1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 地域に応える、家庭医を育成していきたい―吉田伸氏(医療法人博愛会 頴田病院)
事例

地域に応える、家庭医を育成していきたい―吉田伸氏(医療法人博愛会 頴田病院)

2016年8月19日

現在、国内に約30万人いる医師のうち、子どもからお年寄りまで診られる家庭医療専門医は約500人。今後の超高齢化社会に対応するために、そのニーズは高まっていくことが予想されています。今回取材したのは、福岡県飯塚市の頴田病院で家庭医療プログラムの臨床教育部長を務めている吉田伸氏。若くして家庭医療の門戸を叩いた吉田氏には、この地で実現させたいことがあるのだそうです。

家庭医療専攻医を多方面からフォロー

―現在の取り組みについて教えてください。
福岡県飯塚市の頴田病院に設置されている、飯塚・頴田家庭医療プログラムの臨床教育部長を務めており、日本プライマリ・ケア連合学会の家庭医療プログラムの指導医として、初期研修を終えた家庭医療専攻医を育成するプログラムの企画運営や指導を行っています。

初期研修を終えた医師とはいえ、家庭医の分野ではまだ1年目。後期研修医たちは、業務と並行して勉強もしなければなりませんし、日々の診療で何らかの問題にぶつかることも往々にしてあります。たとえば、患者さんからのクレームや医療事故につながりかねない問題が発生した場合、自分では解決案が分からず、困窮状態に陥ってしまうことも。その段階で彼らが挫折しないようにサポートして、一人前の家庭医に育てあげたい。そのためにも、ちょっとした相談でもしっかり聞くようにしています。相談内容をうけて問題点を整理したり、家庭医としてあるべき方向性を少しだけ示したりすることで、彼らは成長していくと考えているからです。

家庭医にやりがいと喜びを感じた

飯塚市_頴田病院―いつごろから家庭医を志すようになったのですか。
初期研修からです。もともと医学生時代は、普及活動が活発に行われていたBLSやACLSといった心肺蘇生法に注力していたため、救急医を志望していました。

初期研修先に選んだのは、ユニークな教育方針に共感した福岡県飯塚市の飯塚病院。わたし自身も心肺蘇生法の普及活動では、仮装や寸劇を取り入れたり、歌を作ったりするなど、いかに楽しく学んでもらうかを考えていたので、雰囲気が合うと思ったんです。

ところが、初期研修が始まると自分の至らなさを痛感する日々が続き、正直に言うと、ドロップアウトすれすれの状態で初期研修をこなしていました。大きな転機となったのは、初期研修2年目の時に、地域医療ローテーション先であった飯塚市内の松口循環器科・内科医院に見学に行ったこと。在宅診療も積極的に行っている同院で、自宅でのお看取りまで見学させていただきました。

当時は患者さんの自宅に行ってお話をすることくらいしかできず、治療をしたわけでもないのですが、ご遺族の方から感謝の言葉をかけていただいたことが、とても嬉しかったのです。もちろん救急医療の現場もやりがいはありますが、わたしは患者さんやご家族と心を通わせながら医療提供することを、潜在的に渇望していたのだと思います。そこから、北海道家庭医療センターに学びに行き、家庭医の道へと進んでいきました。

―初期研修での経験があってこそ、今があるのですね。
そうですね。今日に至るまでは、けして平坦な道ではありませんでした。地域医療へのさらなる貢献のため、飯塚病院と当院で家庭医療プログラムを立ち上げた当初は、わたしたち自身が「家庭医って何?」という状態でした。

自分たちの家庭医療に理論的裏付けがないためアイデンティティが保てず、また、具体的な診療技術もない状態でのスタートだったので、まずは教育提携機関である米国ピッツバーグ大学メディカルセンターから家庭医療学講座の指導医を招聘して教えていただくことにしました。英語の壁にぶちあたりながらも、「減塩アドバイスは卓上塩をしまっておこう」「介護者をケアしなさい」「担当患者が亡くなってもあなたが家族も診るのですよ」など実用的、根源的なアドバイスをいただき、さまざまなことを学びました。

shin_yoshida2加えて苦労したのが、組織作りです。必死でリクルートして家庭医療プログラムに少しずつ専攻医が集まってきたのはよかったのですが、今度は彼らから「教えてほしい時に指導医がいない」など、さまざまな不満や不安が聞かれるようになったのです。当時、研修の拠点である頴田病院では患者数、回転率が上昇していたほか、在宅など新事業も活発化しており、指導医も手いっぱいの状況。診療と教育を両立させるチームマネジメント能力が不足していたのです。

これら組織作りに関する課題の解決法を、わたしたちは国内外から求めました。まずは前述のピッツバーグ大学メディカルセンターを視察し、ファカルティ・ディベロップメント(指導医養成)という体系を知り、標準化された教育を公平に各専攻医に届けるための研修を学習。そのほか日本プライマリ・ケア連合学会の指導医養成講習会や専攻医・医学生教育事業などの運営を通して、家庭医療の概念を説明しながら反すうする経験を重ねました。

これらの成果もあって、今では、家庭医養成の道筋が以前より見えるようになりました。ここまでの道のりで経験・理論・省察を繰り返しながら、多くの仲間たちと成長してきた証だと思います。

在宅医療を持続的に行うために

―今後の目標を教えていただけますか。
家庭医をさらに増やしていくために、これまで家庭医療専門医を6人輩出してきた当院の教育ノウハウを言語化し、家庭医療者の教育に挑戦しようとしている医師や医療機関にお伝えできるようにしていきたいです。現在、国内に医師は約30万人いますが、家庭医療専門医はまだ500人程度。本来、家庭医はあらゆる世代の初期診療にあたり、広く地域医療に貢献する専門性を持っていますが、今後の超高齢化社会を考えると、特に高齢者医療に対するニーズが高いと思っています。

身近な事例でいうと、わたしが初期研修からいる飯塚市頴田地区は、高齢化のスピードが速い地域です。数年前まで20%台だった高齢化率は、今では約36%にまで上昇。それに伴い、通院困難などを理由に、在宅診療の需要が高まってきています。当院には約10人の家庭医がいますので、在宅診療も積極的に行えていますが、このように充実した医療体制でない地域の方が多いです。

shin_yoshida3もちろん、医師1人でも精力的に在宅診療を行い、地域の高齢者を支えている方も多くいらっしゃいます。しかしその状態を何年も続けていくのは、精神的にも肉体的にも厳しいのではないでしょうか。もしその医師が体調を崩されたら、持続が難しくなってしまいます。

そこで重要になってくるのが「集団」です。当院のような「家庭医の集団」が構成できれば、在宅診療を持続的に行えます。在宅診療を必要としている地域は数多くあるので、そのような地域で在宅診療を持続的に提供していくためにも、家庭医を増やしていきたい。また、コミュニティホスピタルで働く家庭医として、入院治療や、通院困難となる前の外来診療まで含めた継続的でバランスのとれた選択ができる医療を実践したい。それが、この地で在宅診療に出会い、家庭医療指導医として家庭医育成に携わっている、今のわたしにできることだと思います。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング