東京大学医学部を卒業し、腫瘍外科医を目指そうとしていた田上佑輔氏(やまと在宅診療所登米 院長)。エリートコースを順風満帆に進むこともできた彼は現在、宮城県登米市に在宅診療所を開業し3年目を迎えました。日々の診療以外にも地域住民や行政と関わったり、登米市の地域包括ケアアドバイザーを務めたりしている田上氏。その背景には、30歳の時に考えた一つの思いがありました。
医療の質向上のため、市民・行政と関わる
−宮城県登米市での活動内容について教えていただけますか。
やまと在宅診療所登米では現在、非常勤の医師含め8名で約200名の患者さんを診ています。そのほか、地域住民やコメディカル、行政も巻き込んで地域の医療の質を上げる活動にも取り組んでいます。
―“地域の医療の質を上げる活動”とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
たとえば、診療所の横に「coFFee doctors」というカフェを併設させていて、そこで定期的に一般の方の健康・介護の相談会を開いています。このカフェを始めた理由は、患者さんだけでなくその家族、地域住民も含めて、“全員参加”で医療・介護について話し合い、地域包括ケア体制をつくっていきたいと思ったからです。
さらに2015年4月からは、登米市の地域包括ケアアドバイザーとしても活動しています。医師が少ない地域で医療の質を上げるためには、現在その地域で活動している医療職、介護職の方との連携が重要です。連携を取るためには行政の協力が必要と考え、登米市に働きかけていたところアドバイザーを引き受けることになりました。具体的な活動としては、医療者やコメディカルの方々が集まる場を設けてさまざまな話し合いをし、出た声をまとめて吸い上げ、行政の政策へとつなげていっています。
「医師が都市と地方を循環する仕組みを」
−もともと医師を目指そうと思ったきっかけはなんでしょうか。
医師という職業を意識したのは、「人に関わる仕事がしたい」という気持ちと「何かの分野を勉強して突き詰めたい」という気持ちからです。この2つが叶えられるのは医師だという考えが漠然とあり、九州から東京に出てきて東京大学医学部に入りました。医学生時代には、「せっかく東京に出てきたのだから、何か日本全体に影響を及ぼせるような仕事に関わっていきたい」という思いが芽生えていましたね。
医学部を卒業してからは外科医を志し、東大と関係のある国保旭中央病院(千葉県旭市)で経験を積みながら、アメリカやカナダのさまざまな病院を短期で見学していました。この過程でがん患者さんに接する機会が多かったため、彼らに貢献したいと、2007年からは東大医学部附属病院腫瘍外科の医局で研究を始めました。
しかし、研究者としてのスタートが遅かったこともあって、「自分がこのまま続けても、最先端を走るアメリカの研究者には追いつけない」という閉塞感が徐々に募っていきました。同時に、医学生のころから抱き続けてきた「日本のために何かしたい」という思いを見つめ直すようにもなりました。それがちょうど30歳のころです。
改めて考えると、医学生の頃から言われていた「地方に医師が少ない」「どこの病院で受診したらいいか分からない」「医療にあてる国の予算が足りない」「高齢化がますます進んでいる」などの問題は、10年以上経っても、何一つ解決されていなかった。日本の医療が抱えるこうした根本的な問題について自分はどう取り組むべきか考えた結果、医局の外に飛び出してでも自分にできることをやりたいという思いが日に日に高まっていきました。
今挙げたような問題は部分的によくなっても、違うところにひずみが出てきてしまうので、それらを網羅しながら解決する仕組みが必要です。そう考え、医師に限らず厚生労働省の方や県議会議員、ビジネスリーダーの方々などに会ったり、政策やビジネスについて勉強したりすることで、自分なりの解決策を探すようになりました。
−そんな矢先、2011年に東日本大震災が起こったのですね。
そうです。震災後は、すぐに被災地に行かなければいけないという思いに駆り立てられ、特定非営利活動法人「ジャパンハート」のボランティアチームに入りました。
当初は被災地に行っても、保健活動がほとんどで医師がやることはあまりありませんでした。ただ半年もすると、ボランティアの医師も少しずつ来なくなり、医師不足の現実や、都市部と地方の医療格差を目の当たりにするようになりました。
そこで、県内外の約10名の医師たちとチームを組んで、宮城県の登米市立登米市民病院や、気仙沼市立本吉病院の当直を順番に回すことを始めました。都市部と地方を医師が行き来するというモデルのアイデアは震災前から頭の中にあったのですが、それを実行しようと決心したんです。
ボランティアを始めて2年後の2013年、宮城県登米市と東京都板橋区高島平の2か所で、チームの一員であった安井佑先生と共に在宅診療所を開業し、今に至ります。都市部と地方、両方に拠点を持つことによって、医師が双方でキャリアを積むことができる。地方に赴任してそのままキャリアが閉ざされるというのではなく、いつでも都会に帰ってくることができるという「循環型」のキャリアモデルがあれば、若手医師も地方の医療に挑戦しやすくなるのではと期待しています。
地方は「若手医師にも魅力的」
−地方で働く最大の魅力はなんでしょうか。
地域の人との距離が近く、自分のやりがいにつながる“価値”の交換があることではないでしょうか。これは宮城県と東京都で同時に開業したため、鮮明に分かります。例えば地方では、診療という価値を提供すると、その感謝の気持ちとして家族が野菜をくれたり、患者さんのお店に行かせてもらったり、亡くなった患者さんの家族がわたしの主催するイベントに来てくれて再び話すことができたりして、さまざまな形に変えて価値を返してくれるんです。
−地方では、単に「診療して料金を支払ってもらう」という以上の“価値交換”が生まれやすい。
そう思います。コミュニティの中で医師の自分がどのように見られているかを強く意識させられます。非常に小さなコミュニティだからこそ、自分のやるべきことが見えやすいのです。
そのため若い医師は、自分の役割や自分の軸を見つけるために地方で経験を積んだほうがいいと思います。基本的なトレーニングを終えて一人前になった時期、医師10年目前後が最適ではないでしょうか。一度地方へ出て今後の仕事の方向性を固め、また東京へ帰り医療を提供していく。そのようにして地方に関わる若手医師が増えてくれたらと思います。
−最後に、今後の展望について教えてください。
何よりもまず、思いに共感してくれる人たちを集め、都市と地方を医師が循環する仕組みをつくり上げていきたいです。もちろんまだ始めたばかりなので苦労の連続ですし、今は活動の意義が理解されないこともあります。しかし、いま自分にできることをやり続け、伝え続けることで思いを共有するチームを大きくしていきたいです。このチームが大きくなれば、若手の医師も地方に行きやすくなると思いますしね。
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各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
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