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開業医から勤務医へ 「閉院」を選んだ50代医師の思い―神内隆宏氏(六地蔵総合病院)

2018年7月20日

脳神経外科専門医を取得後、研さんを積み、香川県高松市に「じんないクリニック」を開業した神内隆宏氏。開院から13年目を迎えた2017年、家族、そして自分自身のこれからのことを考え、クリニックの閉院を決意します。開業医から勤務医へ戻る選択をした神内氏に、その胸中を伺いました。(取材日:2018年7月7日)

「外科医は切って終わりではない」その一言から開業へ

―医師を志した理由、開業するまでの経緯について教えてください。

わたしの祖父は開業医で、幼い頃から医療が身近にある環境で育ちました。本格的に医師を志したのは高校3年生のころ。生き物全般に関心があったので生物学科に進むつもりでしたが、周囲の勧めもあり香川大学医学部へ進学。一通り医学を学んで、勉強すれば病名をはっきり「診断」できる神経系に興味を持ち、外科的な処置もできることから、脳神経外科を専門にすることを決意したのです。

大学卒業後は、そのまま母校の医局に入局。臨床現場に早く出たかったので、大学院には進学せず、関連病院で経験を積むことにしました。さまざまな市中病院をまわるなかで、ある先生に「外科医は切って終わりではない。手術後の状態がよくない人ほど、毎日会いに行きなさい」と言われたのです。それまで外科医は切ってナンボだと考えていましたが、考え方が一変。その一言がなければ、開業していなかったと思います。というのも、専門医を取得し、さまざまな経験を積むうちに、手術をして退院した患者さんの状態が知りたいという思いが募っていったのです。ちょうどそのころ、先輩の手伝いで往診をしていて、患者さんに近い場所で診ないとわからないことがあるとも感じていて――。病院では、患者さんから敷居が高いと思われているせいか、看護師さんを通じて言いたいことを聞く機会も少なくありませんでした。患者さんが何でも相談できる立場で医療を提供したいと思い、2004年、香川県高松市に「じんないクリニック」を開業しました。

家族の介護、自分自身の入院

―そのような思いで開業するも、なぜ閉院という選択肢を選んだのでしょうか。

閉院の理由は2つあります。滋賀県高島市に住む妻の両親の介護が必要になったこと、わたし自身が体調を崩して入院を余儀なくされたことが重なったためです。

わたしは開業当初から在宅医療にも取り組んでいました。通常外来に加えて、24時間オンコールの対応、自院の切り盛り――。忙しくはありましたが毎日充実しており、仕事を辛いと感じたことは一度もありませんでした。ただ、肉体的には限界だったようで、入院が決まったときは「無理をしすぎ」と主治医からきつく怒られましたね。
入院中に家族や自分について考えたとき、これまで家族を優先できていなかったこと、生涯医師として働き続けるためには自分自身、わたしを理解して協力してくれる家族が健康でないと難しいことを痛感しました。家族のこと、無理せず医師を続けていくことを考えて導き出した結論が、閉院だったのです。

―閉院ではなく、継承をしなかったのはなぜですか。

最初から、継承がうまくいかなかったら閉院すると決めていたので、そのようにしました。振り返ってみると、開業前に思い描いていたことは全て実現できたように感じています。勤務医時代よりも患者さんと近い距離で接することができたこと、手術後の日常生活をサポートできたこと、自分の裁量で仕事をできたこと。患者さんにも職員にも恵まれて、本当に良い経験をさせてもらったと感謝しています。

