現場からの発想で、急性期医療の突破口を示しつづける近森正幸。
日本を代表する急性期病院と言えば、社会医療法人近森会近森病院(以下、近森病院)の名が必ず挙がる。リハビリテーション(以下、リハビリ)や栄養サポートチーム(以下、NST)を全国に先駆けて実践した。目を奪われる事柄の多くが先進的だが、それは同院の本質の一面にすぎない。戦後すぐに外科病院として産声をあげ、「地域の救急ニーズの最下層を支えていた時代」にも、常に「患者のために最善の医療を」と前を見つづけた結果、現在がある。
1984年に先代から病院を引き継いだ近森正幸は、日々目の前の課題解決に奮闘してきた。そんな奮闘の日々により、いつの間にか医療界で注目を集めることとなっていった。
栄養サポートをなんとかしたい
「僕ね、病院にどんどん投資しているので、土地や家も持っていないし、貯金がほんとに少なくて、証券会社の人もびっくりしてたな」――取材中、余談に花が咲いた際、近森はそう言って笑った。
近森病院(救命救急センター、総合心療センター)、近森リハビリ病院、近森オルソリハビリ病院、ファミーユ高知からなる、日本を代表する民間グループである近森会グループ。そのトップが、「貯金がない」と発した瞬間、取材チームも思わず、小さく吹き出してしまった。裏も表もない打ち明け話を披露している近森に、皆が心をほどいたからこその笑いだった。
近森病院が全国的に名を知られるきっかけになったのはNSTだろう。2010年度の診療報酬改定に際して、中医協(中央社会保険医療協議会)の小委員会が、あるべきチーム医療の一例として近森病院のアウトカムの出るNSTを実名でとりあげた。
結果、同年度の改定での、NST加算の収載が決まる。ナショナルセンターや大学病院を押しのけて、地方の一民間病院が診療報酬のあり方を変えるような業績を示したと、一躍注目を集めた。
「早くからリハビリに取り組んでいた当院では、栄養サポートへの対応が課題になっていました。リハビリばかりやって栄養を考えないと患者はやせ細ってしまいますが、逆に動かさないで栄養ばかり充実させると脂肪肥りになってしまう。特に骨格筋の乏しい高齢患者はリハビリと栄養サポートの両方が重要だと、痛感していました。
栄養サポートについて考え始めたそのとき、アメリカで臨床栄養の資格を取得した管理栄養士の宮澤靖(現・栄養サポートセンターセンター長/臨床栄養部部長)と出会いました。
2002年に彼を招き、私がNST Chairmanとなって翌年7月にNSTを立ち上げたのが、当院のNSTの第一歩でした」
日あたりのいい臨床栄養部の風景
今、同院では毎月700〜800件のNST加算が算定されている。実際に臨床栄養部を見学させてもらった。
「この風景、どこか変だと感じられたら、かなりの病院通ですが、わかりますか?大多数の病院では、栄養部は裏口に近い地下の霊安室の横に所在していたり、厨房内にスペースがあったりと、もっと狭くて殺風景なものなのですよ」
そろいのワーキングウェアに身を包んだ管理栄養士が集う部屋は、同院管理棟の最上階に近い8階にある。古いヒエラルキーに照らせば霊安室の横が定位置である職種も、新しい時代のチーム医療では、担っている役割にふさわしい場が与えられている。目の前にある臨床栄養部の風景は、いろいろなことを多弁に語りかけてくる。
「この10年、栄養サポートが必要な患者すべてに栄養サポートができるように努力してきました」
その10年の取り組みでは、専門性の高い管理栄養士の教育、育成が重要な位置を占める。
「厨房にこもりがちで患者との接点を持ちづらい管理栄養士は、看護師や薬剤師はもちろん、他の医療専門職とくらべても医療スタッフとしての知識と意識が欠けてしまいがちです。学校のカリキュラムや卒後研修が臨床栄養については貧弱でいたし方ない面もありますが、当院が管理栄養士に求めるものはそれでは満たせません。そこで、もともとNSTラウンドのために私が割いていた時間を、管理栄養士が患者を診られるようにするための教育カンファレンスに変更して、ずっと教えてきました」
自立、自動する
専門性の高い管理栄養士に
管理栄養士に教え込む日々から、近森自身が学びとったものがある。
「医師は何故専門性が高いのか。それは毎日患者を診て医学的に判断し、介入をくり返しているからです。そういう体験をくり返すことで教科書に載っている『形式知』とは違う『暗黙知』を体得し専門性を高めています。
栄養のマネジメントを行う管理栄養士も患者を診られるようにしてやれば栄養学的に判断し介入をくり返し、自立、自動する専門性の高い管理栄養士に成長します。実際に目の当たりにすると、かなりの感動がありました」
さらに彼は次のようにつづける。
「自立、自動するスタッフには、医師や看護師からの権限委譲がなされ、業務を代替するようになります。一方、医師の指示のもと業務をしているだけのスタッフは権限委譲されず、医師、看護師の負担を軽減するだけです。権限を委譲されたスタッフと、委譲されないスタッフの、どちらがやり甲斐が大きいか。言うまでもないでしょう。
やり甲斐を感じたスタッフが働くから、労働生産性が上がり質も上がる。チーム医療が充実していく。これまで厨房に引きこもっていた管理栄養士を現場の第一線で活躍できる人材にまで育て上げたことが、アウトプットに大きく影響します。
このことを実感できたことが、私にとってこの10年の大きな収穫になりました」
救急病院が
寝たきり製造病院になる
近森とは何者か。それを知るには、近森病院の歩みを紐解くのが最短の道だろう。
陸軍航空隊つき軍医として南方戦線に従軍していた父(故・近森正博)が復員し高知市内に近森外科を開設したのは1946年。近森外科は1949年に近森病院となり、1951年に高知県内で2番目の医療法人認可を得、1964年には救急告示病院の指定を受けた。ちなみに、2010年には高知県で初の社会医療法人認可を受けている。
