長文インタビュー

医師インタビュー企画 Vol.14 林祥史

2015年1月30日

救命救急センター の“輸出”をめざす林祥史。
カンボジアに日本発の救命救急センターが設立されようとしている。2016年1月からの稼働を目指してプロジェクトを推し進めているのが、林祥史だ。34歳という若さで、北原国際病院(東京都八王子市)の血管内治療部長として診療を続けながら、株式企業KMSI取締役としてカンボジアプロジェクトの指揮を執る。日本式医療を海外に輸出しようとする、その原動力とは―。

日本の医療提供体制は発展途上国にフィットする

vol14_01

「日本では簡単な手術が、カンボジアではいまだ誰も挑んだことがない手術だったりして、重宝される。たった一人の医師でも与えられるインパクトが大きく、非常に感謝されます。発展途上国で医療に携わる醍醐味ですね」

これまで6年間、林は数え切れないほどカンボジアに赴き、調査も兼ねて医療協力を行ってきた。現地の医療に触れる中、日本式の医療輸出する意義について見えてきたものがあるという。

「日本の医療は質が高い。そして、日本の医療提供体制はカンボジアや他の発展途上国にもフィットするものだと思います。欧米では、多くの医療者が分業して1人の患者を診療しますが、日本では医師、看護師などひとりひとりがカバーする領域が広く、少人数の医療者で診療が行われています。労働環境を日本の現状よりも改善する必要はあると思いますが、少人数でチーム医療を行うという日本のよさが出せれば、医療インフラの構築にコストを掛けられない発展途上国の状況にぴったりです」

約20年間続いた内戦によってインフラが脆弱なカンボジアには、国民皆保険のような社会保障制度は整備されていない。内戦の犠牲になった医師も多く、たとえ治療費を支払う余裕があっても、十分な医療を受けることは難しいという。
こうした背景から、カンボジア国民が自国の医療をあまり信頼していないという問題も噴出しており、年間21万人がベトナムやタイなど隣国で医療を受けている状況だ。

vol14_02

そんなカンボジアの首都プノンペン市に、林の日本式救急救命センターは設立される。経済成長とともに自動車も増え、交通事故が増えている同市では、救急のニーズが高まっているのだという。 林が目指すのは、北原国際病院の理念にも謳われている「適正な価格で正しい医療を受けられる環境」をカンボジアにつくること。北原国際病院が得意とする脳神経外科治療を輸出できれば、カンボジア国民は、国外に渡るよりも安い治療費で医療を受けられるようになる見込みだ。脳神経外科医が10人程度しかいないカンボジアにおいて、そのインパクトは大きいという。

カンボジアがASEAN進出への足がかり

vol14_03

北原国際病院を含むKNI(Kitahara Neurosurgical Institute)グループ主導でカンボジアプロジェクトが始まったのは、2008年。

カンボジアに日本の医療を輸出するのは、先述のような社会的要請だけが理由ではない。北原国際病院のように、将来的にASEAN諸国での事業展開を検討している日本の医療機関にとって、これから社会インフラを整えようとしているカンボジアは魅力的な進出先なのだという。カンボジアへの病院輸出の機運は昨今高まっており、最近ではベトナムやタイの病院が、こぞってカンボジアへの進出を果たしている。

林のカンボジアプロジェクトが成功を収めれば、ASEANという人口6億人の巨大経済圏へ日本式医療を提供する突破口となりうる。医療を成長産業にしようという日本政府の方針もあり、2011年からは経済産業省のサポートを受けながら、プロジェクトは進行している。

現地スタッフの育成は課題山積

新センターは50名以上のカンボジア人スタッフとともにオープンを迎える予定。現在、林はその採用・人材育成にも奔走する。カンボジア人スタッフとのカルチャーショックに戸惑う場面は、いまだに多いという。

