2003年に小説『廃用身』で作家としてデビューされた久坂部羊先生。外科、麻酔科、外務医務官、高齢者医療など多岐にわたる現場を経験してきたそうです。医師一家に生まれながらも文筆の道を志したのには、どんな経緯があったのでしょうか。また、医療界から少し外れたところに身を置くからこそ見えるものとは。(取材日:2018年11月27日)
学生時代から小説家を志し、医師としてもユニークな経歴を持つ
――現在は医師と作家を両立されていますが、幼い頃の夢は何でしたか?
私の家系は医師が多くて、父も祖父も医師でした。なので、子どもの時から当然私も医師になるものだ、という雰囲気があったんです。他にどんな職業があるのかもあまり知らずに育って、気づけばなんとなく自分もそのつもりでいましたね。
父は麻酔科で勤務医をしていました。実際に働いている姿を見る機会は少なかったのですが、母に「今日も患者が亡くなった。無茶な手術で患者を苦しめて……」と度々漏らしているのを聞き、子ども心になぜそんな風に言うのだろう?と疑問を抱いていました。その後、私自身も麻酔科医を経験して、父の言っていた意味がようやく理解できるようになりました。
一方で、文学への興味も強く、高校生の時には既に、小説家になりたいと考えていました。学生時代には何度か新人賞にも応募しましたが、まるで引っかからず…。もし作家になれたとしても、小説だけで生計を立てるのは無謀なので、小説一本に絞るという考えは持っていませんでした。いつ売れなくなるか、いつ書けなくなるかわかりませんから。それでも、作家になりたいという漠然とした想いは、ずっと心の中にありましたね。
――先生は外務医務官として海外赴任されるなど、医師としても珍しい経歴をお持ちですね。どういったいきさつがあるのでしょうか。
大阪大学医学部を卒業した後、大阪大学付属病院第二外科と麻酔科で研修医として1年ずつ勤務しました。麻酔科は手術中の全身管理を担うため、外科医としても学ぶものが多いんです。父と同じ科目ということもあり、麻酔科医としてこの先やっていこうと考えた時期もありました。けれど、やはり患者さんを直接治す外科が面白いと感じ、市中病院で再び外科医として働き始めました。
外科では、がんの末期や再発といった症状もたくさん診ます。そうした患者さんたちから、「どうにか助けてください」と言われるわけです。私もなんとかしたいと思いましたが、どうしても治らず亡くなってしまう患者さんもいる。患者さんもご家族も医療者も、それぞれつらい思いをしなくてはならないケースを少なからず見てきました。死を受容し穏やかに最期を迎えられるようにと、今で言う緩和ケアのようなことを試みたりもしましたが、当時は中々受け入れられませんでしたね。
徐々に医師としての絶望感が募っていき、しばらく現場を離れたいと感じるようになりました。そんな時、医務官の募集を偶然見つけ、外務医務官としてサウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニアへ赴任。3か国に計9年滞在し、退官後は老人デイケア、在宅医療などの高齢医療に携わってきました。
外務医務官・高齢者医療の経験が、作家デビューのきっかけに
――若い頃から執筆されていたとのことですが、具体的に小説家としてデビューしたきっかけは何だったのでしょうか。
作家の夢を捨てきれず、細々と創作活動も続けていたんです。20代の終わりに同人雑誌に参加して、そのコミュニティで色々教えていただき、新人賞などにまた応募するようになりました。当時は純文学を目指していましたね。外務省にいた頃には何度か最終選考に残ったこともありましたが、デビューまではいきませんでした。
その後、退官した時に「海外の大使館で珍しい経験をしたのだから、エッセイを書いてみたら?」と言われたのがきっかけで、『大使館なんかいらない』を出すことに。その時の担当編集者に「実は小説も書いていて。麻痺している手足を切り落とす医者が出てくる話なんですけど」と言ったところ、面白そうだねとなったんです。48歳の時のことでした。
――それが小説家、久坂部羊のデビュー作『廃用身』だったんですね。この小説のアイデアはどこから生まれたのですか?
外科医として一人前になる前に海外に出たことと、執筆時間を確保したかったので、外科医として再び日本で働くのは難しいと感じていました。そしたら偶然、あるクリニックで働く機会を得たんです。ちょうど介護保険制度が始まる直前くらいでしょうか。当時は毎日、約40人のお年寄りを診ていました。それまでは「高齢者」とどこか一括りにしていた部分があったのですが、実際は悩み、老いの受け止め方、症状など人によって全く違うことにはっとしました。
当時、既に老年医学は生まれていましたが、リハビリや介護についての教科書・専門書はほとんどない。完治しない疾患を抱えながら、「残りの人生を豊かに過ごしたい」とケアを求めている患者さんたちに、医療がほとんど目を向けられていなかった時期ですね。
こうした経験から生まれたのが、麻痺している手足を切り落とす医者が出てくる『廃用身』という小説でした。「医療の第一線にいないからこそ、別の角度から見えるものがある」というスタンスは現在に至るまで一貫していますね。
一歩引いたところから考える「医療」とは
――医療と作家、一見かけ離れた仕事ですが、共通する点はあるのでしょうか。
麻酔科医はある意味、手術の「傍観者」なんです。手術を客観的に観察できる立ち位置ですから。これまで、過剰な手術によって患者さんが亡くなってしまう、あるいは日常生活に不自由が生じてしまうケースも少なからず立ち会ってきました。その見極めが難しいことは、外科医も経験したので十分わかります。しかし、麻酔科医という立場からは、一歩引いて批判的に見ることができる。外科の勉強のためにと麻酔科にいきましたが、結果的に両方を経験してよかったと思います。
一歩引いたところから見るという意味では、麻酔科医と作家の立場は似ている部分があるかもしれません。医療には、良い面と悪い面があります。でも、医師は良い面しか言わない。言えないんです。言っちゃったら患者さん、来なくなっちゃうでしょ(笑)。でも、作家としてなら批判的なことも書けます。医療者も、もやもやした思いを抱えているのでしょう。実際に、医師や同僚から文句を言われたことは一度もありません。逆に「よくぞ言ってくれた!」という反応の方が多いですね。
――「一歩引いた視点」から、日本の医療についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。
患者さんに悪い話は伝えず、治らないとわかっていても治療を続けるというケースをこれまでたくさん見てきましたし、現在も一部では続いていると思います。たしかに、良い部分しか聞きたくないという患者さんはいますが、悪い部分も正直に伝え、その上で患者さんと向き合う方が誠実ではないでしょうか。現在、日本の医療は在宅医療や緩和ケアにシフトし始めています。私は在宅医療に携わっていましたが、老衰で亡くなる患者さんの多くは、静かに最期の瞬間を迎えていました。残された時間を、本人やご家族が望む形で過ごし、穏やかに死ねるような医療になっていけばいいなと思っています。 (後編はこちら)
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