夏は涼しく、冬は積雪の少ない福島県いわき市。東日本大震災後に他地域の避難者などが流入したこともあり、人口が急増する一方、顕著な医師不足に陥っています。医療の立て直しが課題となる中、ときわ会常磐(じょうばん)病院では、救急部門の立ち上げ、最新医療機器の導入など、果敢にチャレンジを続けています。目指すのは、「日本一の泌尿器科病院」―震災を乗り越え、どのような思いで地域医療に取り組んでいるのか、院長の新村浩明氏に伺いました。
震災を経験して、ここでやるしかないと思った
―新村先生は富山県出身で、富山大学医学部を卒業されています。いわき市とはどのような関わりがあるのでしょうか。
わたしがときわ会に着任したのは2005年。東京女子医科大学泌尿器科に在籍していた当時、ときわ会グループの本部であったいわき泌尿器科に派遣されたことがきっかけです。
泌尿器科と透析科に特化し、両科に集中的に資金が投下されるときわ会は、当時成長途上にあったわたしのような泌尿器科医にとって、これ以上ない環境でした。会長の常盤峻士は、「いわき市に、日本一の泌尿器科病院を」が口癖で、その言葉に非常に感化されました。限界を設けず、何でも挑戦しようと思いました。
常磐病院の母体は、1966年に開院した市立常磐病院。現在の形態になったのは、2010年4月なんです。福島県で最多の透析患者を治療するグループへと成長しましたが、開設から1年もたたないうちに、東日本大震災が起こりました。
―震災は、透析患者に大きな影響をもたらしたのではないでしょうか。
震災後、いわき市内の医療機関では、透析機器の故障、断水なども発生し、十分な医療提供ができない状況に陥りました。患者さんにとっては死活問題ですから、市内の10施設で協議し、震災から1週間ほどたった3月17日には、透析患者584人を他県へと移送しました。
患者を移送するにあたり他県の医療機関に受け入れを要請したところ、快諾をもらうことができたのは、本当にありがたかったです。一方で、行政の壁もあり、移送手段、宿泊先の手配には苦労しました。インフラが崩壊し公的な支援も行き届かないような状態に陥ると、最後にモノを言うのは人的なネットワークなのだと、身をもって感じました。その節は、本当に多くの方々に協力をしていただきました。
―震災を経て、何か心境の変化はありましたか。
私は単身赴任で家族は東京にいるのですが、震災で吹っ切れましたね。自分はここでやるしかない、と。震災前後で心境がどう変わったか他の職員に聞いたことはありませんが、皆強くなったと思います。一旦極限状態に置かれて仕事に戻ってきて、精神的にタフになった。私自身もそうです。
震災をきっかけに、職員の気持ちがより1つになったと感じました。これだけ熱い思いを持つ職員がいるのだから、もっとすごい仕事ができる。そういう思いは震災後、さらに強まりました。
2020年には、救急車対応台数を今の10倍に
―その取り組みが、救急部門の立ち上げ、最新機器の導入に該当するのでしょうか 。
そうです。救急部門を立ち上げた背景には、人口増加の影響もあって、いわき市内の救急搬送数が急激に増加したことが挙げられます。当院では年間700件ほどの救急搬送に応じていますが、明らかに不十分。他の医療機関にしわ寄せがいっている状態でした。救急診療のスキルを身に着けるため、常磐病院より私ともう1名の医師が、いわき市立総合磐城共立病院の救急部門に、週1回研修に行っています。同院の救急部門では、救急専門医3名でいわき市の3次救急を一手に担っている。研修といえども、人材不足の救急をお手伝いすることにも大変な意義があると思っています。
スタッフには、「2020年には、いわき市の2次救急の半分を当院で対応できるようになろう」と伝えています。そのためには、救急車対応台数を今の10倍にしなければなりませんが、本気です。
最新機器に関しては、透析センター、PET-CTセンターを作った約1年後にda Vinciを導入。「いわき市に、日本一の泌尿器科病院を」という思いから、少しずつ規模を拡大して今に至ります。da Vinciによる前立腺がんの手術件数は、2015年で200件に到達しました。
すべてのルーツは「一山一家」の精神
―不可能だと思うことを、実現できる。その秘訣はなんでしょうか。
ときわ会の特徴は機動力、そして、従来の価値観にこだわっていないところ。当院では、何か目標を立てたとき、「その実現に向けて、これが足りないから何をしないといけない」というような議論が自然に始まるんです。そういうことを1つ1つ着実にやってきたので、職員たちも前向きに、この地域が抱える課題に向き合ってくれます。
―いわき市で働く上で、大切にしていることはありますか。
ときわ会の理念でもある、「一山一家」という言葉です。かつて炭鉱の町として栄えたいわき市には、「1つの鉱山が1つの家族である」という考え方があります。現場の労働者やその家族、炭鉱に関わるすべての人が強い連帯感で結び付き、お互いに助け合おうという精神です。
この土地でずっと医療をやっていくからには、わたしもこの考えを大切にしていきたい。救急体制の充実も、最先端医療への挑戦も、すべてこの延長線上の取り組みです。まだ始まったばかりの取り組みもありますが、将来いわき市の医療をどう変えていけるか、今からすごく楽しみです。
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