1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 40代後半で落語家に転身 落語を諦めきれなかった医師の思い ―医師と2足のわらじvol.2
事例

40代後半で落語家に転身 落語を諦めきれなかった医師の思い ―医師と2足のわらじvol.2

2018年12月3日

学生時代から持っていた「落語をやりたい」という思いを諦めきれず、44歳にして落語家・立川志らく氏の客分の弟子として入門した、立川らく朝(福澤恒利)先生。46歳にてプロの落語家として前座修行を開始し、医師と落語家という2足のわらじを履くキャリアをスタート。その後落語家に専念され、61歳で真打に昇進します。医師から落語家へ転身した経緯、今後の展望について伺いました。(取材日:2018年11月7日)

落語を諦めきれなかった

―医師20年目の44歳で、立川志らく門下に客分の弟子として入門された理由を教えてください。

単純に、学生時代から落語が好きだったんです。高校3年生のときに文化祭で初めて寄席を開き、医学部時代には母校の杏林大学で落語研究会を、私立医科大学5校で関東医科学生落語連盟を創設しました。医師国家試験が終わった後も、医師と落語家、どちらの道に進むか悩んではいたのですが、そうこうするうちに研修が始まって――。悩む暇もないくらい、忙しい日々がスタートして、その流れに身を任せて働き続けていたのです。

ただ、わたしにはある程度酔っぱらうと「なぜ落語をやっていないんだ」と自問自答をする習性がありました。潜在意識下で「落語家になりたい」という火種は、ずっと灯し続けていたんですね。何百回目かわからない自問自答をしていたとき、立川志らく師匠の落語理論を聞いたり、実際に落語をしたりする「らく塾」を知り、入会。回を重ねるごとに、「やはり、プロの落語家になりたい」という思いが募り、44歳の春、入門を申し込みました。

―客分の弟子になるまでは、どのような働き方をされていたのでしょうか。

杏林大学医学部を卒業後、慶應義塾大学医学部内科学教室へ入局。専門は内科で、脂質異常症の臨床と研究をメインにしていました。それぞれにさまざまなプロセスがあり、その1つ1つを分析して研究や治療に活かしていくこと、つまり、「どうやったら患者さんのためになるのか」を考えて形にしていくことに、とてもやりがいを感じていました。ただ、時間と空間に縛られるのがどうしても苦手な性分で――。このまま大学病院で働き続けることは難しいだろうということに、医師になって比較的早い段階で気付いてしまったのです。結果的に30代後半で大学病院を辞し、大手旅行会社と一緒に、海外旅行者向けの健康管理サービスを立ち上げました。その後、開業医を検索できるビジネスを新たに立ち上げ、同時に今でいうECサイトを運営。医師としては、産業医として週に数日働いていました。
そんな、妻と子どもがいる44歳の男が「入門したい」と。志らく師匠からも最初は「無理ですよ」と断られていましたが、食い下がった結果、月謝を払って落語を教えてもらえるも高座に上がれる保証はない“客分の弟子”として入門が許されました。

反射的に、「プロになる」と回答

撮影:増田伸也

―そこから、医師と落語家、2足のわらじを履き始めたのですね。

結果的にそうなりましたね。わたしは勤務医ではなかったため、比較的自分の時間をコントロールしやすい環境下にありました。仕事の時間以外はひたすら稽古三昧――こうした生活を2年近くしているうちに、客分弟子とはいえ落語家としての活動量も増えていき、ネタ数も50を超えるようになっていきました。そんなとき、立川流の事務所の社長から、「その気があるなら、プロでやってみないか」とお声がけいただいたのです。プロでやれる道を切り開いていただきうれしい反面、医師の仕事と両立できるのかと思い悩み、気付けば3カ月近く経過。志らく師匠から、「プロでやる話、どうする?」と訊かれて、反射的に「お願いします!」と答えているわたしがいました。こうして、プロとして再入門させていただき、前座修行が始まったのです。

