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「医師でも写真家でもない」60代男性の思い―医師と2足のわらじvol.3(後編)

2018年12月14日

井上胃腸内科クリニック(神奈川県横浜市)の院長を務めながら、自然写真家として毎年欠かさずアフリカのサバンナに通い続けている井上冬彦先生。後編では、自分自身のことを「医者でも写真家でもない」と語る理由、二つの職業がそれぞれに与える影響などについて伺いました。(取材日:2018年11月6日)

個展を機に、医師兼プロの写真家へ

―井上先生が写真を始めて、大きな転機となったのが1995年の初個展だと伺っています。

40歳のとき、プロの登竜門と言われている富士フイルムのフォトサロンに応募したら審査に通過して、初個展が開催されることになったんです。これがわたしの運命を大きく変えました。この初個展に編集者が来て、その方が「写真集を出しましょう」と言ってくれたんです。翌年、『サバンナが輝く瞬間』という写真集を出版し、アマチュア写真家の最高賞と言われる林忠彦賞までいただきました。写真を始めたころに掲げた「写真展を開く」、「自費出版ではない写真集を出す」という、三つのうち二つの夢が叶ったのです。何よりも、わたしがアフリカで感じた感動が、写真を見た方々に伝わったことがうれしくて――。新聞にも取り上げていただいて、全く無名だったわたしの写真展に1日平均1000人、1週間で7000人近くもの人が見に来てくれたんです。たくさんの人が「感動しました」「癒やされました」と言ってくれて、会場に置いたノートが丸々一冊、写真の感想で埋まりました。その言葉にわたし自身が癒やされ、新たな感動をもらいましたね。うれしくて、ノートがボロボロになるまで読み返しました。この経験が写真家としての原点。そして、「写真家としてやっていけるかもしれない」と初めて思ったきっかけです。

それから度々、写真展を開くようになりました。当時勤めていた大学病院の教授と助教授は毎回来てくださり、同僚たちも応援してくれましたね。新聞・雑誌の連載やカレンダーなど写真の仕事が増えてきたので、プロのとして活動するために、1999年に写真事務所を設立したのです。

クリニック勤務から、開業医へ


―その後、井上先生は大学病院を退職。恵仁会 松島クリニックに入職、さらに独立して開業します。医師としてはどのような考えがあったのですか。

最初の写真集を出した後、家庭の事情もあり、20年間勤めた大学病院を辞めて大腸内視鏡検査では症例数日本一の松島クリニックに入職しました。自分の技術や知識を活かせる環境であり、条件面も良い。わたしの写真家としての活動に理解があり、年に2回長期取材休暇を取得できることも大変ありがたかったです。松島クリニックは医師と写真家の両立を目指すわたしには最高の環境だったのですが、本当に自分の目指す医療とは違うとも感じていました。もちろん正確な診断治療は大切ですが、症状を体からのメッセージと捉え、その意味を読み解き、薬に頼りすぎずに生活改善で治すのが本質だと思っていました。いずれは開業してそのような医療を追求したいという思いもあったのですが、開業したらこれまでのように半年に1回のペースでアフリカには行けなくなる――。それどころか、写真活動そのものを諦めざるをえない。開業がそんなに甘いものではないことは分かっていたから、二の足を踏んでいたのです。しかし、50歳で開業することを決意しました。

―なぜでしょうか。

二つ理由があります。一つは年齢的に「自分の医療」を目指すラストチャンスだと考えたこと。もう一つは50歳で子どもが生まれたので、定年がない職場で働く必要性が出てきたこと。開業前は、少しネガティブな気持ちで写真は諦めるつもりでした。しかし、すぐに「この状況でアフリカに行ける環境をつくらなければ自分は進化しない」という挑戦的な気持ちになれたことで、開業への踏ん切りがついたように思います。

