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小説が医療にもたらす思わぬメリットとは―医師と2足のわらじvol.7(後編)

2019年1月5日

2003年に小説『廃用身』で作家としてデビューされた久坂部羊先生。外科、麻酔科、外務医務官、高齢者医療など多岐にわたる現場を経験してきたそうです。現在も医療小説を執筆する傍ら、医師として健診業務に携わっている久坂部先生。二足のわらじ生活は、意外な効果をもたらしていると語ります。医師兼作家というワークスタイルや、そのメリットについて聞きました。(取材日:2018年11月27日)

医療の進歩に伴い医療小説にも変化が

――現在は、どのようなスケジュールで医師と作家のお仕事をされているのですか?

医師としての仕事は、週に1回、午前中だけ健診センターでの勤務があります。その日の午後は、大阪人間科学大学の研究室に出勤。その他にも2日講義をしていて、残りの4日間は執筆、というのが1週間のスケジュールですね。

大学では、医学概論や精神保健学の講義をしています。医師ではなく、社会福祉士・介護福祉士・ケアマネージャーなどを目指す学生が多いので、医療の専門用語を並べても理解してもらえません。ですから、興味を持って学んでもらえるように、話し方などにも気をつけています。医学についてわかりやすく面白く話す練習というか、修行の場でもありますね。だって、面白くない話をしたら学生は寝ちゃいますもん(笑)。

――1週間の半分以上は執筆にあてているんですね。ずっと机に向かっているのでしょうか。

執筆の日は、朝から晩までずっと考えています。実は、書いている時間よりも考える時間の方が圧倒的に長いです。私の場合、ジョギングをしながら考えることが多いですね。走りながら登場人物になりきったり、あるいは読者の立場になってみたり。アイデアが浮かぶと熱中してしまって、どうやって帰ってきたのかも記憶に残らないほどです。一方、いざ執筆を始めると、ついお菓子を食べたり、マンガを読んだり、パソコンでゲームをしたり、ゴロゴロしたり…… (笑)。集中力が弱いのですが、持続力はあるので一日中机に向かってはいます。

私が書くのは主に医療小説と呼ばれるジャンルですが、医療の変化に伴い、小説で扱う内容も昔とは変わってきていますね。以前は、難病の患者さんをスーパードクターが救うとか、『白い巨塔』のような、業界内での人間関係や権力争いといった内容が多かったように感じます。一方最近では、医療が発展したが故の矛盾や葛藤を描く作品が増えています。たとえば、臓器移植、延命治療、安楽死、遺伝子操作、IPS…。技術の進歩がもたらす葛藤や負の側面が、題材の中心になっています。

医師たちよ、外の世界に飛び出そう

――“二足のわらじ”というワークスタイルは、医師の仕事や作家業に影響を与えていますか?

医師として現場の空気を感じることは、医療小説を書く上でもとても重要です。たとえば健診でも、すごく健康を気にする人や、無頓着で体に悪いことばかりしている人など、健康に関する捉え方は人それぞれです。検査の値の受けとめ方一つとっても人によって反応が全然違う。日常的にそうした反応に触れることが、小説のリアリティーを高めてくれると感じますね。

一方で、医療小説を書き始めてからは、診療でも患者さんにわかりやすく伝えるのが得意になりました。たとえば治療法について説明するとき、医師は患者さんがわからないような専門用語をつい使いがちです。でも、小説は一般の読者にも理解してもらえるように書かなければならない。誰でもわかるようにするにはどう言えばいいか、を無意識に考えるようになりました。

また、編集者や書店員、読者といった医療以外の業界の方と話すと、我々医師の感覚は独特なんだなと実感させられます。もちろん、患者さんと話す機会はありますが、医師・患者という関係性ではなく、同じ立場で話すことで、学ぶものも多かったですね。結果的にはそれが患者さんとの接し方にもプラスに作用します。医師はどうしても狭いコミュニティで価値観が固定されがちなので、外の世界を見ることでいろんな気づきがあると思います。

小説を通じて医療の問題をあぶりだす

――“二足のわらじ”生活はメリットだらけということでしょうか。

私にとってはメリットが大きいです。ただ、私は現在創作や教育に軸足を置いた生活をしていますが、医師は多忙かつ責任重大な仕事です。実際は、他の楽しみを持ったり“二足のわらじ”を履いたりする余裕のない方がほとんどなのではないでしょうか。医師の他にやりたいことがあるとして、両方ともプロになるには努力と才能、それに運が必要ですね。私の場合は、諦めずに続けたことで運が向いてきました。芽の出ない時期は、外務医務官の経験がエッセイの刊行、ひいては作家デビューにつながるなんて、思ってもみなかった。本当にやりたいことがあるなら、諦めの悪さが大事、とも言えるのかもしれません (笑)。

――今後の展望を教えてください。

実は、医師兼作家という働き方はそんなに珍しくありません。たとえば『チーム・バチスタ」シリーズの海堂尊先生や、若手では知念実希人先生も人気ですよね。古くは斎藤茂吉、森鴎外も医師でした。インターネットの発展によって本が売れない時代になってきましたが、医師兼作家としては、医療小説を通して医療や、医療が抱える問題について一般の方に広く知ってほしいという想いがあります。そのためには、持ち味をしっかり出して読者を広げることも大切だなと感じています。アイデアが枯渇してしまうまでは、書き続けていきたいですね。

久坂部 羊
くさかべ・よう

1955年大阪府堺市生まれ。医師家系で育ち、1981年に大阪大学医学部を卒業。大阪大学付属病院第2外科、同麻酔科、神戸掖済会病院外科などの勤務を経て、1988年に外務省に入省。外務医務官として、サウジアラビアなどの日本大使館に勤務。1997年に外務省を退職し、以後、在宅医療などの老人医療に従事する。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年『廃用身』(幻冬舎)でデビュー。2014年に小説『悪医』(朝日新聞出版)で第3回日本医療小説大賞受賞。『院長選挙』(幻冬舎)、『嗤う名医』(集英社)、『カネと共に去りぬ』(新潮社)など数々の医療小説を発表し、『大学病院のウラは墓場』『人間の死に方─医者だった父の、多くを望まない最期』(共に幻冬舎)などの新書も手掛ける。2016年から大阪大学医学部招へい教授。

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