わたしが所属する立川流は落語協会に所属していないため決まりはないのですが、たとえば落語協会は入門志願できるのは30歳までという決まりがあります。それを考えると、46歳でプロとしての入門許可を得られたことは奇跡的なこと。師匠はもちろん、「やってみたいなら、やれば?」と言ってくれた家内への感謝と、やっと落語ができる、という思いで胸がいっぱいになりましたね。起業家と産業医をやりながら、落語家の修業――。とにかくがむしゃらにやりました。
ところが、前座から二つ目昇進試験を受けるにあたり、家元の談志師匠から「俺は医者なんか二つ目にしねえ。ただ、志らくが良いっていうなら反対はしない」と宣言されてしまったんです。上下関係が厳しい世界のため、二つ目には上がれないかもしれないと感じましたが、立川流事務所から「二つ目昇進試験をやります」と試験1週間前に連絡をいただいて――。落ちたら落語家は諦めて、フリーの芸人として落語をやろうと背水の陣で臨みました。立川流は、必修である古典落語五十席と歌舞音曲の中から、家元の談志師匠が無作為に出すお題をクリアできればOKというように昇進基準が明確。二つ目になれたのも、きっと談志師匠が求める水準を満たせていたからなのでしょう。途中、家庭の事情でクリニックを開業して院長を務めた時期もありましたが、二つ目になってから真打の今に至るまで、落語家一本でやらせてもらっています。

医師の経験を活かした「健康落語」

―2足のわらじを履くことで、それぞれの職業にどのような影響が生じましたか。

単純に、忙しくはなりました。ただ、先ほどお伝えしましたように、自分自身でワークスタイルを決めやすい働き方をしていたので、そこまで支障はなかったですね。

医師の経験が落語家に与えた影響としては、健康をテーマにした創作落語――通称「健康落語」をつくれていることでしょうか。内容的には、病気の側面を切り取り、健康について啓発を促すもの。わたしが酒の席で「落語のように楽しく健康の話ができればいい」と発言したことを覚えていた方から、「社員向けに、健康をテーマにした落語をやってくれませんか」とお声がけいただいたことが始まりです。落語で健康の話をするイメージは自分でも何となく持っていたので、試しにやってみることに。結果、これが大好評。今では、全国各地の自治体や企業、医療機関から健康落語の講演依頼をいただくようになりました。

撮影:増田伸也

―まさに、医師のご経験があるからこそできる落語ですね。

そうですね。習ったことをただ高座でやるだけでは、落語ではありません。これまでの自分の生き様、考え――いわば覚悟のようなものが、高座には表れると思っています。それを表現することが落語家の難しさであり楽しさ、そして存在意義だと考えています。先ほど挙げた健康落語は、予防医学的な物の見方をしてつくっているもの。おこがましいですが、「医師ならではの目線」を活かせた好例であり、わたしの特性が色濃く出ているものだと思います。医師が2足のわらじを履くのであれば、もう1つの職業に医師の目線や考え方を少しでも取り入れることで、自分らしい表現や取り組みができるのではないでしょうか。

―今後の展望についてお聞かせください。

英語で健康落語をやろうと思っています。世界に共通する笑いを目指しているので、日本の文化的背景が強くないネタを現在翻訳してもらっている最中です。それがひと段落ついたら、英語の特訓のためにロンドンに行きます。今のところ、帰国した後の予定はまだ何もなく、どうなるのかは全くわかりません。今回「2足のわらじ」としてお話をいただきましたが、わたしの場合、落語家になりたいとずっと思っていたら「落語」をする機会に恵まれて、その思いがあったからこそ落語家にスライドできたという感覚でいます。落語をする機会がなかったら、今も医師を続けていたでしょう。なので、英語で健康落語という挑戦も、思いを持って動き出せば何かしら具体的な企画が始まるのではないかと思っています。

