長文インタビュー

医師インタビュー企画 Vol.9 林寛之

2014年4月7日

vol9_1

草食系の悪の軍団の結成を目論む林寛之。
医療者が皆、笑顔で機敏に立ち働く。これが救急医療の現場だと、にわかには信じられなかった。救急と言ってすぐに連想される言葉は「疲弊」に違いない。しかし、ここ福井大学医学部附属病院の救急の現場では無縁のもののように思われた。人口80万人の福井県で、同院が受け入れている救急患者数は年間約2万人以上。全国の国立大学病院では3位の実績で、受け入れ率も98%ときわめて高い。医療者が疲れきっていても当たり前な状況にもかかわらず、そうした様子が見えないのは、ひとえに2011年、総合診療部の教授に就任した林寛之の力によるところが大きい。撮影のためにカメラを向けると、研修医と肩を組み、舌を出してコミカルなポーズをとる。医学部の教授のイメージも見事に覆してくれた林に、日本の医療界の新しいリーダー像を見た。

一握りの重症患者を見逃さないためにすべての患者を笑顔で診察

vol9_2福井大学医学部附属病院は、全国初の試みとして総合診療部と救急部を一体化し、大学病院では稀な北米型ER(Emergency Room)を展開している。

24時間365日、1次から3次救急の区別なく、すべての患者を同一窓口で受け入れ、総合診療部の救急医による診察を実施。1次から2次相当の患者は救急医が初期治療を行い、重症患者については救急医から各専門医へコンサルトする。しばしば聞かれる“たらいまわし”は存在しない。林は日夜、その最前線に立つ。

「北米型ERは患者のコンビニ受診を促進させるとか、医療者を疲弊させるなどの批判があります。確かに、『この時間帯なら空いているだろう』と来院する確信犯の存在も認めますが、それでも私は、患者さんの救急への受診を歓迎します」

患者や家族は症状が軽症か重症かなど知る由もなく、漠然とした不安を抱えて来院してくる。医療者はこの大前提を忘れていると話す。彼によると、救急患者のうち専門医の治療が必要な患者は約1割、小児であれば数はさらに減り1%ほど。一握りとはいえ、重症患者は確実に存在する。

「一見軽症に見える人の中にも重症者は必ず紛れています。たったひとりの重症者を発見するには、残りの 99人をニコニコと診つづけていなければ見逃してしまう。
夜中に来た患者さんに不機嫌な顔で対応すれば、患者さんは途端に萎縮してしまい、主訴を言うのもためらうでしょう。だから、ニコニコが必要。そして、軽症だとわかっても怒るのではなく、『軽症で良かったね』と笑顔を返せば、患者さんは身も心も救われ、何かあったときはまたすぐ来院してくれるはずです。夜中に運ばれてきた酔っ払いの患者さんを相手に、にこやかに話ができて、初めて一人前のER医だと後進を指導しています」

医師に不可欠なスキルとして“良い人”になりきる演技力が必要

vol9_3現在、林は「10年後に良医になる」ためのトレーニングコースやカンファレンスを企画している。その一環として、月2回の後期研修勉強会では、医師に必須のコミュニケーションスキル等を紹介しているが、そこでも強調されるのが笑顔だ。

「良い医師の条件のひとつに、決して怒らない“草食系”であることを挙げています。特にER医は真夜中の軽症患者、後方の専門医からの苦情など常に怒りたくなる環境に身を置いています。患者とじっくりと向き合う時間を確保しづらい救急だからこそ、患者利益を第一に考え、プロとしてにこやかに医療を遂行するための技術を意識して教えています」

指導は、まず笑顔のつくり方から始まる。

「『ウイスキー』と、言ってみてください。その状態で口を閉じたかたちが、医療者にふさわしい笑顔です」

vol9_4

ほかに、患者が主訴を言い始めたらすぐ、半歩前に出て「うん、うん」と相づちするタイミングや、相手の性格に合わせた受け答えの方法などを伝授する。どれも、飛行機の客室乗務員によるコミュニケーション講座に自費で参加したり、銀座のクラブのママが執筆したコミュニケーション術の本やコーチングの本を読み込んだりするなど他業界から積極的に学ぶことで修得してきた技術だ。

