に初めてラリー競技に出て、未舗装の山道を走る面白さにはまりました。
5年生になると、臨床実習で授業もなくレポートを書くだけになったので、少し時間ができました。そこで、九州のジュニアチャンピオンシリーズに参戦してみたんです。すると、初参戦でジュニアチャンピオンがとれた。翌年には、周囲の人の好意に甘えてお金をかき集め、さらに戦闘能力の高い車を買って九州のチャンピオン戦に出場。そこでもチャンピオンをとることができて、翌年にはスポンサーがつくようになりました。
──スポンサーがついたということは、医師になる前にプロドライバーになったのですね。
ラリーの本場であるヨーロッパでは、ラリードライバーは医師より稼げますが、日本ではスポンサーがついてもそれ一本では食べていけません。当時はラリーをやるお金を稼ぐために土方、ゴミ焼却場のアルバイトなど、医学生がやりそうもないアルバイトをたくさんやりました(笑)。スポンサーがついたので来年からは楽にやれる!と喜んだのですが、来年は卒業して医師になる年。プロドライバーになろうかと本気で悩みましたが、ここまできて医師にならなかったら親が嘆くとも思ったので医師になりました。
ラリーを続けたから、今がある
──卒業後は医師として働きながら、全日本ラリー選手権にも出場されていますね。
医師になってからは、それまでより少し排気量の大きい車で九州のラリーに参戦するうちに、全日本にも出るようになりました。救急医になるため埼玉に来た年の全日本選手権では、第1戦では2位に、第2戦では3位の成績をおさめました。開業して3年は忙しくて参戦できなかったのですが、心にゆとりがなく「何のために仕事しているのだろう」と思うようになり、また出るようしていました。久々に出場した後、気持ちがかなりリフレッシュしたので、それ以降は年に2、3戦は出るようにしています。2018年は全10戦のうち7戦に出場と10年ぶりにフル参戦に近い状態で、最終戦までトップだったんです。「初めて全日本をとれるかもしれない」と期待しましたが、最終戦で惨敗。それでもシリーズ3位の成績を残すことができました。
──医師業とラリー業のワークライフバランスは、どうされていますか。
ラリーは土日がメインですが、木曜には現地入りして金曜の早朝からコースの試走が始まります。出場すると、木金土日と4日間働けなくなるスケジュールなんです。クリニックでは木金土が私の担当なので、その間の医師を手配するのが大変ですね。2018年の全日本選手権で3位に入ったため、2019年はスポンサーがつきますが、ラリードライバーもプロの仕事なので、こちらの都合で「参加出来ない」とは言えなくなるのです。スポンサーがつくと、タイヤやオイル、車のメンテナンスを提供してもらえるので参戦費用の負担が少なくなり楽ですが、代わりの医師を手配する人件費がかかるので……いざ計算してみると恐ろしいことになります(笑)。麻酔科医のアルバイトを頑張らないといけませんね。
──ラリードライバーであることは、医師という仕事に何か影響を与えていますか。
医師になって初めての上司は厳しい人で、「医者に2足のわらじは成り立たない」というモットーをお持ちでした。プロフェッショナルであるためには医学のみを追求すべきで、その他の時間も注ぎ込めばもっとよい医者になれる、という考えだったのです。上司にその言葉を言わせないためにも、人一倍勉強をし、麻酔科医としての技術も磨き、救急医として新たな世界も切り拓いてきました。ラリーを続けたからこそ、医師の仕事にも全力で取り組むことができたのだと思います。
臨床医は一般社会との繋がりも大切になるので、モータースポーツという医療と異なる世界に身を置くことは、とてもよい経験になっています。学生時代は、医学生ということでモータースポーツ関係者から医療について説明を求められる機会が多くあり、一般の人にわかりやすくかみ砕いて話す習慣がつきました。それが今も患者さんへ説明するときに役立っていると思います。
新たな挑戦を続けていきたい
──常にアグレッシブに挑戦を続けてこられましたが、今後はどのような展望をお持ちでしょうか。
クリニックの展望としては、心臓カテーテル室を増設してベッド数も増やし、新たに循環器の救急をはじめようと考えています。というのも、川越市では循環器や脳神経の救急患者が出た場合、救急車が市外の病院に運ぶ率が高い。なぜなら心臓内科や循環器の医者が不足していて、大学病院が救急に対応できないからです。心筋梗塞の患者などは、最初のアタックから90分以内に治療を行えば助かる可能性が高いのに、川越市内をたらい回しされてから隣の狭山市に送りだしていては間に合いません。極論ですが、心筋梗塞を起こした場合、狭山の人は助かるけど川越の人は助からない、というケースが出てきてしまう。そのような事態を防ぎたいのです。勤務してくれる循環器内科の先生は確保しているので、クリニックを拡張できる土地さえ見つかれば計画を進めていきたいですね。
──ラリードライバーとしてはいかがですか。
クリニックの仕事が忙しくなりそうなので、来シーズンは参戦を悩んでいますね。ラリードライバーとして、全日本選手権で一度はチャンピオンをとりたいので、来シーズンは参戦できなかったとしても、今後もずっと挑戦し続けたいと思っています。
ラリーの魅力の一つは、年齢が高くなっても長く続けられるところ。実際に、いまも最高齢で80代の人が参戦しています。面白いことに、80歳の人が20代の人より上位に入ることもあるのです。サーキットのように整備されたコースを走るわけではないので、前の車が走った後、突然コースに岩が出てくることもある。経験豊富な80歳のドライバーならひょいっとよけていくけれど、若い人はそのままぶつかってしまうこともある。ラリー競技には、予期せぬ出来事に瞬時に対応する力も必要なのです。その影響もあるかもしれませんが、私は医師として処置の判断も早い方だと思いますよ。
──最後に、新たなことに挑戦しようとする医師にメッセージをお願いします。
医療と違う世界に身を置くことは、視野を広げるうえで大切なことだと考えています。特に医学生には、一般社会と関わる機会を積極的に持ってほしい。コミュニケーション力、人にものを伝える力を養うことに繋がるからです。
私は医療訴訟の意見書などを求められることもあるのですが、内容を見るとコミュニケーション不足が原因と思われるケースがほとんどです。患者の立場にたってわかりやすく説明すれば、医療訴訟の多くは防げるのではないかと思っています。医者という職業は忙しいですから、他にもう一つの世界を持つのは大変だとは思いますが、様々なチャレンジをしてもらいたいですね。
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