「“仮想”佐渡島病院構想」に挑戦する佐藤賢治
日本海沿岸に位置する、新潟県の佐渡島。過疎化・高齢化や医療者不足といった、地域医療に共通する課題の先進地域であるこの離島で、2013年4月から、あるプロジェクトが動き出した。
まるで島全体が一つの病院であるかのように、島内の医療機関や介護施設が島民の診療情報を共有する。この共有情報を参照しながら、多職種が施設横断的に連携を取りあう-。この「“仮想”佐渡島病院構想」を提案し、実現の立役者となったのが、佐渡総合病院の外科部長を務める佐藤賢治だ。縁もゆかりもなかった佐渡島に佐藤が足を踏み入れたのは、1995年。課題山積のこの島を見てきた佐藤が、成し遂げたいこととは-。
「前提を嘆いても、何も変わらない」
新潟港から高速船で約1時間。港から車でさらに20分ほど進んだ島の中心部に、佐渡総合病院はある。病院6施設、医科診療所21施設を抱える佐渡島における最大の中核病院として、“最後の砦”の役割を果たす。佐渡総合病院がどこまで対応できるかが、この島の「医療の限界」を規定していると言っても過言ではない。
「島の中心に位置する佐渡総合病院は、この島の救急車の85%を受け入れる、2次救急のかなめです。ほかの病院で対応が難しい患者さんも、ほぼすべて当院に紹介され、当院でも対応が難しいとなれば、本土の病院に送ります。島民が受ける“この島での最後の医療”は常に当院が担っていると言っていいほど、患者の流れが出来上がっている。この島の医療体制の大きな特徴だと思います」
佐渡島の面積は、東京23区の1.4倍に当たる。離島としては全国有数の広大な面積に対し、島民は6万人、うち37.9%は65歳以上の高齢者が占める。天候が悪ければ、島外搬送もままならず、ある程度は島内で医療を完結させなければならない。佐渡総合病院が位置する島の中心部は平野部に当たり、人口や医療機関も多いが、同院から車で1時間半ほど掛かる北端部にも、島民は暮らしている。島内の医師数は90人ほどで、10万人当たりの常勤医師数は、134.6人と、全国平均(224.5人)の6割にも満たない。
「残念ながら、島の北端まで片道1時間半もの時間をかけて、1-2人の患者を相手に在宅医療を展開するのは現実的でありません。
診療所同士が連携して在宅患者への24時間対応を実現させようという国の方針もありますが、ここにはそれができるほどの数の開業医もいない。国が示す施策を実行するのに必要なリソースが圧倒的に不足しています。
ただ、それでも在宅医療は推進すべきだと思います。住みなれた自宅で過ごしたいという患者さんは、少なくないですから。課題を嘆いても、何もはじまりません。この島が抱える前提を踏まえて、医療と介護のリソースをどう組み立てていくか。わたしたちは、それを考えなければいけません」
島内7割の医療機関が協力 「“仮想”佐渡島病院」さどひまわりネット
この島の医療が注目される理由-。それは、2013年4月から実稼働が始まった、さどひまわりネットにある。現在佐藤は、佐渡地域医療連携推進協議会の理事として、このシステムの運営に携わっている。
さどひまわりネットに登録する施設の医療介護従事者は、インターネットでアクセスすれば、島内の病院や診療所、薬局などが共有している患者の診療情報や画像・処方情報などを、横断的に閲覧できる。
このシステムに登録するには、施設が規模に応じた参加料を支払わなければならないが、それでも情報連携の利便性を求めて、島内の7割の医療機関が参加。島民の2割に当たる1万2000人から同意を得て、診療情報を集積させている(2014年7月現在)。
多職種連携の隙間を埋めるシステム
佐藤は、このシステム導入の意義を「多職種連携の“隙間”を埋めること」と表現する。
「たとえば、たくさんの薬を服薬している患者さんが、個別の薬の薬効を覚えきれず、主治医に誤った服薬歴を伝えた結果、重複投与が発生したとします。この場合、誰に責任があるのでしょうか。