「怒る医師に、良い医療はできないと思います。必要な情報がそろったうえで診断を考える医学部教育と違って、実臨床では、診断に必要な情報を自分でとってこなければならない。

質の高い医療を提供しようとしたら情報収集力は必要不可欠です。いつもニコニコしている“良い人”には、患者さんも他のスタッフも、相談しやすいですよね。良い人でいることで、診断のカギになる情報が集まりやすくなるのです」

頭を下げる行為に無意味なプライドを持たないほうがいい

vol9_5ER医が怒ってはいけないのは患者に対してだけではない。他科の医師、他職種スタッフ、救急隊、研修医にも大きな声をあげることは許されないと掟を掲げる。後期研修医に対しては、上級医はもちろん下級医や他職種スタッフからも評価が下される360度評価を採用し、“良い人”への道のりをシステムとして構築した。

「入院の是非などをめぐって後方の専門医に理不尽なことを言われたとき、『ガイドラインに書いてあるから、医学的に正しい』と主張しても何ひとつ患者さんのメリットにはなりません。
私は患者さんのためになるなら頭を下げるのも苦にしません。頭を下げる行為に無意味なプライドを持たないほうがいいと考えています。もしも、後方医と喧嘩をすれば、巻き添えを食らうのは患者さんなのですから」

頭を下げるのは患者のためと理解し「カッコイイ」と評価するのは意外にも医学生や研修医だという。

「患者さんをマネジメントするのがER医の役目。局地戦で負けても、最終的に正しいマネジメントが行われるように導ければ、大局では勝利です」

初期研修で北米型ERと衝撃的な出会い

vol9_6

1986年自治医科大学を卒業後、地元・福井県立病院で初期研修を受けた。そこで、“救急医療のカリスマ”とされる寺澤秀一(現・福井大学教授)が展開する北米型ERと衝撃的な出会いをした。これまで、どこにも見たことのない医療だった。

魅せられた林は、初期研修のあと外科を専門に選び、ERで必要とされるジェネラリストの能力を身につけるため、へき地医療にたずさわる。

医師は内科医の院長と外科医の自分だけ。ひとりで虫垂炎の手術をする機会が何度もあったそうだ。自分だけで判断を下し最終的にはエイヤッと行動に移す。振り返れば、医師としての度胸はそのころにつけたのだろう。同時に試練も多かった。毎日のように救急患者が運び込まれるが、助からない“負け戦”がつづく。技術不足か、あるいは救急を知らないためか。思い余った林は、悔しさを寺澤に吐露したそうだ。

「寺澤先生からいただいた助言は、『救急医療にはスタンダードがある。まずは、それを勉強すべき。それでも負けつづけるなら諦めがつくはずだ』。そして、カナダに留学するようアドバイスしてくださいました」

「感謝の気持ちは、すべて下の者に向けてください」

トロント大学附属トロント総合病院救急部での2年間の臨床研修で、再び救急医療に立ち向かう情熱が、燃え上がる。

「厳しい医療現場でしたが、日本では見られなかった診断学の面白さに引き込まれました。いつしか外科の治療学の面白さに診断学への興味が加わり、ER医へつづく道筋が見えてきたように感じられました」

臨床留学終了後、帰国するや否や感謝の辞を恩師に捧げた。

「寺澤先生は、『感謝の気持ちは、全部下の者に向けてください。得た知識、技術を惜しまず後輩に教えてください』と言われた。感激しましたね。あらためて先生の懐の大きさに圧倒されました」
以来、その日から師の言葉を胸に刻んで、一途なまでに後進の育成に専心する。

全国初となる快挙 地域医療大学院を新設

vol9_7福井大学では、林の尽力もあって2013年4月から全国で初めて大学院に地域総合医療学コースを新設し、臨床研究をスタートさせた。狙いは総合外来や救急の現場、過疎地の診療所で即戦力となる〝真のジェネラリスト〞養成である。

従来の医学系大学院では基礎研究や先端医療研究に重きが置かれ、総合診療に関する臨床研究は手薄であった。しかも、救急医療やプライマリ・ケアは学問としての論文数も少ない。論文数に比例し、救急医療やプライマリ・ケアに対する評価は他の専門科より下位に見られる傾向にある。

