「日本の心臓外科医療を立て直す」ために新病院を立ち上げた渡邊剛
道を歩いていて、通り沿いのガラス張りの建物に目をやると、中では心臓外科手術が行われている―。そんな光景を見られるのは、2014年5月に東京都杉並区に開設されたニューハート・ワタナベ国際病院(一般43床)だ。同院は、新宿駅から電車で約20分の距離にあり、地上5階の建物には2つの心臓外科用手術室を備える。立ち上げたのは、日本発の術式を数多く開発し、金沢大学心肺総合外科教授や東京医科大学心臓外科初代教授を歴任した渡邊剛だ。
病院1階にあるガラス張りの手術室は、 患者家族が手術のゆくえを見守ることができるようにもなっている。これは、新病院の“透明性”や“公明正大さ”を象徴するものとして、渡邊のアイデアを実現したものだ。
「心臓外科手術の死亡率は全国平均で約3%。これに対して、当院は約0.5%です。この差が生まれる理由は、日本における心臓外科手術のレベルがスピードと正確さの双方において低いことにあります。東京の病院には、冠動脈バイパス手術でつないだ血管が3本中1本以上、時にはすべて詰まってしまう病院もあります。私はこのような現状に鉄槌を下して、日本の心臓外科医療を立て直したいと思い、病院を立ち上げました。この手術室では、患者さんやご家族にすべてを見てもらいながら早く正確に手術を行いたいと思っています」
手術時間は全国平均の半分以下-「チーム・ワタナベ」
心臓外科手術の成功率99.5%を実現する「チーム・ワタナベ」は、渡邊の長年の同僚である麻酔科医や看護師、人工心肺装置を扱う臨床工学技士で構成される。弁置換手術の全国平均時間が約97分のところを、チーム・ワタナベは約40分で終えてしまうという。
「手術において、いかに時間を短くするかが成功のキモです。手術時間が短縮されれば、患者の回復もそれだけ早まる。ただそのためには、各分野の一流を集めたプロ集団をつくる必要があります」
その必要性を思い知ったのは、トルコのある著名医師を訪ねたときでした。彼は“稀代の天才外科医”と呼んでいいほど見事な技術を持っているだけでなく、年間2000件の手術をこなすというのです。それだけの数をこなせる秘密は、効率的なオペレーションで手術室3部屋を同時に稼働できる彼のチームにありました。次から次へと手術をこなしていく彼のチームを見て、目からうろこでした。
外科医1人が手術に長けていればいいわけでなく、チームとして手術での段取りやトラブル対応をうまくこなさないと無理なのです。プロ集団のチームを本気でつくり始めたのはそれからです」
金沢大学の教授になって3年目だった渡邊はその後、最高のチームづくりに勤しんだ。そして、ニューハート・ワタナベ国際病院は、彼とともに仕事をしたい同志が結集した病院と言える。現在、チーム・ワタナベを構成するのは金沢大学時代から苦楽をともにした外科医や麻酔科医、渡邊と働くために職場まで変えたベテラン看護師や若手の臨床工学技士らだ。秘書さえも、金沢から東京に移ってきた仲間なのだという。
患者への想いは細部にも宿る
手術成功率99.5%の手術実績について、渡邊は満足していない。残り0.5%の手術を受けた患者が亡くなっている事実もあるからだ。渡邊はその0.5%に想いを馳せる。
渡邊の医師としての強さは、とことんまで患者を想う姿勢だ。あらゆる方法を使って患者に寄り添う。
「患者さんが目の前で亡くなることも、そのあとの死亡宣告や霊柩車のお見送りも、何回やっても嫌な気分になります。執刀した患者さんが亡くなると、1か月間だめです。その間、患者さんのことが頭から離れなくて、何をしていても面白く感じられない」
例えばその一つとして、渡邊はメールを使って自ら患者の相談に乗る「ネット外来」を2009年から続けている。多忙な合間を縫って、年間300件ほどの相談に乗っている。ときには、手術に消極的な患者からのメールもあるが、必要だと感じれば外来に来るよう根気よく説得する。
また、患者を想う姿勢は、新病院の各所にも反映されている。特別室と呼ばれる病室は、黒を基調にしたモダンな部屋や、ロココ調を思わせる洋室、和洋室など、患者が気分良く過ごせるようにさまざまなタイプが用意されている。一般病室も、絵画や壁紙を単調にならないように配置して工夫し、患者が気分転換しやすいように作られている。渡邊はこれらの設計から壁紙の選定にまで関わっている。
「“せっかく”病気になってゆっくり過ごす時間ができたのに、自宅よりも退屈な部屋で過ごすなんて嫌じゃないですか。患者さんがどうしたら満足してくれるか考えた結果です」
渡邊の想いのすべてが患者に伝わっていることは、患者からの手紙を読むと分かる。新病院を立ち上げて4カ月目の頃に手渡された手紙には、「日進月歩技術の向上があり忘れがちになるであろう患者への思いやりが『ニューハート・ワタナベ国際病院』で脈々と生き続けている」と記されていた。
日本に必要なのはフロンティア精神
手塚治虫の医療漫画『ブラックジャック』に憧れていた渡邊は金沢大学医学部を卒業後、同大第一外科に入局。その後、ドイツのハノーファー医科大学に留学し、2年半の間で2000件にわたる心臓外科手術を経験した。日本の病院当たりの年間手術件数が100件もないことを考えると、渡邊が日本では考えられないほど数多くの経験を積み、手術の腕を磨いていたことが分かる。
帰国後は、新技術の導入や術式開発に勤しんだ。1993年には、人工心肺を使用しない心拍動下冠動脈バイパス手術(off-pump CABG;オフポンプ)を日本で初めて成功させ、1998年には重症患者への負担を軽くする覚醒下冠動脈バイパス手術(awake OPCAB;アウェイク)を日本に初導入した。2005年に手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」を使った心臓外科手術を国内で初成功させてからは、ダ・ヴィンチ手術を精力的に行い、厚生労働省からの先進医療の認定(※)にも貢献した。
※認定は当時販売されていたダ・ヴィンチ スタンダードに対するもので、現行機種では認められていない。
「尊敬されるような良い外科医は、手術のスキルと、新しい術式を考案する発想力の両方を兼ね備えています。しかし、日本では手術の数が少ないために必要な症例に出会えず、十分なスキルを得られない外科医が多いのです」
新術式の着想を得る上でも、多くの症例をこなす必要がある。そのため、症例数の少ない日本では、発想力をはぐくむのにも大きな困難が伴うという。
渡邊の指摘する日本心臓外科における問題は、症例数の少なさばかりが原因ではない。
「現状に満足せず、自分たちの技術に改善の余地があると知ることが大事なのです。しかし、日本の医師の多くはフロンティア精神が足りない。日本の外科医が患者さんのために何かを突き詰めていくケースは少なく、経済的な豊かさや名誉を求めることの方が多いと感じています」
渡邊が心配するのは若手医師だ。全国平均を大幅に上回るチーム・ワタナベの手術実績を踏まえながら、次のように語る。
「フロンティア精神のない医師の下で学ぶと、トップレベルの医療を知らないまま育ってしまう。それでは、若手が不幸です。だからこそ、“日本の常識”の半分の時間で成功できる“本物の心臓手術”があることを周知していきたいですし、見学していただきたいと考えています」
症例が少ない中でも、チーム・ワタナベは技術力を高めてきた。その結果、前出した通り、弁置換手術の時間を全国平均の半分以下、心臓外科手術による死亡率を約6分の1に抑えている。
「国は後からついてくる」
渡邊が2005年から現在まで情熱を注いできたのが、ダ・ヴィンチを用いた心臓外科手術だ。
ダ・ヴィンチは全世界の病院で約2800台、日本でも150台以上が導入されているともいわれる。日本はアメリカに次いで2番目に導入台数が多い。
しかし、心臓外科手術で使用するには大きな壁が立ちはだかる。日本では2012年に前立腺がんの全摘出手術で保険適用が認められたものの、心臓外科手術に関しては今でも保険が適用されない。つまり、心臓疾患を抱える患者は、自由診療でなければダ・ヴィンチによる手術を受けられない。自由診療では少なくとも300万円が掛かる。
