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「王道にはもう戻れない」小説家医師の覚悟―医師と2足のわらじvol.9(後編)

2019年1月31日

累計100万部を誇るミステリー小説『天久鷹央』(新潮社)シリーズをはじめ、医療などをテーマにヒット作を発表し続けている、医師兼作家の知念実希人氏。小説を書きたい。でも、医師としての王道は外れても、本分を外してはいけない。そうした思いからも日本内科学会認定医を取得後、小説家としての道を歩み始めたそうです。デビューを果たすまでの軌跡や、医師という仕事が作品に与えた影響を伺いました。(取材日:2018年12月20日) (前編はこちら

医師として、さらに小説家としての修業時代

――初期研修後は医局へ?

医局に入ったら簡単には辞められませんから、最初からその選択肢はありませんでした。だから後期研修先の病院も自分で探して決めました。早く一人前になりたかったので、「普通なら3年かかる認定医を2年で取れます」という謳い文句に惹かれて選んだんですが、ここが非常に多忙な病院で……。当直が週二回、オンコールあり。救急を始めて間もなく、体制が整わない中でいきなり多くの患者さんを対応することになって。まだ経験も少ないのにひとりで主治医を任されたり、正直に言って、当時、院内のシステムはがたがたでしたね。同期のほとんどは、途中で辞めていきました。

――それでも、先生は残られたんですね。

小説家になると決めていたので、少しでも早く認定医を取るため、と割り切っていたんです。受験資格で必要な症例数が集まったらすぐに辞めました。そのころには体力的にも限界でしたね。結局、その病院で働いていたのは実質1年くらいだったと思います。

認定医取得後は、日中は週5で病棟管理や健診といった非常勤の仕事をしながら、夜は小説を書いて、できた作品を新人賞に投稿する。そんな生活が4年くらい続きました。

――医師として働きながら小説を書くという生活は、結構ハードだったのではないでしょうか。

夜1~2時くらいまで小説を書き朝は7時に起きる、というスケジュールだったので研修医時代に比べればよっぽど規則正しいですよ。非常勤ならオンコールもありませんし。主治医として患者さんを担当していた頃は、夜間に呼ばれる可能性もあるので気持ちが張りつめて眠れない。そういう生活に比べれば、肉体的な負担感はそんなにありませんでしたね。

一方で、どんなに書いたところで、デビューできるかわからない、結局すべてが無意味に終わるかもしれないという精神的な重圧は常に感じていました。医局に入り、専門医を取得し博士号をとって…という医師のメインストリームからは完全にドロップアウトしたわけで、もう絶対に後戻りはできない。毎日書いて書いて、落ちてもまた書いて、とひたすら自分を追い込みました。4年間、長かったですね。でも、自分で決めて進んだ道ですから、もうやるしかないという思いでした。

医療を描く上で譲れないものとは

──2011年に「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を受賞、念願の小説家デビューを果たされました。

4年間の積み重ねが実った瞬間だったと思います。最初の1年では1冊も書けなかったのですが、書いては落ち…を繰り返す中で執筆のスピードも早くなっていきましたし、徐々にいろんな賞で最終選考に残るようになっていた。小説家はもはや “夢”ではなく、実現可能な目標で、それにちゃんと近づいている実感がありました。小説家として成長できているという手応えをつかみながらのデビューでしたね。

――医師ならではの知見に基づいた描写が作品の魅力の一つになっていますが、医療現場を取りあげる際に意識していることはありますか。

ほとんどの読者が一般の方なので、専門用語などもできるだけわかりやすくして、“誰もが楽しめるように”という点は常に意識しています。ありがたいことに中高生の読者も多くて、「先生の小説を読んで医療の道に進みたいと思った」という声をもらうと、嬉しいですね。

読む側がすっと理解しストーリーに入り込めるのが大事だと思っているので、医療現場を厳密に描写することが最優先ではありません。作品によっては多少デフォルメすることもありますし、たとえば「天久鷹央」シリーズ(新潮社)では比較的ライトなタッチで、コミカルに医療現場を描いています。

ただ、フィクションではあっても、疾患などは全て現実にありうるケースを想定して書きます。どの病気のどの段階でどんな症状が出て、残された時間の短さを知った患者さんやその周囲は、なにを思い、どんな行動をとるのか。そこをしっかり描くことが物語にリアリティを与えるし、医師として、研修期間中に多くの看取りを経験したからこそ描けるものもあると自負しています。

臨床では使わなかった知識が小説の素材に

――作中に出てくる疾患は、全て先生ご自身の診療経験に基づいて描かれているのでしょうか。

必ずしも自分の経験した疾患ばかりではありませんし、実際に自分が診た患者さんのことをそのまま作品に描くこともありません。小説では基本的に、これまで学んだ様々な疾患や症例についての知識をベースに描いているんです。最新の情報に関しては医療雑誌などの専門書を読んで、参考にすることもあります。内科医は、稀少な症例も含め、膨大な知識が必要とされます。そうしないと、もしそうした珍しいケースに出会った場合にきちんと診断できませんから。実際の診療で経験するのはその中の1%くらいなんですけどね。

どちらかというと、実際にひとりの人間として患者さんと接した経験や、その中で生まれる自分自身の感情などが、作品に影響を与えているところはあると思います。小説を書くというのは、自分の中にある知識や経験の蓄積を消化・抽出してアウトプットしていく作業なので…。医療現場で働いていたときの人間関係や患者さんとのやり取り、そこから垣間見える患者さんの人生とか、そうしたものは、確実に小説家としての貴重な財産になっていますね。

──医療ミステリーだけでなく、人間ドラマや恋愛小説、そして昨年12月に刊行された『神のダイスを見上げて』(光文社)ではSFや青春小説の要素も盛り込むなど、ジャンルにとらわれず執筆されています。

生死に密接に関わる医療は、人間の感情の機微を描く上でとても興味深いテーマですし、医師であるからこそリアルに描ける世界でもあります。でも、個人的にはそうしたカテゴライズはあまり気にしていなくて、読者が楽しんでくれるのならそれでいい。僕が小説を書くモチベーションは高校生の頃、最初に筆をとった時とそんなに変わっていなくて、「質の高いエンターテイメントをつくりたい」。ただそれだけなんです。

どっちつかずにしてはいけない

――医師と作家、どのようなバランスでお仕事をされているんでしょうか。また、「二足のわらじ」を履く上での秘訣があれば教えてください。

現在は、もうほとんど小説家がメインの生活になっています。週5日は小説の執筆にあて、週に一日だけ父のクリニックのお手伝い。それも、高齢の父を休ませてあげたいというのが一番の理由なので……いまさらですけど、果たして僕を二足のわらじドクターと呼んでいいものかどうか(笑)。

ただ、やはりどっちつかずになるのはよくないんだと思いますね。医師というのは患者さんの人生をより良いものにすることもできる、素晴らしい仕事です。だからこそ、責任も大きいし片手間にはできない。患者さんは自分の自己実現のためにいるわけではありませんから。まずはしっかり診療ができるよう、医師としての実力をつける。その上で、自分のなかに余裕ができてきたらチャレンジしてみるのがいいのではないでしょうか。

知念 実希人
ちねん・みきと

1978年、沖縄県生まれ。東京慈恵会医科大学卒、日本内科学会認定医。2004年から医師として勤務。2011年「レゾン・デートル」で島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。2012年、同作を『誰がための刃』と改題し、デビュー。「天久鷹央」シリーズほか、『あなたのための誘拐』『仮面病棟』『時限病棟』『螺旋の手術室』『屋上のテロリスト』『黒猫の小夜曲』などの著書がある。2018年、『崩れる脳を抱きしめて』が本屋大賞ノミネート。

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