「地域総合医療学コースでは地域医療の臨床研究の論文を足がかりにして、臨床能力と研究能力の高い地域医療のリーダーを養成するとともに、総合診療医の地位確立につなげたいと考えています」
“真のジェネラリスト”の創出には、あらゆる医療機関での医療経験も必須だという。

「検査設備の整った大病院だけではなく、中小病院や在宅医療を担う診療所などさまざま環境でのキャリアが重要です。特にER医には、診療所での医療経験もほしいですね。検査機器の充実していない環境で、救急患者を見分ける難しさを、肌で感じる経験をすべきだと思います。
研修医にしても、わざわざ福井県で研修を受けたいという人は臨床力も根性もある人が多い。だからこそ私たちは、いい教育を提供しなければならない。良質な教育を提供できなければ地方の病院は優秀な医師を確保できず、生き残っていけないのではないかとも思います」

地域を丸ごと大きなトレーニングの舞台として捉え、良い医療と良い教育を提供していきたいと情熱を燃やす。

医学生が見学に来たときには「アユの友釣り作戦」を実行

vol9_8取材の終盤、いたずらっ子のように目を輝かせて、「僕は悪の軍団をつくりたいんです」と話した。
彼によれば、テレビや漫画に出てくる正義の味方は悪を倒す以外に具体的な夢がなく、仲間は多くて5人程度。一方、悪の軍団はたくさんの仲間とともに世界征服をめざし、何度打ち負かされてもへこたれず、日々、新しい兵器開発に余念がない。

「しかも、正義の味方はいつも怒っている。悪の軍団は、高笑いですよ。めざすなら、悪の軍団でしょう。
弱肉強食を旨とする肉食系でない、怒らない草食系の悪の組織をつくり、大きな夢と野望を抱きたいですね。仲間が多いから、悪の軍団はワークライフバランスもいいはずです(笑)」

実は救急部に多くの研修医が来ても、ER医をめざすのは100人中1人か2人。それでも、彼らを懸命に指導するのは、ER医にならなくともジェネラルマインドを持つ専門医になってほしいとの一心からだ。

「『アユの友釣り作戦』と名づけているのですが、医学生が見学に来たときには、笑顔でものすごく元気に振る舞うんです。『忙しくて楽しい!』と多忙な状況さえ楽しんでいる様子を見せると、医学生の中にはパクッと食いついてくる人がいる。こうして悪の軍団員を増やすのです」

林は笑顔の効力を知っている。ゆえに林の笑いには力があり、愛があり、夢が込められている。彼が目論む「草食系の悪の軍団」は、笑顔がもたらす効果を振りまきながら、日に日に拡大していく。

林 寛之
はやし ひろゆき
福井大学医学部附属病院総合診療部教授

1986年 自治医科大学卒業
1986年 福井県立病院初期研修
1988年 越前町国民健康保険町立織田病院外科
1991年 トロント大学附属トロント総合病院救急部(カナダ)にて臨床研修
1993年 福井県立若狭成人病センター
1994年 美浜町東部診療所
1997年 福井県立病院救命救急センター医長
2004年 福井県立病院救命救急センター科長
2011年 福井大学医学部附属病院総合診療部教授

エムスリーキャリアは、より多くの選択肢を提供します

先生方が転職をする理由はさまざまです。

  • 現状のキャリアや働き方へのご不安・ご不満
  • ご家庭の事情や、ご自身の体力面などの事情
  • キャリアアップ、新しいことへの挑戦
  • 夢の実現に向けた準備

など、多様なニーズに応えるために、エムスリーキャリアでは全国から1万件以上の求人を預かり、コンサルタントは常に医療界のトレンド情報を収集。より多くの選択肢を提供し、医師が納得のいく転職を実現しています。

転職すべきかどうかも含め、ご相談を承っています。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 長文インタビュー