―開業後はどうだったのですか。

開業して1年間はさすがにアフリカには行けませんでしたが、その後はスタッフを増やして年に1回か2回、アフリカに行くスタイルを取り戻しました。だからといって、医師としての仕事を減らしたわけではありません。取材に行くとき以外は週に5~6日診療しています。医師としては若い時以上に働いていますね。肉体的にはきついですが、写真の仕事は医療のモチベーションも上げてくれます。
経営は1年目から安定し、患者さんは増え続けました。5年目には手狭になったため、9年目に近くにクリニックを拡張移転しました。開業後、自分の目指す医療に確実に近づいていることを実感しているので、決断は正しかったと思っています。
写真家としては、開業後も細々とですが途切れることなく、執筆や企画展などの仕事が来ていました。もし依頼が途絶えていたら、写真をやめていたかもしれません。それほど忙しく、いつも疲労困憊していました。しかし、情熱が消えることはなかった。移転も落ち着いた60歳を機に、もう一度本格的に写真活動を復活させました。以後、精力的に写真展を開催したり、写真集などを上梓したりしています。

「命」を表現するということ

水を飲むライオン親子(撮影:井上冬彦)

―医師と写真家。この二つの職業は、井上先生の中でどのように位置づけられているのでしょうか。

医療と写真は両輪で、その二つを通じて表現しているのは「命」だと考えています。そのため、自分は医師でも写真家でもなく、「命の表現者」を目指しています。

ある写真展を開催したとき、涙をいっぱい浮かべて「生きる勇気をもらいました」と言ってくれた女性がいたんです。そこで改めて、医師になった原点でもある「命とは何か」を考えさせられました。わたしたちが普段見ている命は、本当の命なのか。サバンナの動物にとって死は日常であり、何ら特別なものではない。自然の中で命を見て、医療現場で人間の命を診る。この二つの視点から「命とは何か」を問い続けていこうと思ったんです。すでに自分なりの答えは見つかっているのですが、それを写真や文章で表現するのは本当に難しいですね。

―2足のわらじを履くことで、それぞれの職業にどのような影響が生じていると考えていますか。

医療と写真、一見関係ないそれぞれの仕事が両方にプラスになっていると感じますね。医療に携わっていることが、写真で命を表現する際の深みにつながっている。
撮影でアフリカに行き、無心になって感じることを中心とした生活は、癒しを与えてくれ、元気の源になっています。普段は診療や経営など考えることが多すぎて、脳にとってはバランスの悪い生活です。アフリカでは、無心になって感じる時間が大部分を占めるので、それでバランスをとっているように思います。また、この二つを目指すようになって、美術、生命科学、文学を学ぶ時間が増えてきました。命の答えに迫るために学ぶことが、とても楽しくなってきたのです。
一見別の分野に思えることでも、突き詰めていけば必ずつながってきます。わたしの場合、写真で人を癒せることが分かった時に医療とのつながりに気付きました。以後、それぞれの手法が絡み合い、進化し続けているように思います。今では、ともにかけがえのないライフワークです。

わたしは医師としても写真家としても中途半端かもしれません。たとえば、医者で10の力を持っている人、写真家で10の力を持っている超一流の人がいる。わたしはともに6~7かもしれませんが、足せば10より大きくなるし、それでいいと思っているんです。医師と写真家、両方をやるのがわたしらしい生き方なのではないかと。ただ、写真も医師としてもまだまだ上に行けるはず。今まで完全に我流でやってきていましたが、もっと上達するために最近は本で勉強していますから。(笑)。


―ご自身の経験を踏まえて、2足のわらじを履く働き方を考えている医師に何かアドバイスがあればお願いします。

個人的に10年続かないものはだめだと考えています。本当に好きだったら、とにかく続けること。長く続けていくと、戻るか進むか、分岐点に立つときがやってきます。失敗してもめげずに進んで、チャンスが与えられたら必ず乗る。自分の直感を信じて、それに素直に従う。「考えすぎずに直観を信じろ」ということですね。考えすぎたら前に進めなくなります。
二つのことをどちらも本気でやれば、オリジナリティが生まれるはずです。わたしは結果的に2足のわらじを履くことになりました。辛いこともたくさんありましたが、こんなに恵まれたハッピーな人生はないと思っています。

井上冬彦
井上胃腸内科クリニック理事長・院長/自然写真家

1954年、東京都生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。同大学第三病院内科講師、恵仁会・松島クリニック診療部長を経て、2005年に井上胃腸科・内科クリニック(現・井上胃腸内科クリニック)を設立。一方、96年に写真集『サバンナが輝く瞬間』で林忠彦賞を受賞し、自然写真家として本格的に活動を開始。写真集『サバンナの風に吹かれて』『ラブレター』『Symphony of Savanna』、写文集『マイシャと精霊の木』などを発表している。

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