自分の薬をきちんと把握していない患者さんでしょうか。患者さんが間違った服薬歴を伝えていないか疑わなかった医師でしょうか。薬剤師がもっと服薬指導を徹底的に行うべきだったかもしれませんし、看護師の問診でもっと掘り下げるべきだったかもしれません。『全員が悪い』とも言えますが、それぞれの専門職は最低ラインの職務はまっとうしているのだから『誰も悪くない』とも言えるかもしれません。
このケースで重要なのは、複数の専門職が連携して患者さんに接しているのに、『隙間に落ちてしまう情報』が存在するという事実です。
もし、他の医療機関での処方内容を閲覧できるデータベースがあったら、こうした事態は防げるかもしれない。患者の医療情報を共有できる基盤があってはじめて、専門職が隙間をつくらずに機能分担できるのではないでしょうか」
さどひまわりネットの3つポイント
島内の多くの医療機関、介護施設から協力を得るため、さどひまわりネットの構築において意識された点は大きく下記の3つだ。
- 診療情報はレセプトコンピュータからのレセプトを中心に収集されるため、電子カルテがない医療機関でも参加できる
- 医師や看護師の仕事を一切増やさないように、データ収集・共有は自動で行う
- マニュアル不要で使える直感的な操作画面をつくる
「想定外の決断」で佐渡島に
北海道札幌市で生まれた佐藤が、医局人事で佐渡総合病院にやってきたのは、1995年。新潟大学医学部を卒業して10年目、外科医として一通りの診療をそつなくこなせるようになったばかりのことだ。
着任当時は、離島における医師個人の裁量と、影響力の大きさに驚いた。若手が組織に埋もれがちな大規模病院に比べ、自分が「良い」と思ったことを柔軟に実践できる環境には、魅力も感じた。
当初、佐藤の赴任は“半年間”という期限付きの予定だったが、約束の期限が過ぎたころ、ほかの医師も佐渡島を離れようとしていることを知った。
「このまま佐渡島で外科医を続けるのも悪くない。ひょっとしたら、これは運命かもしれない」-。直感的にそう感じた佐藤は、「佐渡島に居続ける」という、当初全く想定していなかった決断を下した。
「自分が居続けることで、少なくとも佐渡島の医療には、いろいろな貢献ができる。今振り返ると、その手ごたえがあったからこそ、この島に居続けたいと思えたのでしょうね。
当時は、病院経営や診療科の運営といった部分にはノータッチだった分、やりたいと思ったことを無邪気に実践できた。そうしたことも楽しくて、やりがいを見出していたのだと思います」
動き出した情報連携システム
“臨床以外”の仕事に目覚めたのは、佐渡島で働き始めて5年目の2000年。もともとITに明るかった佐藤は、佐渡総合病院のオーダリングシステム導入に関する委員会の、委員長を任された。このオーダリングシステム導入で、診療時に医師が処方データを入力すると、調剤・会計部門にもそのデータが送信される体制が出来上がった。院内の業務効率改善は、患者の待ち時間短縮にもつながった。医療機関が多職種による連携によって成り立っているという事実を、佐藤は実感を持って理解できるようになった。
ITによって医療現場を改善できるという実感を持った佐藤は、これ以降、佐渡市医師会が主催する勉強会などで、ITを用いたネットワークの有用性を講演するようになる。およそ10年間、講演の機会があるたびに、この島の医療に必要なネットワークの姿を発信し続けた。その内容は徐々にブラッシュアップされ、島内に散在する島民の診療情報を共有し、多職種間の緊密な連携につなげる、前述の「“仮想”佐渡島病院構想」へと発展した。
転機が訪れたのは2009年。「“仮想”佐渡島病院構想」は、国の経済危機対策の一環として設けられた補正予算「地域医療再生基金」を活用して実現されることになった。自然な成り行きで、佐藤はネットワーク構築の中心メンバーとなり、一般公募の結果、ネットワークの名称は「さどひまわりネット」に決まった。
