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地元・福島県で家庭医育成に力を注ぐ理由 ―菅家智史氏(福島県立医科大学)

2019年1月31日

医師4年目で母校・福島県立医科大学に戻り、家庭医として福島県山間部で研鑽を積み、現在は教育に携わっている菅家智史氏。菅家氏が教育に注力する理由とは――。(取材日:2018年12月1日)

直感とタイミングに導かれて

―家庭医や総合診療医に興味を持ったきっかけを教えてください。

最初のきっかけは、在学中の春休みに学内の掲示板に貼ってあった、勤医協中央病院 総合診療センター(北海道札幌市)の見学募集のポスターが目に止まり、直感的に行ってみようと思ったことでした。

見学に行ってみると、それまでの常識が覆され、新鮮で興味深いことばかりでした。当時は、家庭医や総合診療医が今よりも認知されていなかった時代。臓器別に専門分化されていることが当然だと思っていました。ところが、見学先の診療科では患者さんを横断的に診ていて、その疾患もさまざま。しかも研修医が中心に診療していたのです。多様な患者さんを横断的に診られることに興味を持ち、福島県立医科大学を卒業後、勤医協中央病院で研修を受けることにしました。

―その後、医師4年目で福島県に戻られたのはなぜですか。

いずれは故郷の福島県に戻って、家庭医療を浸透・発展させてきたいと考えていました。ただ、それはもっと先になることを想定していました。なぜなら家庭医療や総合診療は1人で取り組むには限界があるからです。そのため、仲間がいない福島県では、家庭医として活動していくのは難しいと感じていました。もしかしたら、県内に同じような志を持つ仲間がいたのかもしれませんが、少なくとも当時のわたしには見つけられていなかった。自分がスキルを上げて、仲間を集められるくらいの実力を身に着けてからでないと帰れないと考えていたのです。

そんなことを考えていた頃、母校に地域・家庭医療部が開設され、日本の家庭医療先駆者の一人である葛西龍樹先生が教授として着任することがわかりました。葛西先生と一緒に働きながら学びつつ、福島県で家庭医療の浸透・発展に貢献していきたいと思い、母校に戻ることを選択したのです。

5000人の住民を1つの診療所で診る

―福島県に戻られてからは、どのように働いていたのですか。

まず大学のプログラムで家庭医療専門研修を行い、研修修了後からは南会津郡只見町の朝日診療所に勤務していました。南会津郡は、県の南西に位置する山々に囲まれた地域。その中でも、只見町は一番西側にあり、新潟県に隣接しています。当時、人口は5000人弱で、医療機関は、有床診療所の朝日診療所が1施設、歯科診療所が2施設、薬局1軒、訪問看護ステーション1軒と、片手で数えられるほどです。

5000人の住民の方々を1つの診療所でカバーしていく大変さはありましたが、ニーズを踏まえて、自分たちのやりたいことを多職種の方と連携しながら実現できました。医療資源が豊富ではなく、コミュニティの規模が大きくない地域だと、「自分たちでつくっている」という感覚が強く持てると思います。そういう意味でも、朝日診療所での活動は非常にやりがいがありましたね。

一番印象に残っているのは、患者さんの希望通り自宅でお看取りできたこと。それまで只見町では、自宅でお看取りする文化がほとんどありませんでした。家族が病気になり自宅で看病するのが大変そうだったら、「診療所にお任せします」と入院させて、診療所でお亡くなりになる方がほとんどだったのです。患者さんがそれを望むならいいのですが、自宅で最期を迎えたいという方も、中にはいました。
今でこそ、このような体制をつくることは比較的容易かもしれません。しかし、在宅でのお看取りが全然浸透していなかった地域でそれを実践できたことは、家庭医としてキャリアを歩みはじめたわたしにとって、大きな経験となりました。

福島県×教育×家庭医

―現在の勤務拠点である福島県立医科大学では、どのようなことに注力されているのですか。

教育ですね。現在、週3日は大学・大学病院で医学生や初期研修医、家庭医療の後期研修医の教育に携わり、残り2日は 喜多方市の連携医療機関、喜多方市地域・家庭医療センターで研修を受けている医学生・専攻医のもとに赴き、教育にあたっています。
もともと朝日診療所の勤務2年目から、大学職員として教育に携わっていたんです。朝日診療所では、地域・家庭医療学講座の家庭医療後期研修プログラムを受ける専攻医の教育をしていました。このプログラムでは、大学と地域が連携して研修環境を構築しています。大学では研修プログラムのコーディネートを担当し、朝日診療所や喜多方市地域・家庭医療センターなど6つの医療機関では「家庭医」としての能力を身につけられるように研修できます。

―今後も、教育に軸足を置いて活動するのですか。

そうですね。ただ、教育に加えて診療を重視していくか、それとも教育+研究でキャリアを積んでいくのかなど、何に特化していくかはまだ決めきれていません。ただ、教育から離れることはないと思います。わたしは自分が成長すること以上に、他の誰かの成長を見ることに喜びを感じるからです。
葛西先生が福島県立医科大学に着任され、地域・家庭医療学講座、家庭医療後期研修プログラムを開設されてから、ずっと一緒に働いてきました。現在、講座のスタッフが20名を超えて、この規模だからこそできることも増えてきています。引き続きこのチームで、福島県の家庭医育成を発展させていきたいですね。

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