病院の外から医療を開拓する山本雄士
臨床の第一線を離れ、起業家として医療への貢献の道を探る医師がいる。山本雄士、日本人医師として初めてハーバード・ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得し、2011年に予防医療ビジネスを展開する株式会社ミナケアを創業した人物だ。日本ではまだ発展途上とも言える予防医療の領域に力を入れる山本。そのルーツは、臨床現場で感じた素朴な思いなのだという。
患者さんにとってうれしいのは、「病気にならないこと」
事業コンセプトは、「ヘルスケアを『コスト』から『投資』へ」。
山本が創業した株式会社ミナケアは、健康保険組合(健保組合)などが保有する健康診断・レセプトデータを解析し、保険加入者の健康向上戦略を提案する。病気を未然に防げば、医療費支出の削減にもつながる。従業員はわずか10余名だが、サービス対象者となる保険加入者は、200万人以上。多いようにも見えるが、全人口に換算すると、まだ数パーセント。今後の成長の余地は大きいと見ている。
「患者さんだって、病気を治されるよりも、病気にならない方がうれしいはず」―取り組みの意義を端的に語る一方、山本は、予防医療ビジネスを日本で進める難しさについて、次のように指摘する。
「国民皆保険制度の日本では、病気になっても3割の支払いで済む。そういう状況下で、予防医療のサービスを満額自己負担で利用してもらうのは、簡単ではありません。サービスを広めるには、医療に対する日本人の意識を根本から変えなければなりません。
予防医療ビジネスのファーストプレーヤーとしての重責は感じます。反対の声を押しのけて起業したミナケアが仮に潰れると、『やはり予防はダメだったか』と周囲から言われ、日本では予防医療が根付かないと思われてしまい、予防医療ビジネス全体への評価を下げることにもなりかねない。予防医療がビジネス・政策上のトラウマになってしまうことだけは避けたいと思っています」
きっかけは、研修医時代の疑問
なぜ山本は、予防医療にのめり込むようになったのか。そのきっかけは、研修医時代にさかのぼる。
好奇心旺盛だった山本は、東京大学医学部卒業後、4年で6つもの病院を渡り歩いた。当時は起業するつもりなど全くなく、臨床医としての修練の一環として、とにかくいろいろな病院で経験を積んでみたかったのだという。数々の病院の臨床現場を眺めるうちに、山本の中にある問題意識が膨れ上がっていった。
「いろいろな病院で患者さんと接していて気になったのは、『そもそもなぜ患者さんは、症状が重くなってから病院に来るのか』ということです。
なぜ、もっと早い段階で来院してもらえないのか。一方で、医療機関はまるで『重病になったらいらっしゃい』と言わんばかりで後手に回っているようにも見え、危機感がつのりました」
医療機関では病気の診断と治療が中心。しかし、病気になる手前から医学的な介入があれば、個人にとっても、社会にとっても、メリットが大きいのではないか―日本の医療のあり方に対するこうした疑問は、山本の中で次第に大きくなっていった。
「日本の医療はこのままで大丈夫なのか」。その思いを東大病院在籍時の上司に打ち明けたところ、「医療体制そのものに問題意識があるなら、アメリカのビジネススクールでマネジメントを学び、MBAを取得してはどうか」と勧められた。それまで考えもしなかったことだったが、山本は躊躇なく渡米を決め、ハーバード・ビジネススクールへと進んだ。臨床には充実感も感じていたが、「問題意識をもやもやと抱き続けながら働くのは嫌だ」という思いが、山本を動かした。
今求められている医療を「何も考えてこなかった」
ハーバード・ビジネススクールに入学した当時、山本は医師7年目。医療業界の価値観に染まり切っていない多感な時期に外の世界に目を向けたことで、一気に視野が広がった。
「ビジネススクールでは、それまで出会ったことのなかったような価値観に数多く出会いました。その度に、いかに自分が『病院の論理』で物事を見ていて、世の中の論理を理解していなかったかを思い知りました。
講義で口酸っぱく教えられたのは、『顧客にどんな価値を届けるか』を徹底的に考えること。『提供するサービスが顧客のニーズに本当に合っているのか』と何度も問いただされたことによって、それまで自分は、『患者さんは常に最高水準の医療を求めている』という前提で動き過ぎていたのだと気づきました。今の時代に必要とされている医療の役割や意義についてほとんど考えてこなかった。そう思うと、非常に衝撃的でした」
ハーバード・ビジネススクールでの“衝撃”から生まれた「山本雄士ゼミ」