この記事の関連記事

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.21 名知仁子

    ミャンマーの医療に全力を捧げる医師・名知仁子。巡回診療、保健衛生指導、家庭菜園指導の3つの活動を通して、ミャンマー人の健康を支える名知仁子。大学病院、国境なき医師団といった最前線の経験を経て行き着いたのは、日常生活からの自立支援だった。とはいえ、名知ははじめから崇高な目標を持っていたわけではない。人生プランに国際医療が加わったのは30歳過ぎ、海外の地に降り立ったのは39歳のときだった。途中、乳がんなどを患いながらも医師として走り続ける理由とは――。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.20 吉田穂波

    「女性は子どもを産むと戦力外?」当時の前提に疑問を抱いた女性医師「子どもを産むと仕事ができなくなる」のは本当か。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.19 髙橋昭彦

    障がいを持つかどうかは確率の問題。たまたま障がいを持つ人とその家族が、なぜこんなにも苦しまなければならないのか――。この思いを出発点に2002年から栃木県宇都宮市で「医療的ケア児」と呼ばれる子どもたちを対象にした在宅医療、家族支援をしているのが髙橋昭彦だ。その取り組みが認められ、2016年には日本医師会「赤ひげ大賞」を受賞。採算度外視で我が道を行く髙橋だが、40歳を迎えるまでは自身の生き方に悩んでいたという。髙橋のキャリアを突き動かした出来事とは。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.18 加藤寛幸

    紛争地帯や災害地域で危機に瀕した人々への緊急医療援助を展開する「国境なき医師団」。その日本事務局会長として、途上国での医療活動に身を投じているのが加藤寛幸だ。医師としてこれまで9回にわたり援助活動に参加してきた加藤。途上国医療の光も闇も目の当たりし、挫折を繰り返してなお活動に身を投じ続けるのには、わけがある。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.17 山本雄士

    臨床の第一線を離れ、起業家として医療への貢献の道を探る医師がいる。山本雄士、日本人医師で初めてハーバード・ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得し、2011年に予防医療ビジネスを展開する株式会社ミナケアを創業した人物だ。日本ではまだ発展途上とも言える予防医療の領域に力を入れる山本。そのルーツは、臨床現場で感じた素朴な思いなのだという。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.16 志水太郎

    東京都江東区の東京城東病院(130床)。同院には、異例の人気を誇る後期研修プログラムが存在する。立ち上げたのは、若くして日本・アメリカ・カザフスタンで医学教育に携わってきた志水太郎だ。志水のノウハウをまとめた著作『愛され指導医になろうぜ』(日本医事新報社)は現在、後進指導に悩む指導医のバイブルとして親しまれている。30代という若さにして、華々しい実績を残しているように見える志水。しかしその裏には、数々の挫折があった。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.15 新村浩明

    「これ以上の極限状態はないと思った」。東日本大震災が起こった2011年3月を、ときわ会常磐病院(福島県いわき市、240床)の院長代行、新村浩明はこう振り返る。あれから数年、被災地の医療が新たな局面を迎えた今、新村には、この病院で成し遂げたいことがあるという。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.14 林祥史

    カンボジアに日本発の救命救急センターが設立されようとしている。2016年1月からの稼働を目指してプロジェクトを推し進めているのが、林祥史だ。34歳という若さで、北原国際病院の血管内治療部長として診療を続けながら、株式企業KMSI取締役としてカンボジアプロジェクトの指揮を執る。日本式医療を海外に輸出しようとする、その原動力とは―。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.13 渡邊剛

    「日本の心臓外科医療を立て直す」ために新病院を立ち上げたニューハート・ワタナベ国際病院・渡邊剛総長を特集。心臓外科手術の成功率99.5%を実現し、大学教授にまでなった渡邊総長がいま、大学を飛び出し、新病院を立ち上げた背景とは?渡邊総長の医療、心臓外科、そしてダ・ヴィンチ手術にかける想いを聞いた。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.12 佐藤賢治

    「“仮想”佐渡島病院構想」に挑戦する佐藤賢治。日本海沿岸に位置する、新潟県の佐渡島。過疎化・高齢化や医療者不足といった、地域医療に共通する課題の先進地域であるこの離島で、2013年4月から、あるプロジェクトが動き出した。

  • 人気記事ランキング

    この記事を見た方におすすめの求人

    常勤求人をもっと見る