「カンボジア人スタッフの教育はすべてが難しい。日本で当たり前にしているマインドが通じません。看護学校を卒業したスタッフから『おむつは汚いから替えたくない』と言われたこともあります。ほかにも、日本人なら整理整頓することに違和感がありませんが、カンボジア人には『感染予防のために必要だ』といった具合に説明しないとやってもらえません。

医師の場合は状況が少し違い、国外へ留学してスキルを高めた方もいます。ただ、患者への説明を日本ほどはしない傾向にあるようです。医師の説明不足が、カンボジア人患者にとっては最大の不満となっています」

こうした経験を踏まえ、2015年春からはカンボジア人スタッフのうち半数を1期生として日本に呼び寄せ、研修する予定だ。日本の医療に触れ、彼らが何を感じ、何を母国に持ち帰ってくれるか―。1期生が来日する日を、林は期待と不安の混ざり合った気持ちで迎えようとしている。

カンボジアプロジェクトの概略

株式会社KMSI発表のプレスリリースより
株式会社KMSI発表のプレスリリースより

北原茂実理事長との出会い

なぜ林は、カンボジアプロジェクトに携わるようになったのか―。林のキャリアに大きな影響を与えたのが、KNIグループの北原茂実理事長だ。東京大学医学部在籍時、北原理事長にインタビューをする機会があったのだという。

vol14_05北原理事長は、国家予算の3割を医療費が占める日本の現状に疑問を持ち、「1.世のため人のため より良い医療をより安く、2.日本の医療を輸出産業に育てる」を理念に掲げて1995年に北原脳神経外科病院(現在の北原国際病院)を立ち上げた人物。低価格や輸出といった概念を病院理念に盛り込むのは、開設から20年近く経った今でも異色といえる。

「医学生時代は、“医師として自分がどうあるべきか”がイメージできていませんでした。そんな時、『国境や、既存の枠組みにとらわれずに、医療が抱える問題に向き合おう』という北原先生の姿勢にふれたことで、『何事にも問題意識を持って、考えながら動く医師になりたい』と考えるようになりました。医学部卒業後、亀田総合病院で研修医として腕を磨いていたころも、北原先生と出会った時の衝撃は、頭のどこかに残っていました」

林が北原国際病院に入職したのは、後期研修2年目。脳神経外科医としてのキャリアを進め、次の目標をどこに設定するか悩んだ末の決断だった。当時、北原国際病院では海外進出の話も盛り上がってきているころ。医学生のころから「海外で活躍したい」という思いを持っていた林は、臨床と海外事業の両方で自分を試したいと、入職を決意した。

医療とビジネスのはざまで

北原国際病院に入職後、林は脳神経外科医としての研鑚をつみながら同時にカンボジアプロジェクトを任され、2014年からは株式会社KMSIの取締役に就任。vol14_06 しかし、今日までの道のりは、決して平たんではなかった。プロジェクトを展開するには、日本の医療従事者や、パートナー企業からの人的・経済的な協力が不可欠。しかし、お互い異なる価値観である双方に十分理解してもらうことは決して簡単ではないという。

日本の医療者は経営の観点を持って医療を提供することに慣れておらず、実際多くの公立病院は補助金で病院経営が支えられているのが現状である。一方でカンボジアで設立する病院は民間病院として経済的自立が求められており、赤字が続くと事業撤退のリスクがある。

「プロジェクトに参加を希望してくれた日本の医療者にも『救急医療は赤字部門でも仕方ないでしょ』という人もいました。不採算部門があれば普通の企業と同じように改善が求められます。人員や設備はコスト増にならないかきちんと精査して準備する必要がありますし、本当に必要な処置を適切に行えば採算性が取れることを説明しています」