「機材の減価償却も考えると、実は弁置換手術でも500万円程掛かってしまいます。しかしそんな金額を患者さんはなかなか払えません。病院が損してもいいという気持ちで、今は手術に掛かった費用だけいただくようにしています。新病院を立ち上げた理由は、このように柔軟な対応をしたかったこともあります。同じような対応を大学病院でしようと思うと、実現するには多く時間と労力が必要になってしまいます」
実は2009年から2013年まで、ダ・ヴィンチによる冠動脈バイパス手術は保険適用こそされなかったものの、医療費の一部を保険適用できる「先進医療」としては認められていた。渡邊が金沢大学と国際医療福祉大学三田病院でダ・ヴィンチ手術の実績を積み上げた結果だった。
しかし、現在はダ・ヴィンチの機種がアップグレードされたため、先進医療として手術を受けることができない。機種が更新されると、先進医療の認可も改めて取得する必要がある。そして新機種での認可取得の目途は立っていない。心臓外科でのダ・ヴィンチ手術がなかなか普及しないもどかしさを、渡邊は次のように話す。
「今のダ・ヴィンチを取り巻く状況は、たとえば、冬の屋外に温水プールがあって、多くの医療関係者が『プールに入ったら凍えてしまう』と怖がってプールに飛び込まないようなもの。僕だけが先に飛び込んでいて、快適に泳いでいるのです。プールが温かいことは、入らないと分からない。周りの方々からしたら、プールで泳ぐなんて変わった人間にしか見えません。そういう状況なので、今はなかなかダ・ヴィンチ手術を認めようとはしませんよ。
とにかく今は、ダ・ヴィンチでの症例を増やして、ダ・ヴィンチ手術そのものを広める段階だと思っています。ですから、利益を度外視して手術依頼を受けています。そのおかげで少しずつ賛同してくれる同志が出てきています」
ここまでしてダ・ヴィンチ手術にこだわる理由は何なのか―。
「ダ・ヴィンチで低侵襲の手術を行うと、患者さんの回復が全然違う。しかも開胸手術に比べると、小さな傷が4つで済む。手術が終わると、とりわけ若い患者さんは人が変わったかのように喜んでくれます。それを見ると僕自身も嬉しい。これは“温水プール”を泳いだ医師にしか分からない素晴らしさですね。国はなかなか認めてくれませんが、いずれ後からついてくると信じています。これだけ良い医療を放っておくわけがないですから」
次の一手は、全国8病院体制の確立
ニューハート・ワタナベ国際病院の開設は決してスムーズには進まなかった。渡邊が医師として高く評価され、メディアで取り上げられることも多いとはいえ、病院経営の実績や担保があるわけではない。大手銀行から融資を断られ続ける中で、地方銀行の協力を取り付けた。病院自体も、既にあった建物を買い取り、リノベーションを施すことで初期投資を抑えた。苦労の末にようやく立ち上げて半年も経たない今、渡邊は既にさらに大きな青写真を描いている。
「全国に8つほど、病院を作りたいのです。東京を本拠地に、心臓外科が弱い地域に拠点を置く構想を練っています。全国の都道府県を独自調査した結果、医師の偏在などで心臓外科の弱い地域が生まれていることが分かっています。仕方のない面もあるかもしれませんが、同じ保険料を払っておきながら、同等レベルの医療が受けられないのはやはりおかしいと思います。ですから、僕にできる形でこの“不平等”を解消したいのです」
壮大な計画だが、渡邊は自身の55歳という年齢を考え、7、8年以内の実現を目指している。そのためにも、急ピッチで幹部養成を進める。既にいるメンバーからの輩出はもちろん、外部からの取り込みにも積極的だ。既に2015年春からの後期研修医も募集している。
「成し遂げようと思えば、大抵は実現できます。それがたとえ、医療の世界に前例がないことでもです。僕のことをチャレンジングだと言う人もいますが、僕自身は特別なことをしているつもりはありません。目の前で起きていることを少しでもよくしたいと思っているだけなのです。
医療をよくするために頑張っている方々、特に今後の医療を背負う若手の方々には、正しいと思った道を突き進んでいただきたいですね」
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