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研究と臨床を行き来して思う、大都市型プライマリ・ケアの役割 ―密山要用氏(東京大学大学院医学系研究科医学教育国際研究センター医学教育学部門)

2018年7月26日

家庭医を志し、王子生協病院で7年半研さんを積んできた密山要用氏。診療を続けていくほどに課題を感じるようになり、行き詰まりを感じた密山氏は、ある決断をしました。今のキャリアを歩む決断に至るまでの悩みや思い、そして今後の展望とは――。(取材日:2018年5月9日)

人がきちんと「暮らしていける」ように

―家庭医を志した背景を教えてください。

学生時代、総合診療科にいらした家庭医の先生からその存在を教えていただき、家庭医に興味を持つようになりました。わたしはもともと、人がきちんと「暮らしていくこと」に関心があったため、それを医学的にアプローチできる家庭医を自ずと志すようになったのです。

初期研修からその後までお世話になっていた王子生協病院をはじめ、都内や東京近郊の医療機関を10カ所弱回りながら、スキルアップを図っていました。医師という職業は人がきちんと生活していくために寄与すると思い、それを原動力に研さんを積む一方、キャリアを重ねるごとに課題が見えてくるようになってきたのです。

―課題とは。

どの病院にも、さまざまな側面の課題が混在していました。しかし、当時はそれを明確に言語化できなくて――。後期研修が終わる頃には、診療はある程度できるものの“深み”が足りないと感じるようになり、今の自分の診療で目の前の患者さんたちが本当に幸せになっているのだろうか、という疑問が拭えませんでした。それに加えて、日々診療に追われているような感覚もあり、自分で仕事をコントロールできている実感が全く持てず、今では考えられないほどイライラしていました。

一緒に働くメンバーには恵まれていましたが、今の生活で自分が幸せなのかというと必ずしもそうとは言えず、このような状況で診療を続けていても、患者さんやご家族を幸せにすることはできないのではないか――と思うようになりました。もう少し違った働き方で、人がきちんと「暮らしていける」ようにサポートしていける方法があるのではないか、と考えるようになっていったのです。そのような思いから、医師7年目に病院を辞める決意をしました。その後は、地域の診療所で働きながら個人的に医療者として街に入っていき、地域住民が幸せで、結果的に健康になっていくような街づくりに取り組んでいこうと思っていました。今でこそ、これをベースに大学院で研究をしていますが、当初は研究につながるとは全く思っていませんでした。

大都市のプライマリ・ケア医に必要なスキルを言語化

―今の研究に取り組むようになった経緯を教えてください。

東京大学・医学教育国際研究センター講師の孫大輔先生とお会いする機会があり、これから取り組んでいきたいことをお話しさせていただいた時「それを研究として取り組むことができるよ」と言われたのです。そのとき、人が幸せに、そして健康に暮らしていける街にするために、医療がどのように関わったらいいのかを研究できたら面白いかもしれないと思い、大学院に進学し今に至ります。

現在、研究の大きなテーマとして「大都市のプライマリ・ケア」を掲げています。地方やへき地のプライマリ・ケア医のモデルはある程度想像しやすいと思いますが、大都市ではそのモデルがあまり明確ではありません。そのため、大都市でプライマリ・ケアを担う家庭医や総合診療医、そして広義的には専門医を持ち開業している医師には、どのようなスキルが必要で、どのようなモデルが理想なのかを明らかにしたいと考えています。

―具体的に、研究はどのように進めているのですか。

医学教育学の領域では、量的研究だけでなく、質的研究も積極的に行われています。わたし自身も現在は、「なぜ」や「どのように」という問いの探索に適している質的研究を中心に進めています。具体的には、大都市とへき地の両方で勤務経験がある家庭医にインタビューをして、必要なスキルのリストアップをしていこうとしています。これは既にプライマリ・ケアを実践している医師だけではなく、若手医師が家庭医として大都市で勤務するときにも有用だと思っています。一方で、医療者側からすると大都市は人数が多く、多様な医師がいるので患者さんは満足していると思われがちですが、必ずしもそうではありません。どのような医師が必要か、どのような医師がかかりつけ医になってくれたらいいか、などを地域住民側からも調査していきたいと思っています。

また島根県雲南市では、地域住民と看護師さんが一緒になって町づくりを通した健康づくりを行っており、その取り組みを追うこともしています。地域住民と看護師さんたちのやり取りを観察したり、住民がこの活動をどのように感じているかをインタビューしたりしながら研究を進めています。

―現在の勤務スタイルについて教えてください。

基本的に研究活動中心の生活です。雲南市での研究をする際には年に3回程度、1回につき1週間~1カ月程度滞在していますね。あとは、月1~2回、総合診療医の専門医認定施設に教育アドバイザーとして赴き、研修医の指導にあたることも。臨床は研究活動の合間をぬって、都市と地方の計3カ所のクリニックで非常勤医師として外来診療や在宅診療を続けています。
また、主に土日を使って、東京大学近隣の「谷根千」と呼ばれる下町風情が残る地域で、孫大輔先生とともにコミュニティづくり、健康づくりの活動にも継続的に取り組んでいます。

プライマリ・ケアを担う医師を支えていきたい

―今後のキャリアはどのように考えていますか。

わたしのキャリアが大きく変わるのは、大学院を卒業するときだと思います。卒業後どんなキャリアを選択するかはまだ分かりませんが、その時のご縁によって、自分を活かせる環境に飛び込められたら理想的ですね。現在取り組んでいる大都市でのプライマリ・ケアや健康づくりなどの研究については、実践に落とし込むところまで進めていきたいと考えています。

わたしは一旦病院から離れ、研究や教育という側面からプライマリ・ケアを支えることを選択しました。結果的にこのような働き方が自分には合っていたと思いますし、自分を活かせていると実感しています。優秀な臨床家はたくさんいるので、彼らを影から支えることで、人がきちんと「暮らしていける」地域社会になるよう、少しでも役に立てればと思っています。

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