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脱サラ医師だからこそ伝えたい、産業医の存在意義 ―尾林誉史氏(道ノ尾病院)

2017年8月31日

長時間労働や過労死の問題が取り沙汰される中、動き出した「働き方改革」。その影響もあって産業医への注目が高まっています。今回取材したのは、大手企業のサラリーマンを経て産業医になった尾林誉史氏。サラリーマン時代、とある出来事をきっかけに、「産業医こそ、自分の天職かもしれない」と考えた尾林氏は、「産業医に対する理解・期待値が低いのではないか」と問題意識を持ち、産業医が持つ可能性について積極的に情報発信しています。尾林氏が考える産業医のやりがい、そして、これからの産業医に求められる役割について聞きました。

「会社に行くのがつらい」―同僚からの相談が転機に

―大手企業を退職してまで産業医を志したのは、なぜだったのでしょうか?

サラリーマンとして働きだして4年目の2005年、同僚がメンタルを崩したことがきっかけで産業医という存在を知り、「自分の天職かもしれない」と思ったからです。

当時は、うつ病の啓発がなされ、その認知度が上がっていた頃。直感的に、産業医の役割も増していくのだろうと思ったんです。もともと、人から相談されやすい性格でしたし、社会人経験を経て医師になる人もいると知って――わたしの中でバラバラになっていたものが1本の線につながったのです。産業医こそ自分の天職に違いないと確信し、2006年に退職しました。

ところが、周囲の反応は総じてネガティブでした。すでに医師になっていた友人からは「なぜ産業医なの?」と言われ、医学部に入ってからも、周りからは「産業医なんてモチベーションが低いね」と冷ややかに見られました。わたしとしては、自分の適性も活かせて人の役にも立てる素晴らしい仕事と考えていましたが、なかなか共感を得られませんでした。

―医学部卒業後は精神科の道へ進まれたのですね。

精神科に進んだのは、気持ちよく働くこととメンタルの問題は、切っても切れない関係にあると思ったからです。精神科の修練を積んだら、ずっと常勤で産業医として働き続けようと考えていた時期もあったのですが、最近では実臨床と並行して産業医業務を行う大切さも感じ始めています。精神科の臨床もしているからこそ、相談者の主治医の判断に頼り切らずに、「この辺りでつまずいているな」「このくらいつらそう」などと、相談者の気持ちを肌感覚で理解できるからです。どんなスタイルで臨床・産業医業務を行っていくべきかは、まだ考えあぐねているところです。

相談者の立場を理解できるのは、社会人経験があるから

―産業医のどのようなところにやりがいを感じますか?

やはり、一番やりがいを感じるのは、「先生の存在が支えになった」などと従業員から言われたときですね。この一言にたどり着くまでは、苦労の連続です。会社をやめるかどうか深く悩んでいる人に対し、いろいろな質問を投げかける。人間関係や業務内容など、従業員が抱える悩みは一様ではありませんが、最終的に自分で選択できるよう促していくことが大切だと思っています。そんな苦労の連続の末に、相談者が復職して順調に勤務できるようになると、実に満たされた気持ちになります。

―サラリーマン経験があるからこその強みを自覚することはありますか。

一般的な産業医業務にとどまらず、相談者の悩みに多面的に応じられることでしょうか。
たとえばわたしの場合、長期的なキャリア相談に応じることもできる。その中で明らかにミスマッチを起こしていると思われる人には、ハッキリ言うこともあります。「ここで働きたいなら違う部署や職種を希望したほうがいい。あるいは、ほかで再スタートするというのもありですよ」と。
「夜、このくらい遅いんでしょう」「こういう人とやりとりをするんでしょう」と相談者の仕事内容を想像できますし、会社員と同等に社会経済の話もできる。相談者の立場を理解できるのは、自分の強みだと思っています。

産業医が、医療者からも企業からも軽んじられている

―先生は、現状の産業医の課題をどのようにお考えですか。

産業医そのものが、医療者側からも、企業側からも軽んじられている節があると感じています。「とりあえず名前だけあればいい」と名義貸しを求める企業も未だになくなりません。しかし、そうした企業は産業医のポテンシャルに気付いていないのだと思います。

こうした状況を反映してか、多くの場合、産業医が企業を訪問して、従業員と面談したり、企業側に提言したりするために設けられている時間はトータルで1時間程度。たった1時間ではじっくり面談をすることも、社内の人事制度や、従業員の生産性を上げるための施策に関与することも難しいのではないでしょうか。

―尾林先生自身は、どのくらいの時間をかけて産業医業務を行っていますか。

勤務先にもよりますが、だいたい半日程度社内に滞在し、1件当たり15~30分は時間をかけ、10~20件の面談をすることもあります。社内の人事制度に関する会議に出席しますし、どうしてもやむを得ない場合には、いわゆる“肩たたき”も引き受けるなど、人事的な仕事にもフルコミットします。時間さえあれば職場巡視を行い、従業員が元気かどうかに関係なく「こんにちは。産業医って知っていますか?」と声をかけています。従業員が元気なうちから産業医と接点を持つことで、産業医に相談しやすい環境をつくりたいと思っているからです。

―そのほか、産業医に相談する従業員の認識を変えるために意識していることはありますか。

まず何より大切なのは、従業員に「産業医も社員の一員」として認識してもらうことだと思っています。そのために、産業医先の企業から可能な限り社員証や名刺をもらって、同じ仲間であるというスタンスで仕事をしています。日頃から表に出て行くことで、「産業医と関わる=メンタル不調者」という誤解や面談のハードルを下げられると考えていますし、実際に従業員との垣根を低くしていきたいですね。

産業医は、生産性やモチベーションを高められる

―産業医の関与によって復職する人もいる一方、メンタル不調者がなかなか減らない社会的課題もあるとも聞きます。日本の労働環境に対してどのようにお考えですか。

そうですね。最近は、メンタル不調者を見つけて治すことから「いかに未然に防ぐか」に社会的課題がシフトしています。従業員のメンタル不調を予防することで、企業全体の健康につながっていくからです。

このほか、産業医業務をしていて感じるのは、休職を余儀なくされた人たちへの経済的支援の必要性です。休職中は収入が減少しますが、医療費はかさみます。誰も休職したくてしているわけではなく、多くは涙をぽろぽろ流しながら「すごく不本意だ」と言っている―。そうした人たちに対して、一定の要件を満たした場合には傷病手当を手厚くするとか、明らかに経済的に困窮している場合には医療保険ではなく障害者自立支援法の対象にするとか、制度面での新しい対応があってもいいのではないかと思っています。

―最後に、これからの産業医に求められる役割と、今後の展望を聞かせてください。

産業医の一番の役割は、従業員がつらい状態になる前に手を打つこと。そのため、今後ますます、精神科医としてのバックグラウンドが必要になってくるかと思います。健やかに働くこととメンタルの問題は深い関係にあるので、産業医資格の要件にある「メンタルヘルス対策」の単位をもっと増やしてもいいのではないかとも考えています。

産業医は企業にとって、従業員の生産力やモチベーションを維持したり上げたりするメンバーの一人。そういう認識を広めたいですね。残念ながら、「休職や復職の許可をするだけの医師」と思われがちですが、そうしたイメージを本気でひっくり返したい。せっかく天職だと思って就いた仕事ですから、「産業医っていい仕事だね」と思われるように社会的認知を高めていきたいですし、企業全体を健康に導ける存在として期待してもらいたいですね。

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