中山祐次郎氏は卒後10年間、都内の有名病院にて外科医として研さんを積み、高度な手術も担ってきました。2017年、葛藤を感じながらも、福島県郡山市の総合南東北病院への赴任を決意。そんな中山氏の目指すこととは――?(取材日:2018年8月7日)
病院のブランドに、あぐらをかいてはいけない
―福島県の総合南東北病院に赴任するまでのキャリアを教えてください。
初期研修時から都立駒込病院に所属し、大腸専門の外科医として10年間修行を積んできました。特に6~9年目にかけては、多種多様な手術をひたすら勉強させてもらい、難易度の高い手術も一通り執刀できるようになりました。そこで次のステップとして2017年4月、福島県郡山市の総合南東北病院に赴任しました。
―総合南東北病院に赴任した理由とは。
8年目のころから「駒込病院を出なければ」と思っていたのですが、なかなか離れる決心がつかなくて――。そんな時に、もともと駒込病院で指導してくださっていた先生が「総合南東北病院で一緒にやらないか」と声をかけてくださったのです。それが移るきっかけになりました。
駒込病院を出なければと思っていた理由は、このまま勤務を続けても、自分はこれ以上成長しないと思ったからです。駒込病院は最先端の治療を提供できる大病院なので、技術面のアップデートはできるかもしれません。しかし、技術のみならず、病院外で多種多様な方々と関係性を構築し、外科医として精神面も含めてさらに成長するには、駒込病院というブランドの上にあぐらをかいていてはいけないと考えていたのです。
東京を離れることへの葛藤
―駒込病院を離れる決心がつくまで、どのような葛藤があったのですか。
駒込病院はスタッフ同士の仲が良く、家族のような存在でした。とても居心地がよく、その関係性を断ち切って出ていくのには、なかなか時間がかかってしまいました。また、「東京」という街から離れることにも、寂しさがありましたね。友人もたくさんいましたし、東京には楽しく刺激的なことがたくさん溢れています。このまま大病院で勤務医を続けながら、東京でそれなりに楽しく過ごしてもいいのではないか、と思ったこともありました。
しかし、繰り返しになりますが、技術だけではない総合的な実力を高めることを考えると、大船の中で守られながらキャリアを積んでいくのではなく、自分の力だけでも荒波を越えられるようにならないといけない。そのためには、全く知らない環境に敢えて飛び込む必要があると思ったのです。
周囲の友人からの影響も大いにありましたね。例えば、弁護士の友人がアメリカに行ったと思ったらニューヨーク州の弁護士資格を取得して帰国したり、厚生労働省の官僚の友人がハーバード大学で公衆衛生を勉強して帰国したりしていました。彼らが場所や所属先にこだわらず、かなりフレキシブルに行動し、大きな可能性を持って活躍しているのを見て、ドメスティックに1つの病院の中に留まっている多様性のない自分に、危機感を覚えたのです。このような背景から、自分が全く知らない環境に身を置こうと決意しました。
臨床・研究・執筆―3つの柱
―現在、京都大学大学院で学んでいるのはなぜですか。
総合南東北病院に誘ってくださった先生が、赴任前から「1年位ならどこかで勉強してきていいよ」と言ってくださっていたので、2018年4月から1年間だけ京都大学大学院で学ばせてもらうことにしました。
公衆衛生大学院で学ぼうと思った理由は、日本や世界の医療の全体像を俯瞰してみたかったから。総合南東北病院に赴任した頃から、医療にまつわるさまざまな情報を、医療者向けのみならず、一般向けのニュースサイトなどでも執筆させていただいています。間違いのない正確な医療情報を発信するためには、日本の医療の全体像をきちんと理解しておかなければいけないと考えていました。
また、臨床現場の最前線で外科医として働くにあたり、日本の医療費がどうなっているのか、厚生労働省はどのような方向性で政策を打ち出そうとしているのか、日本の国民皆保険はどのような現状で今後どうなっていきそうか、世界と比較して日本の医療制度はどうなのか、などを知らなければいけないと思い、かねてから公衆衛生大学院で学びたいと思っていたことも理由の1つです。
京都大学大学院では、公衆衛生の知識を得られるだけでなく、臨床研究の方法を学べる点に大きな特徴があります。わたしは今後も臨床医としてキャリアを歩んでいく予定なので、臨床研究の方法を身に着け、研究活動にも力を入れたいと思っていました。すでに臨床研究はいくつか始めていて、例えば、インフォームドコンセントを受けた患者さんの理解度、手術時に熟練医師が執刀する場合と、熟練医師の指導のもと若手医師が執刀する場合とで技術の差があるのか、などの研究を進めています。
―今後の展望はどのように描いているのですか。
総合南東北病院へ戻ったら、臨床はもちろん、臨床研究、そして執筆活動の3本の柱を中心に活動を続けたいですね。
医療者と一般の方との情報の非対称性を解消するのも、医師の役割だと考えています。医師は医学部で6年間学び、臨床現場を知り、医療情報を読み解く素地となる圧倒的な知識量を持っている。それがあってこそ、信頼に足る医療情報を発信できると考えています。ところが、その重要性があまり認識されていないために、積極的に医療情報を発信しようとしている医師は少数です。ですから、わたし自身が発信することはもちろん、発信する医師も増やしていきたいですね。現在、「発信する医師団」として20名強の医師・医学生とチームを作り、記事の執筆や、テレビの健康番組制作におけるテーマ選定といった、コンサルティングのような活動を少しずつ始めています。この活動を通じて、医師の世界にも風穴を開けていけたらとも思っています。
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