1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 「麻酔科は、外科の助手ではない」『麻酔科医ハナ』に込めた思い
事例

「麻酔科は、外科の助手ではない」『麻酔科医ハナ』に込めた思い

2017年9月6日

2007年の連載開始以降、麻酔科志望の若手医師に読み継がれている漫画『麻酔科医ハナ』(双葉社)。監修者として、作者のなかお白亜氏と二人三脚で連載に携わったのが、現役麻酔科医の松本克平氏です。「麻酔科医のプレゼンス向上が必要だと思った」と語る松本氏に、制作秘話と、麻酔科医をめぐる問題意識について聞きました。

【編注】
麻酔科医ハナのあらすじは以下の通り。現場目線で、麻酔科医を取り巻く実情について描いている。

「現在の医療崩壊の最大要素のひとつである医師不足の中でも深刻なのが「麻酔科医」不足。その激務と日常を、大学病院の麻酔科医・華岡ハナコを主人公に、時にシリアスに、特にコミカルに、すさまじいリアルさで描く。激務・安月給・セクハラ…きっつい仕事と思いながらも、今日もハナコは元気に麻酔をかけるのだ!」
(『麻酔科医ハナ』 第1巻、発行元・双葉社の紹介文より引用)

麻酔科医になって感じた衝撃

―どのような経緯で、麻酔科医ハナの連載はスタートしたのでしょうか。

連載が始まったのは、2007年。当時わたしは、「麻酔科医のプレゼンスをもっと高めなければならない」と問題意識を持っており、書籍を出すなどして草の根的に情報発信をしていました。そんなとき、漫画を描くのが好きだった同僚と話すうちに、「麻酔科医をテーマに漫画が描けないか」という話に至ったんです。

―なぜ、「麻酔科医のプレゼンスを高めなければならない」という思いに至ったのですか。

正直なところ、麻酔科医としてキャリアを歩む中で、歯がゆい思いをしていたからです。

わたしが医師免許を取得したのは、1982年。当時の麻酔科医は、「外科医の助手」のような立ち位置としてみなされていたように感じます。若手であってもたった一人で手術に参加し、外科医から怒鳴られることもあった。今ほど麻酔科領域のエビデンスも集積されていなかったので、正しいと思っていてもうまく反論できない場面は多かったように思います。看護師から「「麻酔科医の先生は学校に何年通うんですか?」と言われ、認知度の低さに愕然としたこともあります。

朝から晩まで手術麻酔をして、夜、医局に戻ると机の上には翌日の患者さんのデータが山積みになっている――そんな毎日の繰り返しが忙しすぎて、麻酔科医になったばかりのころは何も考えられませんでしたが、2年くらいたつと、モニターの見方も、術野の様子も手に取るようにわかるようになっていきました。そうなると、外科医が行う手技が生体にどんな影響を及ぼしうるか、自分はどうやって対策を打つべきかが分かるようになる。そこまで到達したとき、「外科医の助手」にとどまらない、麻酔科医の存在意義が自分の中で分かってきたように思ったんです。

➖そうした中で、もっと麻酔科の存在意義を認知させたいと考えた。

そうですね。
「麻酔科医のプレゼンス向上が必要」と思った直接的なきっかけとなったのは、大学医局からの派遣で、アメリカのクリーブランドクリニックへの留学の機会をいただいたことです。現地では、麻酔科医が患者さんの入室から外科医への指示だしまで行い、まるで指揮者のように手術を取り仕切っていて、それが手術の安全性や術後経過にも良い影響を与えるという認識が根付いていました。

衝撃的でした。日本でもあんな風に麻酔科医が活躍できたら、きっと患者さんのためにもなるはず。そのために必要なのは、麻酔科医自身がもっと専門性を高め、外科医の言いなりではなく、手術に不可欠な存在なのだということを示していくことだと思ったんです。

麻酔科志望の必読書に

―「麻酔科医のプレゼンスを高めたい」という意図もあって連載が始まった『麻酔科医ハナ』ですが、作中では、救急医療の実情や麻酔科医を取り巻く院内の人間関係なども生々しく描かれ、踏み込んだ問題提起をしているようにも感じました。ストーリーを考えるにあたって、意識したことはありますか。

何か社会に問題提起をしようという意図があったわけではありません。現場で起こっていることを掘り下げていったら、結果的に問題提起のようになってしまったというのが本当のところです。そもそもなぜ、何のために手術を行うのか。麻酔薬を一つ投与するにも、本当に大丈夫なのか。99%の患者さんには大丈夫でも、もしアナフィラキシーが起こったらどうするのか――。わたしたちの現場で実際に起こっていることを見直して、それが何を意味しているのか、一つひとつ考えながら、ストーリーに盛り込みました。

連載がはじまった2007年当時は、カリスマ的な名医が活躍する医療漫画や医療ドラマが流行した時期でもありました。それらと比べると、『麻酔科医ハナ』が取り扱うテーマは、善悪がはっきり分かれるようなものばかりではありませんでしたし、カリスマ的なヒーローも登場しません。ただ、決して派手ではないけれども、現場の麻酔科医の葛藤や思いをしっかりと描けば、きっと誰かに共感はしてもらえるはずだと、強く思っていました。

―実際の反響はいかがでしたか。

連載を開始した『週刊アクション』が30代男性をターゲットにしていたので、当初は現場の医療者から「肌の露出が多すぎるのではないか」というようなご意見をいただくことも多かったのですが、徐々に、「麻酔科医のことが分かった」といった声が一般の方や、医療者から寄せられるようになりました。

麻酔科とは何なのかを説明するために大学の授業で使用してくれた例もありますし、今でも数多くの医学生や研修医たちが、この漫画を手に取ってくれていると聞きます。流行り廃りなく、定番シリーズとして読んでもらえるようになったことは、素直にうれしいです。

『麻酔科医ハナ』が示す、麻酔科医の存在意義

―「麻酔科医のプレゼンス向上が必要」だと先生が考えた1990年代から、麻酔科医を取り巻く環境はどのように変わったと思われますか。

プレゼンスは確実に上がったと思います。麻酔科医が術中の患者さんの状態をコントロールすることで、手術がスムーズに進み患者さんの予後にも良い影響を及ぼすという考え方は、かなり浸透してきたのではないでしょうか。

―麻酔科医のプレゼンスが向上した要因を、どのように捉えていますか。

新薬の登場など医療技術の革新もあると思いますが、やはり、現場の麻酔科医たちが実績を積み重ねてきたことが大きい。高齢化が進み、困難な手術も増えている中で、どうしたら、目の前の患者さんが無事手術を受けられるかを真摯に考えてエビデンスを集積してきたことが、今日の麻酔科医療の体制を作っていると思います。志のある麻酔科医の存在に、少しでも『麻酔科医ハナ』が寄与できているのなら、すごくうれしいです。

―「麻酔科医のプレゼンス向上」が一定程度成功した今、『麻酔科医ハナ』には改めて、どんなことを期待しますか。

「麻酔科医の存在意義は何なのか」を示せるような存在になれるといいと思います。

日々病院で行われる手術行為は、医師から見れば、数あるうちの一つかもしれませんが、患者さんにとっては人生の一大事。たとえ困難に思える場面でも、手術をすればよくなるであろう患者さんが目の前に現れたとき、どうしたらその方が無事、手術を受けられるかを徹底的に考える――それが麻酔科医の専門性だと、わたしは思うんです。

作中に登場する手技や麻酔技術は今後、どんどん古くなっていくのだと思いますが、作中で描かれる麻酔科医の思いや専門性は、これからもきっと変わらないはず。麻酔科医を志す方、現役麻酔科医はもちろん、他科の医師や手術を控えた患者さんまで、この漫画を手に取った多くの方々にとってこの本が、麻酔科医療との原点に思いを巡らせるきっかけになってくれたらと思います。