従来の価値観に とらわれない働き方をしたい先生へ

先生の「やりたい」を叶えるためには、従来の働き方のままでは難しいとお悩みではありませんか。

  • 医師業と、自分のやりたいことを兼業したい
  • 病院・クリニック以外で医師免許を生かして働きたい

もし上記のようなお考えをお持ちでしたら、エムスリーキャリアのコンサルタントにご相談ください。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携して、多数の求人をお預かりしているほか、コンサルタントの条件交渉によって求人を作り出すことが可能です。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    犬猫の脳腫瘍は、一度私に診せてほしい

    医師・獣医師の安部欣博(あべ・よしひろ)先生は、ヒトと動物の脳神経外科医として、両方の臨床を並行して行っています。どちらの臨床も行っているからこそ感じる双方の特徴、相違点や刺激について伺いました。

  • 事例

    医師と獣医師の世界「常識が違う」

    ヒトと動物の脳神経外科医として、オンリーワンのキャリアを構築している安部欣博(あべ・よしひろ)先生。医局時代、脳神経外科専門医を取得後、動物の脳外科手術も並行して行うようになった現在のワークスタイルのお話に加え、医師・獣医師、どちらの世界も知っている先生が抱いている問題意識について伺いました。

  • 事例

    獣医師、動物の脳外科を学ぶために医学部に入学

    脳神経外科医の安部欣博(あべ・よしひろ)先生は、医師免許のみならず獣医師免許も所持しており、動物の脳神経外科医としても働いています。そのキャリアの原点は、獣医学部時代に知った“ある現実”をどうにかしたいという強い思いでした。

  • 事例

    オリンピック出場を目指す研修医の思い

    初期研修医と世界クラスの山岳ランナーという二つの顔を持つ髙村貴子先生。今シーズンからは山岳スキーも始め、年間を通じて山を駆ける髙村先生は、将来にどんなビジョンを描いているのでしょうか。医師として、山岳ランナーとして目指している場所を伺いました。

  • 事例

    研修病院決定の決め手は「そこに山があったから」

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    国試の前は地獄…山岳ランナーと医学生の両立

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    エンジニア、研究者を経て“ゴール志向じゃない自分“を肯定

    医学部を卒業後、ゲノム研究者とエンジニアを両立する日々を送っていた鈴木晋氏。「臨床がわからないと研究も深まらない」と考え、スキップしていた初期臨床研修を受けようと決意しました。その後、大学院でのプログラミングを用いた医学研究を経て、「治療アプリ」を研究・開発する株式会社CureAppの創業メンバーに。現在は、臨床を続けながら、同社の最高開発責任者(CDO)として開発全般を指揮しています。実は少し前まで、“ゴール志向”でない自身のキャリア観を肯定できずにいたとか。CDOとして働く現在は、どのように捉えているのでしょうか。

  • 事例

    保険適用アプリ開発までに模索した、医師兼エンジニアの道

    病気を治療するアプリ”の保険適用に向け、日本で治験が進められていることをご存知ですか?「治療アプリ」の研究開発を行う株式会社CureAppで、最高開発責任者(CDO)としてアプリ開発を牽引するのは、現在も臨床を続ける医師であり、エンジニアでもある鈴木晋氏です。独学でプログラミングを始めたのは、医学部在学中。その後、エンジニアとしての腕を磨きつつ、ゲノム研究者としての道を歩み始めました。鈴木氏はそのユニークなキャリアをどのように模索し、治療アプリの開発にたどり着いたのでしょうか?

  • 事例

    「外科医に未練なし」バーテン医師の決意

    外科医兼バーテンダーの江原悠先生。医師としてのキャリア観に加えて、お店に来るお客さん、診療する患者さんに向き合う際に気を配っていることについても伺いました。

  • 事例

    30代で常勤医から離脱 バーテンダーの道へ

    東京都杉並区に2019年5月、「BAR Hoya」というお店がオープンしました。オーナー兼バーテンダーは、外科医でもある江原悠先生。30代で常勤医のキャリアから離れ、自分のバーを始めた経緯や、現在のワークスタイルについて伺いました。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る