事例
医師人生にはさまざまな選択肢があることを、それぞれのキャリアストーリーを通してご紹介します。-
事例
未来を担う若手医師を、石巻で育てたい―長純一氏
東日本大震災後、長野から石巻に移り住んだ、長純一氏。石巻を移住先として選んだのは、この地に若手教育の拠点を作るため。東北の医師不足を解消する一手として、総合診療医の数を増やしたいと考えている長氏は、現在所長を務める開成仮診療所にて、総合診療医教育に取り組もうとしています。
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事例
南大東島の住民も協力。離島医療を変えた取り組み―太田龍一氏
南大東島に3年間赴任していた太田龍一氏。現状に違和感を抱き、地域住民とコミュニケーションをとる中で彼らの気持ちに気付いた太田氏は、100年近く続いていた医療システムの改善に取り組みます。住民の「地域をよくしたい」という強い思いに、どのように応えていったのでしょうか。
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事例
地域医療も、EBMも、自分自身で面白く―名郷直樹氏
デイビット・サケットの『クリニカル・エピデミオロジー』という本を読み、医師人生が変わったと語る、武蔵国分寺公園クリニックの院長・名郷直樹氏。本からの学びを、日々の診療にどのように活かしているのでしょうか。
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国際保健は、地域医療の延長線上にある―吉田修氏
国際保健を志す学生が話を聞きたい医師・吉田修氏。現在、吉田氏は徳島からザンビアの医療を支えるための仕組みづくりに取り組んでいます。
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病気ではなく、その病気を含んだ患者さんの人生がみたい―江角悠太氏
研修医時代に緩和医療に感銘を受け、家庭医療学を学んだ江角悠太氏。「自分が診たいのは病気ではなくて、その病気を含んだ患者さんの人生だ」と気付きます。現在は志摩市民病院の院長として病床存続、一医師として地域の課題に向き合っています。
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事例
最期は在宅という選択を増やす―安井佑氏
社会的にも求められている在宅医療。板橋区やまと診療所の安井佑氏は、現場の負担を軽減するために、米国のPA(Physician Assistant)制度を取り入れています。
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事例
松阪市を支える、夜間休日診療に特化したクリニック―良雪雅氏
「誰でも運営できる、持続可能な応急クリニック」を広げていきたいと考えている良雪雅氏。持続可能なために必要不可欠なこととは?
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事例
生涯現役の救急医モデルを新潟から―佐藤信宏氏
出身地である新潟市を拠点に、救急医療における臨床、研究、教育を実践する佐藤信宏氏。経験を重ねるにつれ、救急医療が秘める可能性を実感し、「一生続けられる救急医」というロールモデルをつくっていきたいと語ります。
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地域と多職種間の連携が、医療の力を強めていく―古屋聡氏
在宅医療に取り組みながら、口腔ケアの啓発活動を積極的に行っている山梨市立牧丘病院院長の古屋聡氏。東日本大震災後、気仙沼で口腔ケアの取り組みをしていた古屋氏は「気仙沼口腔ケア・摂食嚥下・コミュニケーションサポート(通称ふるふる隊)」というサポートチームをつくり、現在も東北で勉強会活動などに取り組んでいます。
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都市と地方、双方の医療課題を解決していきたい―水上潤哉氏
のどかな田園と日々発展する住宅街の側面を持つ相模原市にて、外来と訪問診療を行うクリニックを開業した水上潤哉氏。同院でロールモデルをつくりたいと意気込むその背景とは――。
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地方でも、気軽に「家庭医」を目指せる環境を―藤谷直明氏
生まれ育った大分県で家庭医として働くことを志し、現在は由布市の診療所に勤務している藤谷直明氏。プライマリ・ケアの認知度向上と医学生の教育に日々励んでいる藤谷氏が思う、家庭医療の教育における課題とは?
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医師として、一個人として、積極的に地域づくりに関わっていきたい―藤戸孝俊氏
学生時代から「医療を通じて、人々が暮らしやすい社会をつくりたい」という思いを持ち続けている藤戸孝俊氏。現在は宮城県石巻市にて、コミュニティづくりに力を入れています。
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今の救急医療に歯がゆさを感じた。自分がやるしかないと思った ―上原淳氏
2010年7月、埼玉県川越市に日本初の個人救急クリニックを1人で開院させた上原淳氏。「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」と語る上原氏に、これまでの歩み、埼玉の救急医療現場の実情などについて伺いました。
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「医の原点」を教えてくれた奄美から、温かい医療を広げていく―平島修氏
奄美大島で研修医教育に励む平島修氏。課外活動として、身体診察を学び医療について熱く語る「ジャパンフィジカルクラブ」の主催者としても知られています。
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地域に合わせた仕組みで、医療にイノベーションを―池ノ谷紘平氏
都市から少し離れた地方には、開業医の引退により医療アクセスが悪くなっている地域があります。こうした状況を解消すべく、東京から栃木県益子町のクリニックまで毎日通勤している池ノ谷紘平氏。どのような思いからこの取り組みを始めたのでしょうか。
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地域医療に踏み出せたのは、安心して診療できる環境があるから―前田宗久氏
2015年7月、種子島唯一の産婦人科がある種子島産婦人科医院に着任した前田宗久氏。地方で働く不安はあったものの、「種子島なら安心して働ける」と思い、現在に至ります。
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東大病院を飛び出して、縁なき東北で在宅診療所を開業したわけ―田上佑輔氏
東京大学医学部を卒業し、腫瘍外科医を目指そうとしていた田上佑輔氏。東日本大震災のボランティア活動を通じて、宮城県登米市と東京都板橋区に在宅診療所を開業しました。地方と都市部、双方に拠点をつくった理由とは―?
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不可能を可能にする。その積み重ねが、地域医療を変える―新村浩明氏
「目指すのは、日本一の泌尿器科病院」―そう語るのは、ときわ会常磐病院院長の新村浩明氏。一見不可能だと思うことも可能にしてきたその原動力、いわき市の医療状況について伺いました。
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「離島」という地域特性が、医師の可能性を広げてくれる―佐藤賢治氏
佐渡島最大の中核病院である、佐渡総合病院。同院の副院長を務める佐藤賢治氏は、佐渡に赴任して20年を迎えます。着任当初は半年という期限付きの赴任だったにも関わらず、現在もこの地で医療に向き合う理由とは?
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四国に匹敵する面積を支える地域医療、その実情―和泉裕一氏
四国に匹敵する広範な地域の医療を支える、北海道北部に位置する名寄市立総合病院。北海道とは縁のない医師が「地域医療をしたい」とIターンしてくるケースもあるそうです。医療者に選ばれる病院の魅力とは?