一方、ビジネスの立場で参入を試みる企業との温度差も埋める必要がある。富裕層だけをターゲットとしてビジネス展開をした方が利益率が高いのではないか、という企業は多いが、それでは長期的にみると地域医療の崩壊を招き、かえって成功しないと林は説く。また「医療を正しく提供すること」の重要さ、いわゆる「医の倫理」もなかなか企業には伝わらない部分だという。

vol14_07

「医療の知識は一般の人はわからないので、儲けのために誤った医療を押し売りしては絶対にいけない。いかに医学的に正しい診療を行うか、そしていかに無駄な検査・投薬をせずにお金をかけずにすませてあげるか。治療費が高すぎると患者は来れなくなってしまうので、これも「医の倫理」の大事な要素です。カンボジアのようなお金がない国では特に重要だと認識しています」

「ビジネスとして成り立たせる」という概念になじみのない医療者への説明の難しさ、そして利益を追求するために参画する企業へ「医の倫理」を説明する難しさ。双方にはさまれて苦悩しながら、理想の医療の実現に向けてプロジェクトを推進していっている。

 

カンボジアから世界に学ばれる医療システムを

vol14_08日本式救命救急センター建設の目処が立ったものの、日本式医療を実践するための教育や人材採用など、理想の実現に向けて課題は山積だ。林は悪戦苦闘しながら、少しずつ歩みを進めている。

「何年先になるかは分かりませんが、すべてのカンボジア人が適正な価格で正しい医療を受けられる環境を必ずつくりたい。その成功事例は、周辺の東南アジア諸国はもちろん、日本でも活かせるはずです。規制が少ないカンボジアでこそ、固定概念にとらわれずに試行錯誤を重ねられ、世界から学ばれるような医療システムがつくれるのではないかと考えています。

しかし、大きなビジョンを描いたところで、私は病院経営さえしたことがなく、心配の種は尽きないというのが正直なところです。目の前のことに精いっぱいで、個人的なキャリアビジョンはまったく描けていません」

日本式医療を海外に輸出しようとする林の挑戦は、まだスタートラインに立とうとしている段階。先人もおらず、道のりは長いが、課題を一つひとつ解決しながら着実に手ごたえを感じている。

「起工式を2014年11月に行い、いよいよ日本式救命救急センターが実現するんだという現地の期待感も大きくなっています。日本でも、プロジェクトが現実味を帯びてきたのを見て、多くの医療者から協力の打診をいただいています。

単に病院を作るだけでなく、カンボジアの医療全体にいい影響を及ぼせるような活動ができて初めて、『カンボジアプロジェクトは成功した』と言えると思います。そのためにも、日本、カンボジアでの賛同者を増やしていきたいですね」

林 祥史
はやし よしふみ
医療法人社団KNI北原国際病院脳血管内治療部長

2005 東京大学医学部医学科卒業
2005 医療法人鉄蕉会 亀田総合病院 初期研修
2007 医療法人鉄蕉会 亀田総合病院 脳神経外科
2009 医療法人社団KNI 北原国際病院(旧称:北原脳神経外科病院) 脳神経外科
2013 同院 血管内治療部長

エムスリーキャリアは、より多くの選択肢を提供します

先生方が転職をする理由はさまざまです。

  • 現状のキャリアや働き方へのご不安・ご不満
  • ご家庭の事情や、ご自身の体力面などの事情
  • キャリアアップ、新しいことへの挑戦
  • 夢の実現に向けた準備

など、多様なニーズに応えるために、エムスリーキャリアでは全国から1万件以上の求人を預かり、コンサルタントは常に医療界のトレンド情報を収集。より多くの選択肢を提供し、医師が納得のいく転職を実現しています。

転職すべきかどうかも含め、ご相談を承っています。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 長文インタビュー

この記事の関連記事

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.21 名知仁子

    ミャンマーの医療に全力を捧げる医師・名知仁子。巡回診療、保健衛生指導、家庭菜園指導の3つの活動を通して、ミャンマー人の健康を支える名知仁子。大学病院、国境なき医師団といった最前線の経験を経て行き着いたのは、日常生活からの自立支援だった。とはいえ、名知ははじめから崇高な目標を持っていたわけではない。人生プランに国際医療が加わったのは30歳過ぎ、海外の地に降り立ったのは39歳のときだった。途中、乳がんなどを患いながらも医師として走り続ける理由とは――。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.20 吉田穂波

