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専門医でも総合力が必要 3年目の医師が回り道でも身につけたいこと―山本竜也氏【後編】

2018年11月28日

山本竜也 医師

医師3年目でありながら、若手のための勉強会「関東若手医師フェデレーション!!」の運営に関わり、いかなる疾患にも応じられる総合力を身につけようと奔走する山本竜也先生。現在も後期研修中でありながら、いったんは専門医取得を考えず、総合病院の救急科で研さんを積んでいます。後編では患者さんに寄り添う力を身につけたいと決意するまでのご自身のキャリアについて伺いました。(取材日:2018年10月27日)

キャリアの転機には人との出会いがあった

―あらためてお伺いしますが、山本先生が医師を目指した理由を教えてください。

高校生の頃はラグビー部に所属していて、試合のたびに怪我や骨折をしていたので、よく医療機関にお世話になっていました。高校では部活を第一優先にしていたので、復帰のために一生懸命協力してくれる医療チームに憧れを持ちました。

当初は医師でなく、柔道整復師や看護師になりたいと思って専門学校を志望していましたが、医学部志望の同級生が多く「受けないの?」という一言にはっとして進学先を変更した経緯があります。そのため、大学へ入学するまでにプラス2年ほどかかりましたね。

―苦節の上で入学した医学部では、どのように過ごしたのでしょうか。

1~2年は部活や基礎医学の勉強だけで終わっていた印象ですが、3年目から臨床的な内容が増えるにつれ「勉強しよう」という気持ちが高まっていきました。

さらには、日常生活の出会いからも影響を受けましたね。たとえば所属していた水泳部は練習が少なく、平日は市民プールで練習することが多かったので、そこで出会った地域のおじいさん、おばあさんの健康相談にのることは日常茶飯事。また、病院実習中は病気だけでなく精神面や経済面に不安を感じている患者さんにたくさん出会いました。両者に共通して感じたことは、教科書には載っていない悩みや課題を持ち、それが日常生活における不安の大部分を占めているということでした。

20カ所以上見学して行き着いたのは大学病院

―その後、初期研修先はどのような着眼点で選びましたか。

研修先を選ぶときは、ある同級生に影響を受けました。その同級生は社会人経験を経て入学したので40歳くらいになるのですが、人生経験が豊富ですごくおもしろい人でした。彼が「第3の世界を見れば本当にやりたいことが見つかる」と言っていたのが印象的で、当時、山形大学にいた私は、関東、中部、関西など、知り合いを頼ってさまざまなところへ見学に行きました。その数20カ所以上。自分が経験を積めるのか、地域にはどのような背景があるか、病院と地域の関わりはあるか、といった観点で見学に行きました。

―結果、東京医科歯科大学に決めた理由は。

対医学生としてではなく、対個人として印象に残る言葉をかけてくれた先生がいたからです。その言葉は「研修医の少ないところに行けば症例経験が積めるかもしれないけれども、ある意味、何も考えずに受動的になってしまう。周りに高めあえる人が大勢いる中で自ら思考し、競争力を身に着けたほうが成長する」と。アカデミックな活動と実践的な臨床が半々くらいでできる環境だと聞いたことも決め手になりましたね。

―東京医科歯科大学の初期研修はいかがでしたか。

大学病院はスタッフが多い上に教育機関という認識を持っている人が多いので、指導医だけでなく、コメディカルスタッフに教えていただくことも多かったと感じています。点滴や注射は看護師、エコーや画像検査などのやり方や機材の使い方は各技師さんに教えていただきました。自分は同期が多くて経験が積めないなどはありませんでしたし、入職2カ月ほどで学術発表を任せていただくなど、非常に恵まれた環境だったと思います。

自分の理想に近づくためなら回り道してもいい

山本竜也

―その後、後期研修は大学に残らず、民間病院であるセコメディック病院に進まれましたがどのような経緯だったのでしょうか。

研修医1年目の頃に、2人の患者さんから教えていただいたことがあります。それをしっかり学べるかどうかを重要視しました。

1人目は、病院に来たときはすでに末期がんで余命1~2カ月ほどという状況の患者さんです。小学生、中学生のお子さんがいる中で、治療法がない状況を受け入れていただくことにとても葛藤しました。院内では一番下の立場だったので回診や直接不安を聞きに行く機会も多く、いろいろと自分の気持ちを吐露してくださっていました。しかし、私は治らない病気に対して思わず「大丈夫ですよ」と無責任な言葉を伝えてしまった場面があり、それで本当によかったのだろうかと、患者さんへの寄り添い方を考えさせられたのです。

2人目は、がんの疑いで手術をした患者さんです。手術は成功したのですが術後は食事がとれなくなり2カ月後に命を落としてしまいました。この患者さんの一件からは術後の治療、終わった後のケアや生活そのものをマネジメントしなければいけないと実感しました。つまり、治療方法や専門にとらわれず、“医療”というベースで物事を考えなければいけないと。

後期研修は見学をほどほどにして、勉強会などで知り合った先生方から情報をいただいていました。今、救急科に所属しているのは、どんな病気であっても、患者さんの思いや声、生き方に寄り添える医師になりたいから。特定の専門医をとる前に、総合的な力を身に着けようと思っています。

―新専門医制度で対象とされる医師9000人の約9割が専門医取得にエントリーする中、まだ専門医をとらない道を選ぶのはなぜでしょうか。

自分は医学部入学までに回り道をしてきました。しかしその回り道で経験したことはとても貴重であり、さまざまな経験ができました。そういったひとつひとつの経験から、自分が理想とする医師像に着実に近づいていきたいと思っています。

例えるなら、初期研修は受験科目でいう5教科を学ぶようなもの。もちろん人によっては得意・不得意があって、わからないこともあります。一方、専門医取得を目指す後期研修は自分が得意とする科目を1つだけ学ぶようなものと考えています。医師という職業柄、「わからないことや興味のないことはできれば避けたい」という気持ちは誰もが抱くと思いますし、決められたレールに乗ったほうが楽に感じることもあるでしょう。しかし、自分が不得意とすることでも対応しなければいけない場面が来るかもしれません。いざ判断を迫られる場面に直面した時、いかに守備範囲を広げて手札を持っておけるかが重要ではないでしょうか。私が専門に進むのはそれらの手札が揃ってからでも遅くはないと考えています。

個の成長だけでなくチームをつくる

―今も現在進行形であると思いますが、研修医のうちに経験しておくべきことを教えてください。

コメディカルを含めたチームづくりではないでしょうか。研修医にいろいろと教えてくれるのは何も指導医だけでなく、その道のプロフェッショナルであるコメディカルの存在も大きいです。ただ、多くのコメディカルは医師がトップに立つピラミッドを意識しているので、なかなか思っていることを言い出せない方もいるでしょう。そんな時は、医師側から話しかけることが大切だと思います。

私は回診に入る前に、コメディカル一人ひとりにあいさつをし、ここ数時間であったことや気付いたことを聞いてから業務に入るようにしています。当直の日は、各病棟や部署を周り、あいさつしながら一緒に見回りをすることもありますよ。こちらから質問を投げかけることで、だんだんと関係性を築けてきますし、そうなれば病棟で起こったことはおおよそ把握できるようになるはずです。

―最後に、今後の展望を教えてください。

構想中ではありますが、チームづくりを含めた教育に携わりたいと思っています。いざ現場に出てみて感じるのは自分だけではできないことも、チームなら解決できること。現在は総合病院の救急だけでなく、在宅医療クリニックや老健などにも学びに行き、それぞれの制度やしくみを学んでいます。今は学ばせていただいている身ですが、将来的には出身である東北地方をはじめ、全国に向けて私の経験や学びのシステム、仲間との協力関係を還元していきたいと思っています。

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