「今もまだ、『紙カルテが主流のこの島で、情報連携ネットワークを推し進めなければならない特別な理由は何なのか』と、疑問を持たれることも多いですね。この島の医療は、ネットワークなどなくても、長年やってこられたわけですから。『情報連携システムがなくても、患者さんのことは、患者さん自身に聞けば良い』という意見もあります。しかし、患者さんが常に自分の受けている医療内容を理解、記憶しているとは限りません。ここに、患者情報を客観的に参照できるシステムの必要性があります
わたしの構想が実現へ向かったのは、離島というこの島の地域特性と、わたし自身がこの島で20年近くにわたって診療をしている、現場の医師だからというのが大きいと思っています。
離島という物理的制約があるからこそ、ステークホルダーの範囲が明確ですし、わたしが現場の医師だから、島内の医療機関の方々と、顔の見える関係が築けている。どんな取り組みであれば、この島の医療現場に受け入れてもらえそうか、『最小公約数』を考えてきました。
さどひまわりネット自体は、どの地域にも応用できる汎用性を意識して構築されていますが、構築の過程において、この島の特性が発揮された部分は大きいと思います」
2013年4月の実稼働以降、いくつかの課題を抱えながらも、さどひまわりネットに対する評判はおおむね上々。「なぜこういうシステムが今までなかったのか」という患者の声や、「さどひまわりネットの情報を確認しないと、診療が不安になる」という医師の声も寄せられているという。国や自治体、医師会、企業団体からの注目も大きい。
「さどひまわりネットだけで、佐渡島の医療は良くならない」
佐藤には、一連の活動を通じて伝えたいことがあるという。
「たくさんの課題を抱えている佐渡島の医療現場も、現場の専門職が動けば、変わることができる。その事実を、口だけではなく、実際の行動で示したかったんです。
地域医療をよりよい方向へ向かわせるためのアイデアを持っている医療者が、全国には大勢いると思います。そのアイデアが、たとえどんなに小さなことでも、まずは四の五の言わずに実践してみてほしい。うまくいかないかもしれないし、やらない理由を探す方がよっぽど簡単かもしれません。それでも、現場で働く一人ひとりが考えた実践の積み重ねが、課題だらけに見える地域医療を確実に良くしていくと、わたしは思うんです。逆に、現場の専門職が誰かからの命令を待っているようでは、医療介護業界の発展はないのではないでしょうか。
さどひまわりネットにしても、具体的に現場でどうやって活用してほしいかは、あえて詳しいところまで、説明していません。
それは、現場の専門職の一人ひとりが目の前の患者さんに向き合う過程で、『さどひまわりネットを使えばこんなことが分かる、こんな風に活かせる』と、発見して欲しいからです。『このシステムがあってよかった』という、現場からの自然発生的な実感がなければ、システムは浸透しませんし、存在意義もないと思っています」
情報連携ネットワーク自体は単なる道具に過ぎず、活かすも殺すも現場次第だと、佐藤は強調する。
「この島の何らかの課題を解決できている状態を10点満点だとしたら、さどひまわりネットを活用することで到達できるのは、2点とか3点かもしれません。でも、0点ではない。この点数を引き上げるために何が必要なのか、現場が考えて行動する。そうしたきっかけとなる仕組みをつくるのが、このシステムの一つの落とし所だと思っています」
IT技術は目まぐるしく発展を遂げ、最適なデータベースのあり方も刻々と変化する。佐藤は、さどひまわりネットのシステムとしての寿命を「長くても10年」と見積もる。
ただ、たとえさどひまわりネットがなくなってしまったとしても、さどひまわりネットを活用することで生まれた知恵や、専門職をつなぐ緊密なネットワークは、この島の医療を守る財産として残り続ける。そうした財産を紡ぐことができて初めて、佐藤が抱いた「“仮想”佐渡島病院構想」は、実現するのだろう。
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