帰国後、山本が取り組み始めたのが学生や社会人で医療業界のしくみや組織論、先進的な病院や事業について議論する「山本雄士ゼミ」だ。月1回程度、ハーバード・ビジネススクールで使われる教材を使って、医療保険制度の国際比較や、先進的な医療機関の経営問題などのケーススタディを行っている。ゼミの意義を山本は、次のように語る。
「わたし自身がハーバード・ビジネススクールにまで行ってはじめて『患者さんに必要とされる医療とは何か』と考え始めたように、医学生には、『医療を通じてどんな価値を患者に提供したいのか』を考える機会が少な過ぎる。そして、自分が考える『価値ある医療』を実現するためのマネジメント能力やリーダーシップを学ぶ機会もほとんどありません。ゼミに参加することで、医療業界の基本構造や経済の原理原則、マネジメント手法などを学び、医療業界の改革やそこでのキャリア設計の一助にしてもらえたらと思っています」
起業直前まで自問自答
MBAを取得し、日本に戻った山本の元には、さまざまな依頼が舞い込んだ。「日本人医師がハーバード・ビジネススクールでどんなことを感じたのか聞きたい」「医療とビジネスの両側面を知る立場から、アドバイスをして欲しい」―こうした声に応じているうち、気づけば、国や公的機関の研究職、医療系民間企業のアドバイザーなど、4年間で15の肩書きを持つほど、活動は多岐に渡った。
このころには、「病気になる前から医学的介入をすべき」という研修医時代からのテーマに対する解決策も、何となくイメージできるようになっていた。予防医療ビジネスという、ミナケア創業にもつながるアイデアだ。
ただ、実際に起業するまでには、一定の時間を要した。
「いろいろな方に起業を相談すると、背中を押してくれるのはごく少数で、大半が反対意見。ビジネススクールへ入学したとき、反対されても気にしなかったのですが、このときばかりは躊躇しました。
わたしはビジネススクールで経営について学びましたが、実際に経営の現場で働いた経験はありません。だから、アイデアを実現させられる能力が自分にあるのかも信じきれませんでした。端的に言えば、“ビビっていた”のだと思います。
優秀な経営者であれば、他にたくさんいます。だから、『どこかの誰かが事業を始めてくれないかな』という思いもありました。でも、待てど暮らせどそんな気配はない。医療者の間でも、同様の問題意識を持って『改革が必要だ』と主張する声はありましたが、従来の枠組みから外に出てまでして本当に取り組む人はいませんでした」
迷いながらも、最終的に起業した決め手を次のように語る。
「結局、自分がやらなければいけないと思いました。このアイデアを世に出したいという気持ちが勝ったんです」
2011年2月、ミナケアは誕生した。起業から数年、まだまだ先行き不透明な部分はあるものの、日本において予防医療をビジネスとして展開している実例を示せた意義は大きいと語る。
「医療を放っておけない、何かしたいと思いながらも、自分に何ができるのか、何をしたらいいのかわからずに立ち止まっている人たちは多いと思います。ミナケアが一つの成功例となって、『医療業界にはチャンスがありそうだ』という雰囲気を醸成できたら、とてもうれしいです」
医療再興に向かって
病気を“治す”医療から、病気に“させない”医療へ。研修医時代に抱いた漠然とした思いは、アメリカ留学や起業を経て洗練され、ゆるぎない信念となった。一途に一つの問題意識に向かい合ってこられたわけを、山本は次のように語る。
「わがままかもしれませんが、自分のアイデアを追求して何か形にしないと、気が済まないんでしょうね。
ときどき、『なぜ自分はこんなキャリアを選んでしまったんだろう』と不安になることもあります。臨床医として働き続けていたとしても、充実した日々を送れていたかもしれません。しかし、病院を飛び出してアメリカに渡ったころのわたしは、問題意識をもやもやと抱えながら現場で働き続けることに耐えられませんでした。行政や日本の文化、教育を悪者にして医療業界の現状を嘆いてばかりいるのではなく、『患者にとって必要な医療』をゼロベースで自分なりに考えて、実現させてみたい。重要な意思決定の時にはいつも、そんな思いが勝っていました。
医療にはまだまだ潜在的な力がある。もっと患者さんのニーズを実現できる余地があるというのが、わたしの持論です。あるべき医療の姿を現場の医療従事者はもちろん、行政や企業、さまざまな立場の人たち一人ひとりがゼロから定義し、その実現のために何が足りないのかを、考え、行動していく。そうすればこの国はきっと、もっと良くなるはずです」
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