近森正博は創意工夫の人で、より良い経営形態を探る過程では、医療法人が制度化される前には有限会社の形態を採用した時期さえあった。
「父は柔軟な思考の持ち主で、勉強家でもありました。論文や原書を自ら訳し、アメリカの医療を積極的に学んだようです。たとえば、あくまで院内呼称ですが、かなり早い時期からICUの概念を導入し、重症患者を集め、人工呼吸器などで集中的に対応していました。手術室や画像、検査、透析といった診療部門の中央化も推進しましたし、リハビリへの着目、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)3職種の早期導入といった面で、秀逸な先見性も示しています」
そんな父のうしろ姿を見て育った近森は、大阪医科大学を卒業し消化器外科医としての研鑽を積む。1978年には近森病院に外科科長として入職したが、1984年に父が急逝したため急遽院長・理事長を引き継ぐことになった。予定外に早い継承だったが、引き受けてすぐ、父から受け継いだ進取の気質を存分に発揮し始める。
「院長に就任して真っ先に示した方針は『量から質への転換、モノから技術への転換』でした。これらを具現化する手段のひとつがリハビリの充実でした。それまで6年間、外科科長として働く中で、『リハビリのない救急病院は、寝たきり製造病院になる』という確信を得ていたからです。当時、すでに3職種のリハビリスタッフが当院にいてくれたのは、まさに父の慧眼の証でしたが、どのようにリハビリを機能させれば良いかわかりませんでした。そこで、1986年に、虎の門病院分院で活躍していた石川誠先生(現・医療法人社団輝生会初台リハビリテーション病院理事長)を招聘し、1989年に近森リハビリ病院開設が実現。ここでの実践により回復期リハビリ病棟の診療報酬が創設され、急性期から回復期、維持期のリハビリシステムが構築されました。日本の医療の中にリハビリが位置づけられた瞬間でした」
最近ではNSTのトピックスに隠れがちだが、リハビリはチーム医療実践のモデルケースとして、NSTよりもさらに深い歴史を紡いでいたのだ。
アウトカムの出る
チーム医療を進めていくべき
近森が経営上のターニングポイントと位置づけているのは、1999年10月だそうだ。
増えつづける外来患者数にオーバーヒート寸前だった整形外科を建て直すために、当時は今ほど全国的な取り組みとして広がっていなかった地域医療連携に、思い切って踏み切った。
「落ち着いた外来患者をどんどん地域のかかりつけ医に逆紹介して、外来を救急、紹介、専門外来に絞り込みました。外来患者を絞り込むことで、外来患者数は減るものの単価が上がることがわかり、2011年の完全予約外来制の外来センター開設にもつながりました」
そして、2006年には、DPCを導入。
「まず導入ありきだったため(笑)、本質をつかめずに悩んだ時期もありました。しかし、『物品販売業と同じくモノを売っている出来高払いに対して、DPCはサービス業で付加価値を売っている』と呑み込めたことで、かたちのない付加価値を診療報酬に結びつけるためには地域医療連携や病棟連携、チーム医療が必要であることがわかってきました」
チーム医療徹底のための好例は管理栄養士の全病棟配置だった。
「栄養管理のプロが病棟に常駐し栄養サポートが必要なすべての患者に対応すれば、1日でも早く退院させるというアウトカムを生み出せます。それには管理栄養士の数が必要ですが、単なる人件費の膨張にしないためには、高い専門性を持った管理栄養士の自立、自動が求められるでしょう。医療の質と労働生産性が向上、ともなって患者数と単価も上がり、売り上げが増え、結果として人件費アップの原資となります」
管理栄養士が医療専門職としての患者の診方や理念を学ぶうえで、近森の行う教育カンファレンスがいかに重要な役割を果たしたかは、あらためて触れる必要もないだろう。
「DPC時代の急性期病院は、『加算をとるためのチーム医療』に陥りがちですが、『アウトカムの出るチーム医療」を進めていくことが、病院経営者の発想として絶対的に求められています。
言ってみれば、加算は『ふりかけ』で、アウトカムは『白米』です。ドンブリ飯のふりかけをつまんで食べるのか、白米をお腹いっぱい食べるかの違いです」
質ばかりを追い求める
日本の医療の不幸
ここまで話が進むと、どうしても聞かなくてはならない。どうしてそうも次から次へと、的確に課題を見出し、着実に達成していけるのか。
「日ごろから心がけ実践しているのは『常に現場から発想すること』です。厚生労働省がどこを向いてどう進んで行くかに気を配るくらいなら、現場で患者に接して、問題点を把握し、対応を考えたほうが明らかにヒントに満ちています」
このシンプルな信念を、とことん追求しつづけてきたからこそ、先進性を帯びたこれまでの業績があるのだ。
近森は最後に、日本の急性期医療全体へと眼差しを向けた。
「今の日本の医療の不幸は、『質』と『効率』が二律背反になっている点だと思います。すべての業務を質の高いチーム医療で行おうとするから無理が生じます。
人の生命を支える膨大な業務をいかに質高く、効率的に処理するかが求められています。リスクの高い数少ない患者には医師が中心になって質の高い業務処理をすればいいし、リスクの低い数多くの患者には業務を標準化して多職種による効率的な業務処理をすればいい。そうした発想こそ日本の医療を良くし、医師、看護師ばかりでなくすべての医療スタッフの労働環境の改善とやり甲斐に結びつくと信じています」
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