今後のキャリア形成に向けて情報収集したい先生へ

医師の転職支援サービスを提供しているエムスリーキャリアでは、直近すぐの転職をお考えの先生はもちろん、「数年後のキャリアチェンジを視野に入れて情報収集をしたい」という先生からのご相談も承っています。

以下のような疑問に対し、キャリア形成の一助となる情報をお伝えします。

「どのような医師が評価されやすいか知りたい」
「数年後の年齢で、どのような選択肢があるかを知りたい」
「数年後に転居する予定で、転居先にどのような求人があるか知りたい」

当然ながら、当社サービスは転職を強制するものではありません。どうぞお気軽にご相談いただけますと幸いです。

エムスリーキャリアは全国10,000以上の医療機関と提携して、多数の求人をお預かりしているほか、コンサルタントの条件交渉によって求人を作り出すことが可能です。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    オリンピック出場を目指す研修医の思い―医師と2足のわらじvol.19(後編)

    初期研修医と世界クラスの山岳ランナーという二つの顔を持つ髙村貴子先生。今シーズンからは山岳スキーも始め、年間を通じて山を駆ける髙村先生は、将来にどんなビジョンを描いているのでしょうか。医師として、山岳ランナーとして目指している場所を伺いました。

  • 事例

    研修病院決定の決め手は「そこに山があったから」―医師と2足のわらじvol.19(中編)

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    国試の前は地獄…山岳ランナーと医学生の両立―医師と2足のわらじvol.19(前編)

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”――吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・後編

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・中編

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・前編

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    不治の病を抱えながら、クリニックの院長へ ―病とキャリアvol.7(後編)

    40代でパーキンソン病を発症し、50歳で医師として働くことを辞めた橋爪鈴男先生。後編では、再び医療の世界に戻った時のエピソードと、病を抱えるようになって変化したことを語っていただきました。(取材日:2020年2月20日 ※インタビューは、資料や文書による回答も交えた形式で実施しました)

  • 事例

    「もう死にたい」動けない医師が光を見出すまで ―病とキャリアvol.7(中編)

    皮膚科医として、順調なキャリアを築いてきた橋爪鈴男先生。しかし、40代でパーキンソン病を発症した後、大学病院を辞すことを決意します。中編では、絶望を救った一つの言葉と仲間の支え、そして新たな治療を経て見つけた生き甲斐についてお話をうかがいました。

  • 事例

    40代でパーキンソン病「医師を続けられない」 ―病とキャリアvol.7(前編)

    順風満帆な生活から一転、晴天の霹靂のごとく襲いかかった難病──。橋爪鈴男先生は、40代でパーキンソン病を発症し、大学病院の助教授(当時)の職を辞すことを決意します。身体機能が衰えていく自分の姿に苦悩し、自殺を考えたこともあったそうです。しかし、生きる意味を見出し、再び医師として復帰するに至りました。前編では、突然の発症から大学病院の辞職を決意するまでのエピソードをお聞きしました。

  • 事例

    エンジニア、研究者を経て“ゴール志向じゃない自分“を肯定―医師と2足のわらじvol.18(後編)

    医学部を卒業後、ゲノム研究者とエンジニアを両立する日々を送っていた鈴木晋氏。「臨床がわからないと研究も深まらない」と考え、スキップしていた初期臨床研修を受けようと決意しました。その後、大学院でのプログラミングを用いた医学研究を経て、「治療アプリ」を研究・開発する株式会社CureAppの創業メンバーに。現在は、臨床を続けながら、同社の最高開発責任者(CDO)として開発全般を指揮しています。実は少し前まで、“ゴール志向”でない自身のキャリア観を肯定できずにいたとか。CDOとして働く現在は、どのように捉えているのでしょうか。

  • 人気記事ランキング