“一山一家”の精神で被災地医療に取り組む新村浩明
「これ以上の極限状態はないと思った」。東日本大震災が起こった2011年3月を、ときわ会常磐病院(福島県いわき市、240床)の院長代行、新村浩明はこう振り返る。透析機器の故障、断水、医療従事者の県外流出―刻々と変わる状況の中、県内最多の透析患者を治療していた常磐病院は、独自のネットワークを駆使し“透析難民”584人の県外移送を断行した。その中心に立ったのが、新村だ。
あれから数年、常磐病院はda Vinciなどの最新機器を揃え、ベトナムからのEPA看護師受け入れなど、“復興”という言葉に留まらない先進的試みにも果敢に挑み続けている。被災地の医療が新たな局面を迎えた今、新村には、この病院で成し遂げたいことがあるという。
震災後、医療需要は増加 「変わらなければ、応じきれない」
白衣の下はいつもアロハシャツ。率先して院内行事を企画する新村は、クリスマスにはサンタクロース、年始には大黒天の衣装を着て訪問診療する。
「職場の雰囲気アップだとか、こじつけることもできますが、一言で言えば“やりたがり”なんです。目立ちたがり屋というか、思ったことはすぐに行動に移さないと気持ち悪い。『こうあるべき』という固定概念がないときわ会だからこそ、こんなことが許されるんでしょうね」
朗らかな語り口とは対照的に、現在新村は、圧倒的な医療ニーズへの対応に追われている。
ときわ会が位置するいわき市の人口は、約33万人。夏は涼しく冬は積雪の少ない穏やかなこの土地に、震災後は他地域の原発避難者や原発作業員がさらに2万4000人程度流入しているという。震災で流出した医師や看護師も復帰しているものの、それ以上に市内全体の人口増加は著しい。病院の機能・体制を根底から見直さなければ、増加した医療需要に対応できない状況だ。
「たとえばいわき市内の救急出場件数は、2010年の1万2000件から、2013年には1万4000件程度にまで増えています。当院では年間700件ほどの救急搬送に応じていますが、これでは明らかに不十分です。残念ながら、当院で応じきれない分のしわ寄せが、他の医療機関に行っています。
『2020年には、いわき市の2次救急の半分を当院で対応できるようになろう』と、スタッフには伝えています。そのためには、救急車対応台数を、今の10倍にしなければなりません。
荒唐無稽だと思われるかもしれませんが、本気です。当院は泌尿器科の専門病院ですが、今後はより幅広い救急疾患に対応できるようにならなければならない。2015年度からは救急専門医にきていただき救急部門を立ち上げますし、わたし自身も救命救急センターでトレーニングを受け、この地域の救急を学んでいるところです」
増幅する“ときわイズム”
「救急搬送患者の対応数10倍」は、数ある目標の一つに過ぎない。このほか、看護師不足に対応すべく、看護学校の設立を検討したり、グローバルな視野を持てるようにベトナムからEPA看護師の受入を開始したりするなど、院内では数々のプロジェクトが並走している。医療の質にもこだわろうと医療機器の導入にも積極的で、2015年にはda Vinci による前立腺がんの手術件数が150件に到達した。
「議題が多くて、一度会議を開くとなかなか終わりません。
ときわ会はもともと、『いわき市に日本一の泌尿器科病院をつくりたい』という常盤峻士会長の強い思いからスタートした法人で、スタッフにも冒険心があります。言い出しっぺのわたし以上に、ほかのスタッフの方が盛り上がっているんじゃないかと思う場面も多々あります。ときわイズムと呼んでいますが、現場のニーズを踏まえスタッフの思いを一つずつ実現させていくと、ほかにはない取り組みが始まる。その求心力は、どんどん増幅しているように思います」
「いわき市に、日本一の泌尿器科病院を」
ときわ会へ新村が着任したのは2005年。東京女子医科大学泌尿器科に在籍していた当時、ときわ会グループの当時の本部であったいわき泌尿器科(19床)へ派遣を言い渡された。富山県出身の新村にとって、今日のようにこの土地にのめり込むようになるとは、全くの想定外だった。
「いわき市に、日本一の泌尿器科病院を」。法人がまだ小規模なころから、これが会長の常盤の口癖だった。「日本一になるからには、何をするにも頂点を目指そう」―常盤の語る言葉に、新村は心踊らされた。
「人間ってとても単純で、トップが熱弁をふるうと、感化されてしまうんですね。限界を設けず、何でも挑戦しようと思っていました」
泌尿器科と透析科に特化し、両科に集中的に資金が投下されるときわ会は、血気盛んな泌尿器科医にとってこれ以上ない環境だった。クリニックで膀胱全摘出などの手術をこなす日々が続いた。