閉院準備と仕事探しを同時期に

―閉院準備と仕事探しを同時並行で進めるのは、かなり大変だったのでは。

そうですね。特に、閉院準備が大変でした。

転居時期と診療報酬の請求を逆算すると、閉院のリミットは2017年12月末。わたしのクリニックは医療法人だったため、県に審議を問い、秋ごろまでに認可を受けて書類手続きを進める必要がありました。それと並行して、職員、患者さん、患者さんを引き継いでもらう開業医の先生に、閉院する旨を10月初旬に伝えました。開業医の先生には、閉院を伝える少し前から現在の患者数を聞いて、どの患者さんを誰に引き継ぐかを検討しました。自己都合とはいえ、患者さん、これまで一生懸命頑張ってくれた職員に閉院を伝えることが一番辛かったですね。長い人ではそれぞれ10年以上の付き合いがありましたから、突然のことで申し訳ない気持ち、最後まで診られない悔しさがありました。みなさん本当に良い人たちばかりで、事情を汲んで閉院を受け入れてくれましたし、職員は最後まで職務を全うしてくれました。

―新天地での仕事は、どのような条件で探したのですか。

転居先である滋賀県高島市周辺、当直・オンコールなし、脳神経外科と在宅医療の経験を活かせる――この3つを満たすことが条件でした。脳神経外科医とはいえ手術からは遠ざかっていたので、急性期病院以外がよいとも考えていましたね。常勤で見つからなければ、非常勤をしながら探すつもりでした。

医師が仕事を探すにあたり、一番手っ取り早いのは知人の伝手を頼ることです。しかし、入職後に「話と違う」「こんなはずではなかった」と、しがらみが生まれてしまう可能性がないとは言いきれません。うまくいかない可能性も考え、第三者であるエージェントに仕事探しを依頼しました。転職経験のある友人から、エージェントは複数登録した方が情報を多く得られるとは聞いていましたが、性格上それは向いていないと考え、わたしは1社に絞って仕事探しをお願いしたのです。

―現在の勤務先である、六地蔵総合病院に入職した決め手を教えてください。

当初は滋賀県に絞って入職先を探してもらっていました。しかし、それでは希望条件に合致する医療機関が見つからなくて――。仕事探しをお願いしたのは2017年の4月。新年度が始まったばかりで求人が充足していたのも少なからず影響していたと思います。エージェントから、「車通勤にこだわらず、電車通勤も選択肢に加えてエリアを広げてみては」とアドバイスをもらい見つかったのが、京都府宇治市に位置する当院だったのです。

募集があったのは、回復期リハビリテーション病棟の専従医でした。急性期と慢性期、言わば病院と患者さんの日常の間に立ち、適切な対応が求められる立場です。患者さんの手術後の経過を診ることができ、在宅医療の経験から、退院後にどんなサービスが必要かもわかる。これまでの経験を活かしてやりたいことができると思い、入職を決意しました。
開業医時代は、麻痺が残ったまま在宅医療となり十分なリハビリを受けられていない方も診ており、とても歯がゆい思いをしていました。しかし今は、そのような方をサポートする立場にあります。たとえば、病棟にきたばかりのときは車椅子に乗っていた患者さんが、退院する頃には杖を使って歩くことができるようになっている――。そういう姿を見るたびに、この仕事のやりがいを感じますね。

リハビリテーション病棟の認知度を高めていく

―久々に勤務医として働くにあたり、どのように感じていますか。

月並みですが、とても新鮮です。初めての病院、新しい同僚とうまくやっていけるか不安でしたが、杞憂に終わりました。まずは当院のやり方を覚えて、早く慣れていきたいですね。さまざまな専門の先生方が身近にいる環境を心強く、ありがたいとも感じています。わからないことを聞くことは、恥とは思いません。聞かないで間違った対応をする方がよっぽど怖いので、これまでの知識や経験でまかなえないことは、専門の先生方に聞いて学んでいるところです。

―今後の展望について教えてください。

わたし自身、リハビリテーション医も専従医も初めてなので、まずは病院側の期待に応えられるよう努めたいですね。また、わたしが当院初のリハビリテーション医であるため、その存在を認識・理解されていないと感じることもあります。どんなことを担っているのかを理解してもらう努力もしていきたいですね。近隣の開業医の先生やコメディカルと連携を図り、「六地蔵総合病院のリハビリテーション病棟っていいね」と言ってもらえるよう、認知度を高めていきたいです。そして何より、患者さんを1人でも多く良い状態にして自宅や施設へ帰すこと――それに尽きますね。

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