    「女性は子どもを産むと戦力外?」当時の前提に疑問を抱いた女性医師「子どもを産むと仕事ができなくなる」のは本当か。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.19 髙橋昭彦

    障がいを持つかどうかは確率の問題。たまたま障がいを持つ人とその家族が、なぜこんなにも苦しまなければならないのか――。この思いを出発点に2002年から栃木県宇都宮市で「医療的ケア児」と呼ばれる子どもたちを対象にした在宅医療、家族支援をしているのが髙橋昭彦だ。その取り組みが認められ、2016年には日本医師会「赤ひげ大賞」を受賞。採算度外視で我が道を行く髙橋だが、40歳を迎えるまでは自身の生き方に悩んでいたという。髙橋のキャリアを突き動かした出来事とは。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.18 加藤寛幸

    紛争地帯や災害地域で危機に瀕した人々への緊急医療援助を展開する「国境なき医師団」。その日本事務局会長として、途上国での医療活動に身を投じているのが加藤寛幸だ。医師としてこれまで9回にわたり援助活動に参加してきた加藤。途上国医療の光も闇も目の当たりし、挫折を繰り返してなお活動に身を投じ続けるのには、わけがある。

  • 長文インタビュー

    病院の外から医療を開拓する山本雄士

    臨床の第一線を離れ、起業家として医療への貢献の道を探る医師がいる。山本雄士、日本人医師で初めてハーバード・ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得し、2011年に予防医療ビジネスを展開する株式会社ミナケアを創業した人物だ。日本ではまだ発展途上とも言える予防医療の領域に力を入れる山本。そのルーツは、臨床現場で感じた素朴な思いなのだという。

  • 長文インタビュー

    志水太郎が「愛され指導医」になれたわけ

    東京都江東区の東京城東病院(130床)。同院には、異例の人気を誇る後期研修プログラムが存在する。立ち上げたのは、若くして日本・アメリカ・カザフスタンで医学教育に携わってきた志水太郎だ。志水のノウハウをまとめた著作『愛され指導医になろうぜ』(日本医事新報社)は現在、後進指導に悩む指導医のバイブルとして親しまれている。30代という若さにして、華々しい実績を残しているように見える志水。しかしその裏には、数々の挫折があった。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.15 新村浩明

    「これ以上の極限状態はないと思った」。東日本大震災が起こった2011年3月を、ときわ会常磐病院(福島県いわき市、240床)の院長代行、新村浩明はこう振り返る。あれから数年、被災地の医療が新たな局面を迎えた今、新村には、この病院で成し遂げたいことがあるという。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.13 渡邊剛(ニューハート・ワタナベ国際病院 総長)

    「日本の心臓外科医療を立て直す」ために新病院を立ち上げたニューハート・ワタナベ国際病院・渡邊剛総長を特集。心臓外科手術の成功率99.5%を実現し、大学教授にまでなった渡邊総長がいま、大学を飛び出し、新病院を立ち上げた背景とは?渡邊総長の医療、心臓外科、そしてダ・ヴィンチ手術にかける想いを聞いた。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.12 佐藤賢治

    「“仮想”佐渡島病院構想」に挑戦する佐藤賢治。日本海沿岸に位置する、新潟県の佐渡島。過疎化・高齢化や医療者不足といった、地域医療に共通する課題の先進地域であるこの離島で、2013年4月から、あるプロジェクトが動き出した。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.11 岡田正人

    人間だから間違っても仕方ないと思わないこと。医師になるとは、患者さんから信頼を得るということです。だから、その患者さんの信頼を裏切らないように、常に『自分は間違っているのでは』と思って、細心の注意を払いながら患者さんを診なければいけません。

  • 人気記事ランキング