2010年4月の常磐病院の開設によって、いわき市においてときわ会が果たす役割はさらに拡大し、福島県で最多の透析患者を治療するグループへと成長した。しかし、常磐病院の開設から1年もたたないうちに、東日本大震災が起こった。
タイムリミットは3月17日 透析難民584人の大移送劇
2011年3月11日14時46分、いわき市の最大震度は6弱を記録した。ときわ会では人的被害はなかったものの、透析機器の故障、断水が発生。新村はいわき泌尿器科で、すぐに透析患者の緊急回収を実施した。
その日から、いわき市の日常は激変した。翌3月12日には、福島第一原発1号機が水素爆発を起こして煙が噴出。スタッフも患者もパニックに陥った。多くの市民がガソリンスタンドや商店に行列をなし、医療物資不足も危ぶまれた。
新村は、透析機器の修理や水道の確保を急ぎ、一刻も早い透析再開を目指した。市の水道局との粘り強い交渉の成果もあって、比較的早期に水道は復旧。他医療機関の透析患者も受け入れることを決めた。地元のガソリンスタンドに協力を仰ぎ、患者の送迎体制も構築した。しかし、自主避難するスタッフもいる中、ときわ会に残ったスタッフだけで、いわき市内の患者を診るのは、現実的ではなかった。
「他県の医療機関に患者を受け入れてもらうしかない」。それが、いわき市内10施設が緊急協議した末の結論だった。移送が必要なのは推計750人。食料やガソリンの備蓄を考えると、3月17日までに移送を完了させなければならないと分かった。
「もともとつながりのあった東京、新潟、千葉などの医療機関に働き掛けた結果、幸いにも『患者さんを受け入れても良い』と快諾をもらうことができました。
一方で苦労したのは、750人もの透析難民の移送手段、宿泊先の手配です。
いわき市や福島県など地元行政に移動手段の確保や、県外行政との調整役をお願いしたのですが、『前例がないから』となかなか引き受けてもらえなかった。こういう時どこにアプローチして良いのか分からなかったので、本当に困りました。
最終的には多方面からアドバイスを頂き、政治家も通して協力を仰ぐことができましたが、この時ほど行政の壁を痛感させられたことはありませんでした」
タイムリミットだった3月17日、ときわ会は最終的に、透析患者584人を移送した。移送患者の中には、携帯電話を持たない高齢者も多く、連絡を取るのにも苦労した。当初想定よりも少ない人数にはなったが、移送できなかった患者はいわき市で引き続き透析を受けたり、遅れて現地に合流したりできるように取り計らった。
「本当に、多くの方々に協力をしていただきました。
東日本大震災のように、インフラが崩壊し公的な支援も行き届かないような状態に陥ると、最後にモノを言うのは人的なネットワークなのだと、身をもって感じました。
医師は人の命を預かる医療機関の中心にいる以上、いざという時に助け合えるようなネットワークを構築しなければならない。そう痛感しました」
「一山一家」の精神で
震災から数年経ち、今の率直な心境を聞いた。
「もちろん、震災のときのことは脳裏に焼き付いています。思い出すと暗い気持ちになることもありますし、これから向き合わなければならない課題も山積です。ただ、それでも、いわき市の人はみんな元気ですよ。
以前なら『本当にやるのか』と思われたような挑戦的な取り組みも、今ではスタッフの多くが、『どうしたら実現できるか』という前向きな視点で、考えられるようになっています。震災前後でどんな心境の変化があったか、直接聞いたことはありません。しかし、おそらく、わたしも含めてみんな、強くなったのだと思います」
新村には今、大切にしている言葉があるのだという。ときわ会の理念でもある「一山一家」だ。
「かつて炭鉱の町として栄えたいわき市には、『1つの鉱山が1つの家族である』という考え方があります。常に危険と隣り合わせの炭鉱だからこそ、現場の労働者やその家族、炭鉱に係るすべての人が強い連帯感で結び付き、お互いに助け合おうという精神です。
この土地でずっと医療をやっていくからには、わたしもこの考えを大切にしていきたい。ときわ会のスタッフはもちろん、この地域で暮らすすべての方がみんな幸せになれるような仕組みを追求したいと思っています。救急体制の充実も、最先端医療への挑戦も、すべてこの延長線上の取り組みです。実績はまだまだこれから。でもこの地域の人々の情熱が将来どんな形になっていくのか、すごく楽しみです」
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