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産業保健の専門家として、東北地方で地域・職域連携に挑戦―五十嵐侑氏(株式会社リコー)

2019年1月18日

臨床研修後に、産業保健の専門家となることを決意した五十嵐侑氏。東北地方の産業保健の状況を知り、出身地に戻ることを選択します。あえて産業保健過疎な地域を選んだ理由、東北地方で取り組みたいこととは――。(取材日:2018年9月14日)

大きな都市部よりも、東北で活動した方がいい

―産業医を志した理由について教えてください。

わたしは産業医科大学出身ですが、産業医になることを決意したのは大学卒業後です。臨床研修で現場に出ると、「ここまで重篤になる前に、もっと何かできることがあったのではないか」と思うことが頻繁にありました。予防医学として早期に介入ができれば、今まで救えなかった人も救うことができるかもしれないと思い、産業医になることを決めたのです。

―現在、出身地である宮城県で勤務されていますが、いずれは地元で活動したいと思っていたのですか。

もともと地元に帰ることは、あまり考えていませんでした。臨床研修終了後に産業医科大学で産業医の研修を受けているうちに、自然と宮城県で産業医をやろうという考えが出てきました。というのも、宮城県をはじめ東北地方には、産業保健に従事している人が圧倒的に少ないのです。比較的産業保健に従事している人が多い東京などの大きな都市部で産業保健に携わるよりも、東北地方で産業医として活動した方が、より自分の存在意義があるのではないかと考え、2017年に株式会社リコーの東北地方担当の産業医になりました。

「健康」に意識を向けてもらうために

―産業医として、現在どのような業務に携わっていますか。

リコーグループの東北地方全域を担当しているので、東北6県に点在している全ての事業所や工場で、従業員に対する産業保健に携わっています。そのため、今日は宮城県内の営業所、明日は岩手県の工場と、毎日のように出勤先が異なるので、さまざまな会社の嘱託産業医をしているような感覚です。

出勤先では、現場を見たり産業医面談をしたりと、基本的な産業医業務を中心に行っています。毎月1回行われる安全衛生委員会では、10分程度時間をいただき、さまざまなテーマで健康への興味・関心を持ってもらえるような話題提供に努めていますね。最近は社内の朝会でも、同じく健康関連の話をする機会をいただいています。

どの企業の産業医も同様の課題を抱えていると思いますが、健康な従業員のヘルスリテラシーを上げることに難しさを感じていますね。安全衛生委員会の議事録を発信したり、産業医講話の際に使った資料をオフィスフロアや社員食堂の電子掲示板に映したりして、従業員の目に触れる工夫をしていますが、ヘルスリテラシーの向上は容易ではありません。一人でも二人でも健康に興味・関心を持ってもらい、少しでも行動変容につながってもらえたらと思っています。

―五十嵐先生が考える、産業医の面白さとは。

ハイリスクアプローチとして、今何らかの疾患がある従業員に対して、これ以上悪化しないように指導することや、先ほど課題に挙げた、健康な従業員のヘルスリテラシーをどのように向上させるかというポピュレーションアプローチは、難しくもありますが、面白い部分だと感じています。例えば、糖尿病を患っている従業員には、ときに煙たがられながらも「また3か月後に会いましょう」、「半年後に会いましょう」と継続的な産業医面談を続けることが大事です。通院を中断したり、怠薬をしている方もいますし、治療を受けながらも不摂生な生活習慣が続いている方も多いからです。そういった方に継続的に面談を重ねることで、健康に意識を向ける時間を少しでも作ることが、その人のためになります。一方で、それ以外の従業員全体に対しても糖尿病にならないための情報を発信し、糖尿病の一次予防活動を行っているのです。

産業医は、企業の役員クラスとも、現場の最前線にいる社員とも話をします。つまり、横断的に組織を見られるからこそ、ある意味、組織上の課題が一番見えるのです。安全衛生や化学物質による健康被害予防、がんなどの疾患、メンタルヘルス、生活習慣、人事的なこと、法律に関わること――。このように、組織の中で起こる幅広い課題にも携われることも、産業医の醍醐味であり、意義のあることです。ときには課題に対して、ルールや仕組みづくりにも関わります。例えば、がんになった従業員がいるとします。そのような場合、本人や上司との面談で、どのようにしたら働き続けられるかといった支援体制の話をしながら、その社内フローやマニュアル作りもします。

ただ、いくら意義があると主張しても、残念ながら、産業医の存在がどのような効果をもたらすのか、学問として十分に効果が検証されていないのが現状です。そのため現在、企業での産業医業務とは別に、東北大学大学院で大学院生として産業保健の研究をしています。

―産業保健の研究ですか。

産業保健の研究といっても、まずは産業保健の効果をきちんと検証するための手法を、身につけるところから始めています。ゆくゆくは、産業保健のエビデンスをつくれる人間の一人になりたいと思っています。
例えば、産業医が介入した組織と、介入しなかった組織を比較し、ヘルスリテラシーが上がったり、脳卒中や心筋梗塞発症率が下がったりしたことを評価していかなければ、産業医の存在意義を示していくことはできません。さらに、産業保健の費用対効果も考えていく必要があります。これは学問的側面以外に、企業の経営層に説明する際の実務スキルとしても重要です。

産業保健と地域医療の架け橋に

―引き続き、宮城県や東北地方の産業保健に関わろうとお考えですか。

今の段階では、そのように考えています。というのも、この地域で産業保健と地域医療のつながりを発展させていくことに、挑戦したいと思っているからです。

わたしは、従業員が退職を迎えた後も、健康に過ごしてもらいたいと思いながら産業医をしています。しかし、働く人の中には、治療に対する意欲が低い方、糖尿病のコントロールが悪い方、アルコール依存症やメンタルヘルスの不調などを抱える方もいます。このような方々が退職した場合、産業医は一切関わることができません。退職された従業員の主な生活の場は地域になり、地域医療の管轄になります。
つまり、職域保健と地域医療はつながっているのです。しかし、それぞれに関わる人たちのネットワークは十分でなく、お互いにどのようなことに取り組んでいるのか残念ながら分かっていない状況です。この状況を改善すべく、まずは自分自身が地域医療に関わる人たちとのネットワークをつくっていき、職域保健と地域医療の架け橋となって解決策を模索していきたいと思っています。このようなことは、ステークホルダーの多い都市部ではなかなか難しいのではないでしょうか。だからこそ、宮城県そして東北地方全体で、挑戦していきたいと考えています。

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